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ALICE
aka NECO Z ALENKY Jan Svankmajer 84min(1:1.33) (桜坂劇場 ホールCにて) 実写とアニメーションの合成による幻想映画、前回の『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』に続き第2段。クエイ兄弟作品には幻想ではなく幻滅だったが、こちらシュヴァンクマイエル作品は楽しめた。 クエイ兄弟の作品は2005年の製作で、1988年に限られた予算で作られたこの『アリス』より画質など表面的には立派だが、内容的にはゼロに等しかった。『ピアノチューナー』を見終わったらちょうど知人B子さんが場内にいらして、「どうだった?。」「ダメだったね。」と互いに納得。今回『アリス』では上映前にB子さんのご主人Uさんに遭遇。「先週B子さんに会ったけど、Uさんも『ピアノチューナー』観たの?。」「うん、最低!。観なけりゃ良かった。」というわけで『ピアノチューナー』は我が周辺では評判が悪い。ちなみにこのご夫婦はゼロ才のお子さんを抱えておられるので、片方が子守りで別々に映画を観に来られる。 今回のシュヴァンクマイエル作品はストップモーション・アニメーションと普通の実写の合成。ストップモーション・アニメーションとはここでなら人形等を少しずつ動かしコマ撮りしていくもの。セル画アニメもCGもないから、広い意味ではすべて実写とも言える。 いつも書くようにボクはアニメーションの類が(映画としては)苦手だ。役を演ずる人間が出てこないのが詰まらない。ここでは(冒頭でほんの一瞬姉が出てきた他は)アリスを演じたクリスティーナ・コホトバ(英語版なので台詞はカミーラ・パワーという人)以外に生の人間は出てこない。このクリスティーナ嬢はなかなか良かった。ルイス・キャロルの「アリス」のかなり忠実な映画化なのでアリスはインクを飲んだりクッキーを食べたりして、小さくなったり元通り大きくなったりするけれど、小さくなった彼女は人形での表現となる。つまりはその時点で生の役者は居なくなる。もちろんアリスが元の大きさになれば、またクリスティーナ嬢に戻る。 アリスが人形になって生の人間が画面から消えたとき、正直ボクの画面に対する興味・関心は薄れていく。このことが(少なくともボクにとって)意味するのは、この映画の魅力を構成しているのが、クリスティーナ嬢だということだ。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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