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国民と天皇と大日本帝国

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2010.01.24
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カテゴリ:大日本帝国興亡史
 マリアナ沖海戦は1944年6月19日・20日に、サイパン島での戦いは6月15日から7月9日に行なわれた。

 マリアナ諸島にはサイパン島・テニアン島・グアム島等がありトラック島と同様に絶対国防圏の内側である。
 東京から南南東の方角へ硫黄島・サイパン島・トラック島が緯度にして約10度、距離では約1,200km間隔で並ぶ。

 マリアナ諸島からはB-29による日本本土への爆撃が可能になる(日本側もB-29の情報はつかんでいたようだ)。

 後に米軍が硫黄島の飛行場を使用するようになるとB-29に護衛戦闘機がつく、東京-サイパンは2,350kmで硫黄島は中間地点、護衛戦闘機P-51(D)の航続距離は2,655 km(増槽有り)、絶対国防圏が東から食い破られて日本本土へ空襲が米軍にとってリスクが少なくなりつつある。

 エノラ・ゲイが原爆を搭載し広島へ飛び立ったのはテニアン島/マリアナ諸島。

◇戦略爆撃機B-29は「B-29 (航空機)/ウィキペディア」によると(抜粋)
 設計・製造はボーイング社、中翼単葉プロペラ4発の大型爆撃機である。爆弾の搭載量は最大9トン。航続距離は4,585km(爆弾4.5 t 搭載時 5,200 km)。初出撃は1944年6月。

 1944年11月以降は、マリアナ諸島のサイパン島、テニアン島およびグアム島から日本本土のほぼ全域に対する戦略爆撃を行った。

 被弾・故障したB-29の不時着用と護衛戦闘機の基地として硫黄島が選ばれ、アメリカ軍は多大な犠牲を払って日本軍からこの島を奪った。同島までたどり着けないB-29のために、東京湾近辺に潜水艦が配置されて乗員の救助にあたった。

 もともと高空向けのエンジンを持たず、また材料や工員の質が低下した上、高オクタン価の航空燃料の入手も困難になっていた大戦後期の日本の戦闘機に、これを迎撃する事は困難であった。昼間迎撃には、単座戦闘機である隼・零戦・鍾馗・飛燕・疾風・五式戦闘機・雷電・紫電改などが使用されたが、1万mの高空を行く排気タービン(ツィンターボ)を装備したB-29の方が高速で追いつくのも困難であり、やっと一撃をかけても高度を回復できず、その後の攻撃が続かないという有様であった。このため震天制空隊による体当たり攻撃も行われた。
 1945年3月に硫黄島がアメリカ軍に占領され、護衛戦闘機P-51が随伴するようになると、双発戦闘機は使用できなくなり、単発戦闘機の迎撃も一段と困難になった。
───


〓勝手に独断と偏見〓

 陸海総帥部トップの交代は近々に於いてはマリアナ諸島を巡る戦いで勝利する為と推察する、しかし敗北に終わってしまった。

・朝日新聞6月24日朝刊にはマリアナ沖海戦についての大本営発表が記されている、
 大本営発表でのマリアナ沖海戦での戦果は空母5隻、戦艦1隻以上を撃沈破、敵機100機以上を撃墜、被害は空母1隻、附属油槽船2隻および飛行機50機。
 解説では、敵機動部隊・・・、依然同方面の制空、制海権を掌中に握ってサイパン陸上戦闘を有利に展開せんがため行動しつつあり、戦局の推移はますます重大である。

・朝日新聞7月19日朝刊の大本営発表ではサイパン島での玉砕と在留邦人が概ね将兵と運命をともにした事を伝えている。

・「報道されなかったニュース 戦時情報余禄/星野力」(当時は西日本新聞社社員)からの抜粋・纏め
 海外発信の情報はリアルタイムに手に入れている、サイパンに関してニミッツ司令部が7月9日(日本時間:10日)サイパンの征服完了を発表した事も知っていた、また7月12日の記述では敵側の情報によると非戦闘員の敵側に収容されたものは1万1500名。

 海軍は被害は小さく戦果は大きく対陸軍への報告も似たようなものか、海軍の発表の辻褄が合わない部分に報道関係者や特権階級・指導部は多くの情報を元に気付き一般国民も同様の事を感じていたのではと推察。

 しかし警察の取調べでも暴力は当然の世の中。

◇反戦不穏投書 7月23日付 近衛文麿公宛(犯人捜査中)
 一.大東亜戦争はアメリカが挑発せりと言ふも近衛公は支那事変、大東亜戦を挑発したる国家浮沈の責任者であり国を危くするものは政治家と軍人なり
 二.大東亜戦争は困難なり日本は神国なりと言ふも悪徳と敗戦とを重ねるのみにして独伊も危く蘇連勝つべし
 三.東条首相は時局担当の器に非ず故に退陣を奨めしが何人がとって代るも日本の運命を変へること容易ならず
──「昭和特高弾圧史5」p325より





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最終更新日  2010.01.24 09:55:28
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