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「あたご」裁判がモヤモヤした結果になっているのは、あたごに回避責任があるのかどうかを
判断する清徳丸の航跡が、清徳丸の沈没によりGPSの記録が失われたせいで特定が難しいことにあります。 で、地裁の出した航跡図を白砂青松さんが実際に図に起こし、その右転の角度を割り出しています。 「あたご」裁判(2) 裁判所の描いた「清徳丸」の航跡の不思議 (6) http://plaza.rakuten.co.jp/whitesand72/diary/201105230000/ 「あたご」裁判(3) 秋山シナリオを図に書いてみた http://plaza.rakuten.co.jp/whitesand72/diary/201105240000/ この努力は敬意を表するのですが、ここでも変てこなことを言い出します。 >で、1回目の転針前は何度だったのか。それはなんと110度。 > つまり、この裁判官はわずか「10度」の転針が無ければ事故は起きなかったというわけです。 裁判官はそんなこと言っていません。 その証拠に、 > 午前4時4分ごろに右転しなければあたごの艦尾500メートル以上のところを、 >午前4時5分40秒すぎごろに右転しなければ200メートル以上のところを通過する針路にあった。 >にもかかわらず大幅に右転し船首をあたごの艦首前方に向け、衝突の危険がある針路となった。 ちゃんと1回目の右転だけでは事故は起きなかったと説明しています。 (この文章は自分自身の記事でもちゃんと引用しているのに) で、そのことを突っ込まれると、コメントでこんなことを言い出しました。 (裁決より) >「清徳丸とあたごとの衝突の危険は、両船の間に見合い関係がなく、 >あたごが清徳丸を回避する義務を負わない状態で、清徳丸が2回右転したことにより、新たに生じさせた。」 (白砂青松さん) >1回目の右転に問題がなければ「2回右転」と書く必要ありません。 一体何を言っているのでしょうか、この人は? 1回目の右転だけなら問題ないことは、 「午前4時4分ごろに右転しなければあたごの艦尾500メートル以上のところを」通過すると、 裁判官自身が裁決中で明確に述べているわけですが、そんな矛盾した解釈何でわざわざするんでしょう? 単純に、認定した航路で2回右転していることを述べただけだと思われますが。 > そして、「大幅な右転」の前に1回目、2回目と右転の状況を並記して文を句点で〆ているんですから、 >素直な日本語の読み方なら、裁判所は両方とも「大幅な右転」であったと主張しているとしか読めません。 確かにこの文章はそう読んでもおかしくないですね。 2回目はともかく、1回目を「大幅な右転」と表現するのは大げさですね。 さてこの後、白砂青松さんは、裁判官の判断について以下のような批判をしています。 >僚船の方位に関して、「小型船(僚船)の方位は刻々と変化し、 >船長の証言からは清徳丸の位置を特定できない。」と言ってその証拠能力を否定しておいて、 違います。裁判長はそんなことを言っているわけではありません。 > 検察官は、僚船船長の「清徳丸は左約7度、約3マイルの距離にいた」との供述に基づいて海上保安官が作成した報告から清徳丸の航跡を特定した。 (裁決より) > 僚船は潮流の影響などから直線で進行しているわけではない。 >GPS記録(90秒ごとの記録)上のそれぞれの位置から左7度、3マイルの点をとるべきだ。 >航跡は作成方法として正確さを欠いている。問題点に関する海上保安官の説明は不合理で、 >既に特定していた航跡に沿うように恣意(しい)的に僚船船長らの供述を用いたと認められる。 裁判長が「信用できない」としているのは、検察の引いた航路の決め方です。 検察が特定した清徳丸の航路は直線で、 「僚船の証言から清徳丸は「左7度、3マイル」の位置にいると考えられる」 という方針で航路を決めたと主張していますが、肝心の僚船は実際には直線に進んでいません。 つまり、航路の決め方と、実際に提示された航路が一致しないのです。 航路の決め方の妥当性はともかく、自らの主張に矛盾があっては信用されなくても当然です。 >清徳丸にはその方位に対して10度の狂いも許さないというのでは、 再三申し上げていますが、1回目の右転だけでは事故は起きなかったと、裁決中で明言しています。 つまり、「10度の狂い」は許容しているのです。 一体、誰が許していないのでしょうか? 多分、白砂青松さんの頭の中で作った「脳内裁判長」ではないでしょうか? >「恣意的」なのは検察官ではなく、この秋山裁判官だと言うべきでしょう。 上記で説明した通り、必ずしもそんなことは言えないでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月11日 01時03分23秒
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