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今回お話することは、京極夏彦の「文庫版 塗仏の宴(ぬりぼとけのうたげ)〜宴の支度〜」で取り上げたものです。
ただし、今回のこの本を読んだなかで、ある意味で「衝撃的な事実」というものがあったようですので、もう一度ここで取り上げることにします。 第三集は、主に東北本線ならびに常磐線が取り上げられております。 当時の東北本線は現在のものとは異なります。一番の違いは、岩切駅から先は利府駅へ分岐する路線があるのですが、そこがメインルートとなっており、利府駅から先にも線路が延びている、というものです。 それだけではなく、そういう状況になる以前、つまり、東北本線が仙台まで延伸したときに、塩竈駅まで到達していたのです。山側にある現在の塩釜駅ではありません。こちらは後にできたものとなっております。岩切駅から現在のルートをたどり、現在の陸前山王駅から分岐して、同じく現在の国府多賀城駅(※)のあたりから先で分岐し、現在の本塩釜駅までに到達していたのです。その後貨物線になったのですが、それを存じている人もいるかと思います。 その時の歌詞がありますので、ご紹介することにしましょう。 30.多賀の碑ほどちかき 岩切おりて乗りかえる 汽車は塩釜千賀の浦 いざ船よせよ松島に 31.汽車に乗りても松島の 話かしまし鹿島台 小牛田は神の宮ちかく 新田の沼のけしきよし 要するに、岩切駅から乗り換えて、現在はイオンモールとなっている塩竈駅へと向かい、そこからは船で島巡りをしながら松島まで到達します。その後、現在のものとは異なって、ちょっと遠いところにあった旧松島駅へと向かい、そこから鹿島台駅、小牛田駅、そして新田駅へと到達することになります。 ここでちょっと解説します。 「多賀の碑」とは、多賀城の創建と改修を記した石碑のことで、現在の国府多賀城駅の近くにあります。さらに近くにあったのが、陸前山王駅だったわけですが、当時は陸前山王駅すらなかったようで、おのずとして岩切駅が近くにあった・・・ということになったのでしょう。 その岩切駅は、現在は橋上駅となっております。 塩釜にある千賀の浦とは、松島湾の一部のことです。マリンゲートや魚市場がある一帯をさします。 鹿島台駅は、こちらも岩切駅同様に現在は橋上駅となっており、入り口部分は松島町にある高城川の明治潜穴の入口を象っております。 小牛田にある「神の宮」とは、山神社のことです。小牛田駅から北へまっすぐ歩き、途中陸羽東線の線路を越えて、またしばらく歩いた先にあります。 その2に続きます。 「『鉄道唱歌』の謎〜”♪汽笛一声”に沸いた人々の情熱〜」中村建治著 交通新聞社刊 2013年 ※国府多賀城駅は、後に貨物線となった塩竈駅までの元々の線路が廃止された後にできたものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.28 03:45:48
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