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テーマ:おおいた (大分)(362)
カテゴリ:物言うブロガー
今日はお休み。
実は、あと一週間ほどで、大分へ、仕事半分、休暇半分で帰ることに。 会社の人間を接待することになったのですが、宿泊場所を探す度に、構造改革からの一連の流れ、地方の歳出削減、無駄の削減、で、期待していた地元の「公共の宿」が軒並み、無くなっているか、売却されて運営されていないか、サービスが低下していることを知る。 ・・・元・地元の人間が頑張ってPRしても、これじゃあねぇ。 期待はずれにならないように、頑張っているのですが・・・。 さて、コレに因んで、皆さんもよくご存じな、湯布院の話など。 どうも、某国営放送(私は公共放送ではないと思っています)で、朝の連ドラに浮かれていましたが、ああいう「町おこし」の技には似つかわしくない町だと思います。だって、素晴らしいコンテンツを持ち、そういう街作りをしてきたのに、ことごとく、最近は裏切られつつある。 平成の大合併は、湯布院にとって、失敗だったのではないでしょうか? 合併した他の町の人間に、公共事業、開発という大前提の前に、大事な理念を壊され、長期的に観光客(=重要な収入源)を失いそうな気がします。 私はこのまま、湯布院を薦めて良いのでしょうか。 そもそも、今の大分の観光を売れいている発端は、今年2月21日(火)の朝日新聞・朝刊に「大ホテル論争 由布院で沸く」という見出しの記事が載っていたからだ。(残念ながら、朝日コム上から記事が期限切れで無くなりました。) 昨年6月、東京のあるリゾートホテル会社が全76室のホテル建設案を当時の湯布院町(去年10月、由布市)に出したのが騒動の発端。この客室規模、建物のサイズでは大したことが無さそうですが、実は意外に大きなホテルはなく、過去、昭和の頃に、反対運動が起き、造りかけの建物が取り壊されることなく、廃墟と化し、観光地に似つかわしくない無惨な姿を晒している。 さて、このホテル、90年にできた規制条例に違反はしないが、地元の旅館組合などから反対の声がおこったという。市長の諮問機関「まちづくり審議会」というのがあるそうで、直接的には事業計画を審議したものの結局、議論がまとまらず、しかたなく賛否両論併記で市長に答申、現在は市長の判断しだいという状況になっているそうだ。この市長は、記事になった当時、確か隣町の町長だったので、このホテルを容認しそうな言動をしていたが、その後、どうなったのだろうか? 由布院? 湯布院? 大分・由布市に問い合わせ相次ぐ 朝日新聞・2006年04月24日 「由布院温泉と湯布院温泉、どちらの表記が正しいのですか」。昨年10月、大分県の湯布院、庄内、挾間の3町が合併した由布市には、旅行誌の編集部などから問い合わせが相次いでいる。 もともと旧湯布院町は、55年に由布院町と湯平村が合併した時に新たに作られた町名。地元では、JR由布院駅がある盆地内を「由布院温泉」と呼び、湯平、塚原温泉も含めた地域全体を「湯布院温泉」と呼んで区別してきた。 今回の合併で表記はさらにややこしくなった。「石段のある古くからの温泉街」という一般的なイメージの地域を正確に表すと「由布市湯布院町の由布院温泉」ということになる。 由布市の名は公募で決まったが、由布院温泉観光協会は「新市名には由布も湯布も使わないで」と訴えてきた。「土地のイメージが拡散してしまう」からだ。 市は「旧挾間町には渓谷もあり、由布観光という面で幅が広がった」と利点を強調。だが、全国ブランドの温泉街を育ててきたという自負がある同協会は「名前だけで人が来るのではない」と今も納得していない。 外に出た人間に言わせると、旧挾間町は湯布院ではないなぁ。逆に利用しているだけに見えるし、今まで、それだけの努力をしているように見えない。 しかし、湯布院自体も没落の兆候を示しているようにも見える。 土産物はよくよく考えてみると、湯布院に関係ないものだったり、「九州の軽井沢」という言葉に甘えている女性受けのみの街並みだったり、土産物が沈みかけていた頃の別府や熱海、箱根の、その土産物に傾向が似て来つつある。まるで、金に目のくらんだ町であり、町全体が投機の対象になっている。今回の「大ホテル」とやらもその象徴かも。 街中での車の渋滞はひどい。人を呼びたがる割には、道路が狭い。(開発するなと言っておきながら、矛盾しているが。)感覚で言えば現在の由布院には200万人くらいが限度ではないかと思われる。(現在は400万人近いか。知っている人に聞くと、宿は過当競争に近いという。) 90年の規制条例は当然だったと思うが、これを作っただけではだめであるのではないか、と今回の騒動を新聞で読んで思った。現に、平成15年に現職の湯布院町長が収賄で逮捕された。町おこしといい、金を出せば動く部分が。かつて、小さな別府になるな、を合言葉にして町づくりをはじめたというが、現在の由布院には24時間営業のコンビニもあればファーストフード店もある。いまさら大ホテル進出反対なんて、とも感じる。 今さら、黒川温泉も観光地化してしまっているが、今なら、オススメは、同じ湯布院でも、湯平(ゆのひら)温泉か、山香温泉かな。 こちらの記事には、人気ゆえに抱えるジレンマも透けて見える。「くつろげない」、一回訪れたときの、そんな思いがまた一人、観光地から遠ざける。 【九州力】【観光】温泉ブランド再構築 朝日新聞・マイタウン・2006年01月06日 同じ「勝ち組」とされる大分・由布院温泉。ドイツなど欧州の温泉地を視察した地元の旅館経営者有志が音頭をとり、自然の中に小規模な旅館が並ぶ独自の地域づくりを進めた。湯布院町(現・由布市)も90年施行の条例で建築物を5階建て以下に制限。「静かでくつろげる温泉地」という魅力が女性客らを引きつけた。 だが、04年の宿泊客は86万人で前年比7%減と5年ぶりに減少。05年は横ばいの見込みだ。人気ゆえの「俗化」の影響もある。JR由布院駅から温泉宿へ続く通りは土産物店や飲食店が並び、週末には人でごった返す。 現状を元の素朴な姿に戻すことは現実味が乏しい。観光地化の中でもその土地らしさを体験できる魅力を新たに生み出していく工夫が問われる。由布院では旅館の料理長らが集まり、地元食材を使った料理を研究する取り組みが進んでいる。 □ ■ □ 地盤沈下に悩む老舗(しにせ)温泉地でも、地域全体のブランド力を再び高めようと模索が続く。 大分・別府。団体から個人旅行への転換という変化に乗り遅れたが、日本一の源泉数と湧出(ゆうしゅつ)量を持つ温泉は、他にない強みだ。温泉泥のエステなどの体験イベントや、地元住民のガイドがレトロな外観の市営温泉などを案内する路地裏散策などを通じ、「素の魅力」を若い女性らに訴える。昨年暮れに散策に参加した奈良県の女性(57)は「定番の地獄巡りなどだけではみえない別府らしさを発見できた。また来たい」と感慨深げだ。 年間宿泊客数は70年代のピークの3分の2に減ったが、なお約400万人。散策参加者は約1万人に過ぎないが、地元住民は地道に「別府ファン」を増やして復活につなげたいと考えている。 なんにせよ、良いところだけに、頑張って欲しいわけですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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