今日のブログ管理ページの更新情報を見ると、
もう、CUG祭りになっていることは一目瞭然
(CUG=クローズアップ現代の略)。
レオンくんのページも更新されています。
みなさんの感想、主張はある程度、想像つきますが、
今日一日あの30分をひとりで反芻して今考えていることを
まとめて書きたいと思います。いつもよりフォーマルに......。
でも、果たしてうまく伝えることができているでしょうか。
NHKクローズアップ現代「小4の壁を乗り越えろ」
(2009年6月19日放送分)感想
言語能力の発達が思考力の養成につながるという勘違い
ため息が出てしまった。結論から書けば「残念」な番組構成であった。そもそも、「思考力を養うのにはまず言葉を増やすこと」「そのためには読書量を増やせ」という流れ、または結論のために、なぜ糸山泰造氏のインタビューが引用されているのかがまったく理解できなかった。なぜなら糸山氏は「思考力は、イメージする力を養うことによって伸びる」という考え方の持ち主だと私は理解しているからだ。
言葉の源は、感じて動く心にほかならない。
見る、読む、聞く、食べる、嗅ぐ、触る......これらの感覚が心につながっていくことこそが味わっている、という状態で、そこで初めて子供たち(私たち)は「表現したい!」と思う。感じる。最初は言葉がうまく見当たらないかもしれない。語彙の少ない子供なのだから、あたりまえだ。しかし、それでもいいらしい。何故なら言葉は道具だからだ。道具の調達はいつだってできるし、つるつるピカピカの道具である必要もない。
感じる心、つまり感情があって言葉が生まれる、というのが本来の順序だろう。言葉が生まれた背景がまさにそうだったはずだ。象形文字も楔文字も、きっと表現したくてたまらなかった古人たちが考え抜いた挙句に作り出したものだと想像する。
何かが足りない、欲しいと思う。だからそれを作り出す。何かを成すために、何とかしようとする。そうして人類は時を過ごしてきた(あえて進歩してきた、と書くのは避ける)。言葉もそういった人間の自然な欲求から生まれたものだろう。思考よりも前に言葉があるのではなく、言葉より前に思考があり、欲求があり、イメージがあるはずだ。
子供たちにたくさんの本を与えれば言葉が育ち、それが思考力養成につながるという議論は、糸山氏の主張とは全く逆を向いた考え方だ。十分に感じ、味わう機会を与えるよりも、大量の言葉を先に覚えさせることは、感じることなしに言葉だけを操るようになる、「高度なサルまね」をすることを覚えてしまう危険性が高いと糸山氏は主張している。
先日、息子が「読解力」という言葉を勘違いして「ドッカンリョク」と言った。もちろん、本人が意図したわけではないが、「読感力」という漢字がふと浮かび、読んで感じる力、これを育てることこそが読書をする意味だ、と思った。大量の読書をすればいいというのではない。少ない量の読書でも、感じる、味わうという深い感情の動きを経験することが大事なはずだ。
いろいろな意味で日本一の大学の先生が「読書量を増やすことで言葉が覚えられ、思考力が身につく」とお考えであることは遺憾であるが、それよりも、この先生の結論に達するために糸山先生のインタビューの一部のみが引用されたことのほうが残念で仕方がない。