八咫烏
仏像の光背が、キリスト教聖徒のイコンにみえる輪光と同じく、モティーフとしてはイラン起源の物であることは、すでに周知の通りである。中略光輪 の多面 なあらわれ を取扱 つてい るが, 中で も印象的 なのはイマのそれで ある。至福千年王 国に君臨 していた彼は罪 に よつて王位 を失 うがそれ とともに 正統王者 のシンボルた る 「光輪 」 も彼から去つてゆく。否 「光輪 」がさだめに従つて彼から去り, 彼はこれによつて王位を失つたといつてもいいだろう。テキストは 「光輪」が ワールガンvaregan鳥(鷹 鶴の類)の姿となつて三たび去っていつたと伝 えてい る。サーサー ン王朝諸王の王冠に翼をあしらっているのは, この鳥を シンボ ライズ した ものである。 しか も幸運 なことに, この古いイマの光輪物語 は ビーソトゥーン磨崖 のアフラマズダーの浮彫りに再現されて今日に伝えられている。西暦前519年 に作成 され たこの浮彫りにおいてアフラマズ ダ が 身にまとつている円環はまさに 「光輪」 の本体左右両翼と尾翼はワールガン鳥を示ししかもそれらの一々の羽毛はやや図式化 されて光条をかたどり左右に放出された帯とともに,「光輪 」の放つ光芒を表象する。帯の先端が三分されているのは「光輪」がワールガン鳥となつて三たび翔去した前記の物語りをうかがわせる。 ワールガン鳥との関係はさらに王墓(在 ナクシェ・ロスタム)の形そのものにもみられる。従来, 亜字形とか十字形などといわれて きたその形は,じつは, この鳥が両翼を大きくひろげたものにすぎない。 そのほかにも, イマは 「光輪」 によつて祭司 ・戦士 ・農耕 の三職能階級を創制したことも諸書にみえるのみならず,「アヴェスタ ー」は ウォルカシャ海に去つた「光輪」を追うてツランのフランラスヤンが三たび泳いで捉えようとしたが失敗に帰したことを伝 えている。「光輪 」と三の数詞 とのかかわりは多種多様である。さちに この浮彫りにおいてアフラマズダーが左手にたずさえているものも同じ「光輪」で,彼はそれ をまさに ダーラヤ ワゥ(ダ リウス)一 世 に授 けよ うと しているのである。 後世, 多くの浮彫りにアフラマズダーがそれを即位する帝王に授与する場面が描かれているが, そのような政治史的関連のほかに, 宗教史的にも「光輪」は種々な意味合いを含蓄して複雑な概念となつた。 冒頭 にも記したように,「光 輪 」の光りはひろく東西に光被し, 限りある紙面のよく尽くしうるところではない。 仏像光背の背景を示すイラン語詞について 伊藤義教著より抜粋