100万遍の唱題と題目の回数について
100万遍の唱題と題目の回数について百万遍(100万遍)の唱題といわれます。お題目は数多くあげないと功徳や効果がないのか?例えば一日どのくらいお題目をあげれば良いのか?このお題目の功徳と唱える回数の関係について述べています。 日蓮大聖人はどのように仰せなのか『但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間・昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱うる事は一人なり(御書全集1,393頁・松野殿後家尼御前御返事より引用)』この仰せによると、「二十余年の間・昼夜朝暮に」とあり、唱えられる時はいつもと拝されます。『是を信じて一遍も南無妙法蓮華経と申せば法華経を覚て如法に一部をよみ奉るにてあるなり、十遍は十部・百遍は百部・千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり、かく信ずるを如説修行の人とは申すなり(御書全集411頁・十如是事より引用)』この仰せでは一遍題目の重要性に触れられていると拝されます。かたや門下には、『日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ(御書全集989頁・四菩薩造立抄より引用)』とも仰せになられています。池田先生の指導池田先生は、戸田先生の事業が難航していた時期に、朝から晩までお題目を唱えながら行動されたというエピソードを残されています。その池田先生はお題目のあり方について、かつて、以下のような具体的なご指導をされています。「毎日三千遍の題目をあげて行こう、その一日三千遍の題目があがると生命の回転が始まって来るのだ。 生命がきれいになって来るのだ。三千遍の題目があがると、 学会のリズムになって来る。常に三千遍あげればそれだけ生命力が豊かになり、それ自体が行力になって来る。ともかく、この半年間が勝負だ。就中二~三ヶ月が勝負だ。題目をあげて魔を打ち破っていこう。仏道修行で一番やさしいのは題目だ。又、仏道修行で一番むずかしいのは題目だ。 しかし、一切の勝利の源泉、福運の源泉は題目にある。」1時間で3千編(約1年で百万遍)、3時間で一万遍(約3ヶ月で百万遍)というのが、無理のない目安だろうと思います。池田先生は信仰は義務ではなく『権利』であると言われています。権利である以上、誰から言われなくとも率先して実行するはず。お題目もまた、これと同じです。また、教学の側面から言えば、末法濁悪の民衆として、第六天の魔王の所領に身を置いている以上、お題目から離れれば三毒に染まるのは必定です。それゆえに、日蓮大聖人は『南無妙法蓮華経』と唱える為の御本尊を建立されたのです。要は、お題目に対する執念。それが題目根本の日蓮仏法であるのではないでしょうか。