|
カテゴリ:カテゴリ未分類
BOY A
John Crowley 108min(1:1.85) (桜坂劇場 ホールAにて) (つづき) そしてあるキッカケから(自動車事故の子供を助けるという美談)写真が新聞に載り、それを見てジャックが悪魔少年であることを知ったある人物の悪意によって、ジャックの素性がバレてしまう。 この先はどうしてもネタバレになってしまうので、それ以外のことを先に書こう。この映画には2つの大きなメタファーがある。その一つは映画作法に関してだ。少年時代の重大犯罪とは級友の女の子惨殺。これは言い合いになった少女をフィリップが中心となって殺すのだけれど、殺害場面は明確には描写されない。それゆえエリック(ジャック)がどの程度関与しているのかわからない。前のシーンでフィリップとエリックが川で釣りをする。木の枝なんかで作った釣竿だけれど、体径7~8cmで体長1mぐらいの、ウナギだかハモだか知らないけれど、大きな細長い魚を釣り上げる。その魚をフィリップは棒で叩き、魚からは血が流れる。そして死んだか瀕死の魚を川に投げ捨てる。このシーンは少女がされたことのメタファーなのだ。実際の少女惨殺は描かれないけれど、魚と同じことをされたのでしょう。ここではフィリップが周囲の環境ゆえに内に持たされてしまった残虐性や暴力性を描くと同時に、映画としては描写が憚られる殺害シーンを無しで済ませる方策として巧みだ。またエリックの事件への関与も魚の場合と同様で、積極的関与ではなく、フィリップのすることを容認し、手助けする程度であったことがわかる。 そろそろネタバレが不可避になってきた。上に「ある人物の悪意」と書いたけれど、それはテリーの息子だ。離婚した妻との間の息子が、ジャック(エリック)の出所と時を同じくして、独り住まいのテリーのもとにやってくる。理由はあまり明確には示されないが、たぶんテリーは夫としても父としても失格だったようだ。やってきた息子は父テリーの家に引きこもって何もしない。息子の求めるのは父テリーの愛情だ。しかしテリーはこの実の息子に上手く接することが出来ない。息子を呼ぶのに誤って「ジャック」と言ってしまう始末だ。ソーシャルワーカーの仕事では、殺人犯のジャックを「我が傑作」つまりは父子関係の父としての成功と有頂天になり、かいがいしく愛情を注ぐ。息子は嫉妬と父への憎悪を募らせていく。 (つづく) - お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.11 00:00:39
コメント(0) | コメントを書く |