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国民と天皇と大日本帝国

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2009.05.23
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カテゴリ:大日本帝国興亡史
 昭和天皇は戦前に於いて自身を現人神と考えていたのか、国家の決定にどのように関わっているとの認識だったのか。

◇「本庄日記」1935年4月25日(抜粋・概要)
 昭和天皇は、
 「もし思想信念をもって科学を抑圧し去らんとするときは、世界の進歩は遅るべし。
 進化論のごときも覆えさざるを得ざるごときこととなるべし。
 さりとて思想信念はもとより必要なり、結局思想と科学は併行して進めしむべきものと思う」
 と述べた。
───

◇天皇機関説と天皇現神説/昭和天皇独白録 (抜粋)
 私は国家を人体に譬へ、天皇は脳髄であり、機関という代りに器官と云ふ文字を用ふれば、我が国体との関係は少しも差支ないではないかと本庄武官長に話して真崎に伝えさした事がある。
 真崎はそれで判つたと云つたさうである。
 又現神の問題であるが、本庄だつたか、宇佐美だつたか、私は神だと云ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。
 さういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある。
───

 昭和天皇は内々では戦前に於いても現神である事を否定し進化論は否定しない、「結局思想と科学は併行して進めしむべきもの」との見解を示す。
 戦後の「新日本建設に関する詔書(1946年1月1日)」では「朕と爾等國民との間の組帶は、終止相互の信頼と敬愛に依りて結ばれ、單なる神話と傳説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし旦日本國民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる觀念に基くものに非ず。」
 と、「現御神」ではないの表明を行なっている。

 また、「天皇は脳髄であり」は昭和天皇が主体的に国家運営を行なっているとの認識を示していると言える、しかし「本庄日記」1935年5月22日では出光海軍武官に対し「軍部が自分の意に隋はずして、天皇主権説を云ふは矛盾ならずや」と述べて軍部が天皇の名を利用し暴走する一面がある事を示し不満としている。

 では日米開戦に於いて天皇はどの程度主体的だったのか。

◇三国同盟/昭和天皇独白録 (抜粋)
 三国同盟は15年9月に成立したが、その後16年12月、日米開戦後出来た三国単独不講和確約は結果から見れば終始日本に害をなしたと思ふ。
 確約当時政府の見透では日米戦争は勝負は五分五分、うまくいって日本が勝つても二分の勝で完勝は到底見込が立たぬ、之に反して独逸は完勝するであらうと云ふ事であつた。
 それで若し左様な状態となった際、日本が見捨てられては困ると言う訳で、単独不講和を確約した訳である。実際、開戦の初期日本は予想に反して真珠湾で奇勝を博し又マライビルマは予想以上の短期間に攻略する事が出来た、若しこの確約なくば日本が有利な地歩を占めた機会に和平の機運を握む事が出来たかも知れぬ。
 つまり日本は自力を過小評価し独逸の国力を過大評価した為にこの確約をするに至つたので、これには大島大使の責任が大きい。
 尚この際付言するが日米戦争は油に始まり油で終わったようなものであるが、開戦前の日米交渉時代に若し日独同盟がなかったら米国は安心して日本に油を呉れたかも知れぬが、同盟がある為に日本に送った油が独逸に廻送されはせぬかと云ふ懸念の為に交渉がまとまらなかったとも云えるのではないかと思ふ。
───

◇「木戸幸一日記(下巻)」1941年11月30日 (概要)
 今日午前、高松宮は天皇に「海軍は手一杯で、出来るなれば日米の戦争は避けたい。」と述べた事に対して、天皇は木戸内大臣に、本当の所はどうか訊ねる。
 木戸は
 「今度の御決意は一度聖断被遊るれば後へは引けぬ重大なるものであります故、少しでも御不安があれば充分念を入れて御納得の行く様に被遊ねばいけないと存じます。」
───

 対米開戦に昭和天皇は積極的とは言えない、高松宮は開戦反対で木戸内府は「少しでも御不安があれば充分念を入れて御納得の行く様に被遊ねばいけない」、昭和天皇は納得はしていないが大東亜共栄圏構築を認めるドイツが欧州で勝ち米国が孤立化することで対米戦・対中戦が上手く収まるとの感覚。

 「私が若し開戦の決定に対して「ベトー」をしたとしよう。
 国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ。」

 が「昭和天皇独白録」の最後に記されている。






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最終更新日  2009.05.23 22:35:04
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