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ラッコの映画生活

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2008.05.07
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TROIS COULEURS: BLEU/BLANC/ROUGE
Krzysztof Kieslowski

3couleurs1.jpg

このブログを書き始めるキッカケとなったのはキェシロフスキ監督のテレビ映画シリーズ『デカローグ』で、ブログのアドレスにも「KarolKarol」と、『トリコロール 白の愛』からとりました(ポーランド語のKarol = 英語のCharlieで、実は自分のニックネームがCharlieだというのもあるのですが)。そして恐らく日本で普通に接することのできるキェシロフスキ作品は(彼の遺稿による2本も含め)すべてレビューを書いてきました。でもある意味でこの監督の代表作である『トリコロール』三部作については書けないでいました。その理由は第1編『青の愛』にあります。それはこの『青』が少々苦手だからです。順番を無視すれば良いのだけれど、やはり1→2→3の順に書きたいと思うと、最初からこの『青』で躓いてしまうわけです。先日ある友人が観たいというので『赤』と『白』を一緒に見て、でもその友人はジュリエット・ビノシュ嫌いというのもあるけれど、ビデオジャケットの解説読んで「これは観ない」という。それで良い機会だと思い、今回この『青』を1人で見ました。

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嫌なら途中でやめるつもりでしたが、見始めてみると、それはやはりキェシロフスキ監督で、なかなか見せてくれます。最後まで見ました。それでこの『青』に対する抵抗感を中心に、この三部作全体とキェシロフスキについて書いてみることにします。

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この『青』、前半はかなり良い。対して後半がつまらない。ラスト付近が最悪。安っぽいハリウッド映画にも見えてしまう。監督自身脚本の持っていき方(や編集)に苦労したのかも知れません。他のキェシロフスキ作品を見ていて時々感じる、ボクがこの監督についていけない点、それが集約されている感じです。たぶんボクの持つ映画観といちばんズレる面が露になっている。世間はこの人を鬼才とか巨匠と呼んだりもするけれど、この人は映画作家であるより基本は映画職人なんですね。しかし類稀な人間に対する洞察や哲学がある。それを的確に表現できる脚本を書き、役者に適切に演じさせ、上手く編集して1本の作品に仕上げる。その能力は確かに天下一品かも知れません。

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この三部作にはそれぞれある別の監督の作品からの引用(オマージュ)があります。『青』の最初のシーンで樹木に激突した車からビーチボールが転がり出るのは『世にも怪奇な物語』のフェリーニ。『白』ではゴダールの『軽蔑』のポスター。『赤』では主人公のヴァランティーヌが観たと電話で話すピーター・ウェアーの『いまを生きる』です。キェシロフスキは自伝でもこの『いまを生きる』を誉めています。この自伝で、他には映画作りとしてはオーソン・ウェルズの『市民ケーン』に言及(『デカローグ6』およびその長尺版『愛に関する短いフィルム』ではスノーボールを使ってオマージュ)。そして『ケス』のケン・ローチが好きなようです(初期の『アマチュア』に映画史の本の1ページとして大写ししている)。

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そこで『いまを生きる』だけれど、テーマはとても良いとは思うものの、中味はキェシロフスキほどの重みのある演技や作りではなく、上っ面的にわかりやすい大衆受けしやすい作品。ケン・ローチの『ケス』はもう少し重厚だけれど、やはりローチという人も職人的ですね。そういう意味で、『ふたりのベロニカ』なんていうのは少し難解に感じる人もいるだろうけれど、「物語を語る」というのがキェシロフスキの基本姿勢で、「その物語を語るのにどういう映画的表現を使うか」という世界であって、「こういう映画的表現でしか語られない何かを語る」というのではないんですね。ただ上にも書いたようにキェシロフスキが類稀なる人間洞察力や哲学を持っていて、また彼の関心が偶然性や神秘主義にあるために、それを語ろうとしたときにあの魅力的な映画になるということなのだと思います。

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キェシロフスキが一般論として言っている映画作りのある難しさがあります。それは「らしさ」の問題です。例えば医者を描けば、普通の大多数の観客が医者らしいと感じても、医学の世界に生きる人々が見ると、医者はああいうことはしない、とかなんとかで医者らしくないと感じてしまうということです。そういう意味で、リヴェットが『美しき諍い女』で天才画家フレンホーフェルの描いた絵を画面に実際に出さなければならないように、『青』でキェシロフスキは作中の大作曲家パトリス・ド・クールシーの「欧州統合祝祭コンチェルト」を曲として流さなければならない。ズビグニエフ・プレイスネルという映画音楽作曲家をボクは高く評価しているけれど、やはりこのコンチェルトはそれほどの曲ではない。『ふたりのベロニカ』でのアレクサンデル・バルディーニの指揮者ぶりといい、イレーヌ・ジャコブの歌いっぷりといい、クラシック・コンサート通いをしていたボクの目から見るとあまりにも不自然だ。そういう意味で映画中映画は何の問題もないのだけれど、この『青』のコンチェルトはやはりいただけない。

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この三部作ではそれぞれ1組のカップルが登場する。『青』の主人公ジュリーと死んだ彼女の夫の助手オリヴィエ、『白』の別れた夫婦カロルとドミニック、『赤』ではカップル成立直前までだがヴァランティーヌとオーギュスト。三部作最後の『赤』のラストでドーバー海峡のフェリー事故が描かれる。そこで救出されたのは1435名の乗員・乗客のうちたった7名で、その1人はフェリーのバーテン、残りの6人はこの3組のカップルの6人だ。三部作を通して観てくるとそこに御都合主義を感じるかも知れないが、それはちょっと違う。救出された3組6名が、この事故で救出されるに至るまでの物語を語ったのが、それぞれ『青』『白』『赤』だったのだ。監督と脚本のピェシェヴィチによる映画の原案小説の最終章「エピローグ/方舟」の最後の部分を引用しよう。

判事は思った。神は、将来愛しあう者たちをこのようにして助け、誇り高い愛の誕生を願ったのだ、と。ジュリーとオリヴィエは『青の愛』で、カロルとドミニクは『白の愛』で、オーギュストとヴァランティーヌは『赤の愛』で、やがて魂に到達する愛の姿を示してくれることになる。

だが傍観者たちの中には、このできすぎた偶然をいぶかる者がいるかもしれない。しかし、この世に偶然などという運命はありえない。人が未知の人生に一歩を踏みだす、その時、人はあらゆる可能性の中から、無意識のうちにたった一つの可能性を選びとっているのである。その連続がいつしか人生を収斂させて、一つの必然、運命を生み落とす。つまり、生きているということは、否応なくある運命への道を辿ることなのである。いま、真の愛に到達しようとしているヴァランティーヌにしても、彼女は、結局は自分の力でオーギュストと出会う運命をかち取ったのだ。

ここで語られた物語を読む読者は、その運命がどのように生まれたかを知ることができたであろう。


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Last updated  2008.05.15 01:17:31
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