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ラッコの映画生活

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2007.08.01
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ZABRISKIE POINT
Michelangelo Antonioni
112min

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7月30日に亡くなったイタリアの大監督ミケランジェロ・アントニオーニ、追悼というわけでもないが何か見ようと思い、所有のビデオ・DVDから最近(たぶん10年以上)見ていなかった『砂丘』を見た。

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アントニオーニの初期の映画は白黒で、ずっとイタリア本国で撮っていた。その最後の『赤い砂漠』が初めてのカラー作品。そしてイタリアを出てイギリスで『欲望』を撮り、アメリカでこの『砂丘』を撮った。次の『さすらいの二人』はイギリスとドイツも出てくるが主にスペインとアフリカが舞台。『ある女の存在証明』でイタリアに戻り、途中脳障害に苦しむが、残る『愛のめぐりあい』『愛の神、エロス』を撮る。前者はややフランス寄りの映画で舞台も一部南仏だけれど、結果として主な彼の劇映画で自分の外の世界を撮ったのは『欲望』のイギリスとこの『砂丘』のアメリカ、それと意味は少し違うが『さすらいの二人』のアフリカ・スペインだろう。

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初めて『欲望』を見たとき、大陸ヨーロッパの南のイタリアのアントニオーニが捉えた60年代のイギリスが面白かった。アントニオーニのイタリアと比べれば暗い黒いロンドンの街並。イギリスの伝統的世界と、主人公の写真家が撮るミニスカートに代表されるような新しいカラフルなファッションや最後のモッズ族(?)、長髪、またロックバンド・ヤードバーズ等、新旧が対立 and/or 共存した不思議な世界、アントニオーニが感じたこの独特な雰囲気が物語とも絡まって描かれていて面白かった。

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そしてこの『砂丘』は70年頃のアメリカ。利益追求で自然を開拓し住宅や別荘を開発する不動産業者のビジネス、冷戦やベトナム戦争の社会や国家的権力、機動隊、その反対側に学生運動や自然回帰的ヒッピー文化。『さすらいの二人』はアフリカと「ピレネー山脈の向こう側はアフリカだ」と言われるスペインが舞台になるが、ここでのザブリスキー・ポイント(映画の原題)や死の谷、荒れ野(砂漠)地帯の延々と続く広いアメリカの地理的自然環境。大都市の中心には近代的な高層ビルが建つが、場末に出れば広い殺風景な空間にアメリカ的安楽を歌う色々な製品や商店のカラフルで巨大な看板。町を出た廃れた村の酒場には40年前の栄光に思いを馳せて酒を飲む老人の止まったような時間。荒涼とした岩山の上にプール付きの快適な別荘を持つ有産階級。アメリカ文化の批判とかいう以前に、この南西アメリカのカリフォルニアやアリゾナの姿に違和感、珍しさや衝撃さえアントニオーニは持ったに違いない。そしてそんな中に生きる人間を彼は描いた。この北イタリア出身の文化人アントニオーニの目で捉えられたこうしたアメリカが何よりこの映画の魅力だ。

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カリフォルニアのとある大学。学生集会が開かれ、まさに学生紛争のさなか。学生達は大学をロックアウトし立て籠るが、警官隊が武力で介入する。先鋭的な一匹狼のマークはピストルを持って単独行動で大学に来ていた。学生が警官に射殺されるのを見て彼は警官を撃とうとするが、誰かが先にその警官を撃った。彼の姿はテレビにも写ってしまう。そんな彼は大学を抜け出すと飛行場で小型機を盗んでアリゾナの砂漠地帯の方へ飛び立つ。

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一方ダリアは砂漠に住宅・別荘地を開発する不動産業者のアレンのアルバイト秘書をしていた。彼女はアレンに気に入られていているが、彼女は自然回帰派というか、ヒッピー的思想の理想主義者だ。フェニックスの別荘での商談が予定されていたが、ダリアは飛行機でのアレンの同行を断り、一人車でアリゾナへ向かう。

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砂漠の中の真直ぐな一本道を走るダリア。上空からそんな車を見つけたマークは車の屋根スレスレに低空飛行して彼女をからかう。最初は怒る彼女だったが、いつしか2人はどこか心が通っていた。砂漠に着陸した小型機の方へ彼女は車を走らせる。ガソリン代は払うから30マイルほどの所に連れてってくれないかというマークの希望を受け入れ、2人は彼女の車で走りだす。目的地はザブリスキー・ポイントだった。湖底が隆起し食塩とホウ砂の砂丘が広がる美しくも奇妙な景勝地(?)だ。この誰もいない、音も何もない自然の中で2人は抱き合うのだったが、幻想として砂丘には無数のカップルが抱き合い、近代文明を離れた男と女の愛の行為そのものが繰り広げられ、謳歌されているかのようだ。バックに流れるジェリー・ガルシアの静かなギターが美しい。

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すべてではないけれど、アントニオーニの描く男性に、ボクはどことなく男の弱さとか卑怯さとか、そういうものを感じてしまう。アントニオーニというと 愛の不毛 とすぐ言われるけれど、それは必ずしも現代の人と人とのディスコミュニケーションだけの結果ではなく、男と女の関係の深淵にかかわるような部分もある。男の欲望と女に対するズルさとでも言ったら良いだろうか。それが強く描かれているのは前作『欲望』かも知れない。この映画でもダリアをとらえるカメラのあり方や、マークのダリアへの視線の一部とかにそれを感じた。だからこの2人も「この一時は」純愛のようで、決してアントニオーニは純愛の可能性は信じてはいないだろう。その辺が男である自分に対する正直な自己分析の結果なのかも知れない。

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(以下ネタバレ)
ダリアはラジオのニュースで聞いていたので、マークの素性を薄々知っていた。マークは撃とうとしたら誰かが先に撃ったと言い、彼女もそれを信じた。マークは飛行機を返すべく一人カリフォルニアに飛び立った。ダリアはフェニックスの別荘に向かった。しかし彼女がラジオで知るのは空港で待ち構えていた警官隊にマークが射殺されたことだ。荒れ野を開発して岩山の上に建てられた豪華な別荘、そこで文明的リゾートを楽しむ妻たち、そこで行われる金儲けのための商談、そういったものが当たり前のごとく存在した。世界の不条理に喪失感を感じる彼女の妄想は別荘の爆破を見るのだった。そしてそこに描かれるのはアメリカ物質文明の破壊でもあり、もしかしたら世界の破壊でもある。『太陽はひとりぼっち』にも核の脅威がちょっと描かれていたが、爆破された別荘から立ち登る火炎や煙の姿はキノコ雲を連想させた。

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Last updated  2007.08.07 06:13:38
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