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国民と天皇と大日本帝国

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2009.10.04
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カテゴリ:大日本帝国興亡史
◇「世界情勢判断/御前会議(1943年9月30日)資料」(主に米国に関しての記述を抜粋)

・第一節 各国の戦争指導
 1.米国
  米国の戦争目的は自国を中心とする世界体制の確立を期し日独特に日の完全屈伏に在り而して米は速に戦線を企画し今明年中に戦勝の態勢を構成せんことを期し優越なる物的戦力を極度に発揮して英国と協力しソ及重慶を利用し以て日独の打倒を図るへし
  其の攻撃兵力の重点は東亜に指向せらるへく又ソを対日戦に導入するに努むへし
  「戦争交鞍綏し日独の完全屈伏至難なりと認むる場合に於ては日独の勢力を努めて圧縮し与国並に敗戦国に自己勢力を扶植する程度に止め戦局収拾を企画することなしとせさるへし」

・第二節 各国戦争遂行能力
 1.米国
  3 工業生産力は昭和18年末頃略々頂点に達し爾後概ね其の水準を維持すへし 但し飛行機等の重点軍需工業は其の後と雖も相当期間尚上昇するならん 食糧の国内自給は充分なるも与国に対する補給は中南米の利用に挨たさるへからす
  4 地上兵力126師団を基幹とする現陸軍拡張は昭和19年中期に一応概成を見るへく戦艦23隻、航空母艦37隻保有を目標とする現海軍拡張は昭和20年頃迄に概ね完了するならん

・第三節 今明年に於ける主要なる情勢の推移
 1.独ソ戦の見透
  ソは英米の欧州進攻と策応し冬期に至るも依然自主的攻勢を続行すへく独は守勢を執り極力敵側の人的物的資源の消耗を図るへきも其の戦線は逐次西移し概ね沿バ地方及ドニエープル河に沿ふ要城に於て停頓するならん
  而してドニエープル河に沿ふ要城の喪失は独に執りて食糧、石油等の資源の取得並に傘下諸国の掌握に及ほす影響等極めて大なるへきを以て極力之か保持に努むへし

 2.欧州に於ける英米の第二戦線

 3.東亜に於ける米英の反攻
  米英は帝国の不敗態勢確立に先ち速やか之か破摧を企画し欧州戦局の推移如何に拘らす各方面より包囲攻勢を強化し来るへし
  特に今秋冬を期し南東方面の攻勢を愈々熾烈化すると共に「ビルマ」「アンダマン」「スマトラ」方面に対して大規模攻撃を敢行し戦局の急転を図るならん
  又我海上交通の破壊並に戦略要点及資源要地に対する空爆を激化すへく特に洋上及支那本土よりする我本土及交通線に対する空襲に対しては大いに警戒を要す
  米英は武力攻勢に策応し政謀略を激化し大東亜諸国家諸民族の対日離間を策すへし

 4.ソの対日動向

 5.欧州に於ける和平
  差当り、独、ソ、英米何れよりも和平を提議するの算殆んとなかるへし
  然れとも諸般の情勢に人的資源の損耗枯渇、空爆の激化政謀略の熾烈化等に依り厭戦求和の思想の抬頭を見るへく戦局の推移に伴ひ独英米、独ソ、欧州和平等各種和平問題の具体化を見る算無しとせさるへく又予想すへからさる異変を直接動因として急激に和平の実現を見る可能性も亦絶無にあらさるへし

・第四節 総合判断

 米英ソは戦争戦争の主動権を把握しある現状に乗し今や全力を傾倒して政戦両略に亙る攻勢を連続的に強行せんとし之に対し日独は既得の戦果を活用し飽く迄之か阻止破摧に努めつつあるを以て茲に世界戦争は明年春夏の候に最も熾烈化すへし
──「杉山メモ(下)」より


〓勝手に独断と偏見〓

 「世界情勢判断」では、ドイツはソ連との戦いで主導権を失い、対英本土上陸及西亜方面進出は見込なし、ドイツの欧州での勝利は期待できない、むしろ敗北を考慮すべき状況。

 話が違うではないか。

 欧州でのドイツ勝利による米国の孤立化を前提としていた日本の指導部は、日米開戦後のドイツと連合国との講和を恐れ「日独伊共同行動協定」を締結、ドイツが欧州で勝利するまで戦い続ける事を望んだ。

 想定外の戦況、日本が期待した条件下での講和は困難、日本単独で対米戦を有利に終結は不可能。

 「世界情勢判断」は枢軸側敗勢を示す、軍部が今後も日本運営の主導権を握る理由は

 「戦争交鞍綏し日独の完全屈伏至難なりと認むる場合に於ては日独の勢力を努めて圧縮し与国並に敗戦国に自己勢力を扶植する程度に止め戦局収拾を企画することなしとせさるへし」

 ムッソリーニは切り捨てられた、敗北の影が昭和天皇と軍部の立ち位置を変える、軍部は一蓮托生を望むのか。

 ソ連が切望する「欧州に於ける英米の第二戦線」はテヘランでの米英ソ首脳会談(1943年11月28日~)で決定され、翌年6月6日にノルマンディー上陸が行なわれる。
 オランダでアンネ・フランクが隠れ家から連行されたのは1944年8月4日。





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最終更新日  2009.10.04 10:15:57
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