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カテゴリ:美の巨人たち
仙台に常禅寺通りがあります。ケヤキ並木で有名なのですが、うっそうと茂っていて、まさしく「森」そのものです。夏になると青々とした葉っぱが生い茂っており、照りつける太陽から逃げる際には格好の場所である、といってもいいでしょう。
その常禅寺通りには、等身大の立像がいくつか設置されており、ケヤキ並木同様、癒やしをもたらしてくれます。 アメリカの大通りでも同様の立像がたまに設置されていることがあります。立像ですから、触っても動くわけはありません。くすぐったってピクリともしません。なんてったって立像ですから。 ただし、その立像で記念写真を撮る時は要注意です。立像を背後にして「はい、チーズ!」といったら、その立像が撮られる側の人の帽子を咄嗟にとって自分の頭に被せ、ピースサインをすることでしょう。 シタリ顔で、ね・・・。 同様の立像は、東京の国立劇場にもあるそうです。 おっと、こちらはピクリとも動かないのでご安心を。イタズラは一切しませんので・・・。 その立像は、国立劇場の大劇場ロビー中央に、ガラス張りの状態で立っています。 金色のまばゆい衣装に身を包み、頭には白くて長い髪の毛のカツラをつけています。 向かって左側をキッとにらみつけ、右腕はだらんと下げた状態で拳を軽く握りしめ、左腕は何かを振り払うかのように水平になっています。 今にも動きそうな、そんなリアリティーを持っているのですが、実はこれ、服や髪の毛のカツラを含めて、全てヒノキで作られています。 「鏡獅子」といえば、白くて長い髪の毛を豪快にブンブン振り回すのが定番ですが、残念ながら今回の立像はそういうポーズではありません。 1936(昭和11)年、田中(でんちゅう)が65歳の時に、後援者からこの立像の制作を依頼されます。「ぜひ大作をつくってほしい」という「ひとこと」を添えて。当然ながら「鏡獅子ならやってみたい」と快諾します。依頼された時の納期は半年だったそうです。しかし、半年で完成させるつもりはさらさらなかったそうです。納得できるものを作り上げるには、3年から5年はかかる・・・と見込んでいました。 それから田中は歌舞伎座で「鏡獅子」が上演されると、25日間連続して通いどおして観察しました。 今回の作品のモチーフは、後半の「後(のち)シテ」にて獅子がとるポーズです。獅子が台から降り、クルクルと舞いながら袖口を絞り、トンと踏ん張って見栄を張る・・・この時のものです。まさに静と動が一致した名場面であるといえるでしょう。 さて、問題は分厚い衣装の中で、身体はどういうふうになっているか・・・。 モデルとなった六代目尾上菊五郎は親身になって協力し、なんと褌一つになった状態でこのシーンを演じたそうです。そのうえで、田中はこのときの裸の像を作り上げます。 そんなこんなで約束の半年が過ぎてしまい、後援者からの援助は打ち切られてしまいます。そんな状態でもめげずに、もはや「たのみ仕事」という範疇を超える「大作」を作り上げるべく、自己資金を使っての制作に踏み切ったのです。 最初は約1メートルの試作品を作ってから等身大である2メートルの作品を作り上げようとしたのですが、そうすると納得がいく仕上がりにはならなかったそうです。いかんせん、そのまま大きくしただけでは、周りの空間と調和しなくなってしまうからだそうです。かえって、原型の印象を保つために、全身のバランスを整え直すハメになってしまいます。それが至難の業となってしまうのです。 そこで、最初から等身大の大きな原型を作り、感性に従って手を入れていきます。その結果、納得のいく状態になりました。 あとは実際に掘るだけ・・・なのですが、本番用の材料である8尺の大木はすでに使ってしまいました。同じものを買うお金はありません。そこで田中は格好のアイデアを思いつきます。 それは、なんと小型の「鏡獅子」をたくさん作って売りまくり、それを材料の大木を買う資金にしてしまうのです。 もうひとつは、「寄せ木造り」とよばれる手法。「大きな木がなければ、繋げばよい」・・・そんなコロンブスの卵のような発想で使われるのです。 そしてついに1958(昭和38)年に完成させるのです。じつに22年もの歳月が流れました。 最初は後援者からの依頼に過ぎないものでした。しかし、作る以上は誰もが・・・いや、自分自身が納得できうるものを作り上げたい!そんな意気込みで制作に取りかかったのかもしれません。 この「鏡獅子」、国が2億円で買い上げようとしたのですが、田中はこれを頑なに断ります。 田中は語ります。 六代目さんと 二人でこさえたもので お金を貰ったら あの世で会った時 挨拶のしようがない たとえ作品を作り上げるため・・・とはいえ、それがいつしか厚き友情となり、お互いに信頼し合える仲になるものですね。 さて、田中の終(つい)の棲家には、巨大な大木が設置されています。なんでも、作品を作り上げるためのもので、なんと100歳の時に買ったそうなのです。 その時、田中はこう語ります。 六十 七十は はなたれこぞう おとこざかりは 百から百から 私はもう40歳を過ぎてしまい、たまに「もう自分の人生・・・というか旬の時期は終わってしまった」と嘆くことがあるのですが、この田中の「ことば」を聞いたら、「俺、何やってんだろう。自分にムチ打って自己鍛錬に勤しまないといけないな」と思ってしまいます。 なんていったって、「アンパンマン」で有名な、やなせたかし氏だって、50歳代にようやく成功をつかむことができたのですから。 テレビ東京系列:2017年3月35日放送 BSJAPAN:2017年4月19日放送 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.04.25 19:01:05
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