テーマ:日本の伝統と文化(317)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
過近江荒都時 柿本朝臣人麻呂作歌 玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと云へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる 百磯城の 大宮処 見れば悲しも 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 阿礼座師 神之盡 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 何方 御念食可 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 百礒城之 大宮處 見者悲毛 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 阿礼座師 神之盡 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 何方 御念食可 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 百礒城之 大宮處 見者悲毛 口語訳【一】 畝火山の麓、橿原の宮に神武天皇が即位なさって以来、お生まれになった天皇の全てが次々と天下をお治めになった大和の国を後に、奈良山を越え、どうお想いになったのか、遠く鄙びた近江の国の大津の宮で天下をお治めになったと云う天智天皇、その尊い皇后は此処であったと聞くけれど、御殿は此処であったと云うけれど、今は春草が生い茂り、霞が立って、春の日差しも鈍く霞んでいる。栄えた大宮の跡を見れば、悲しみに胸が塞がる 〈和歌集成〉 口語訳【二】 畝火山のふもとの橿原で、御位につかれた神武天皇の御代以来、この世に姿を現された天皇が次々に天下を治めになっていたのに、大和を捨て置いて奈良山を越え、どうお思いになって、田舎である近江の国の楽浪の大津の宮で天下をお治めになるのだろうか。天智天皇の神の旧都はここと聞いたけれど、春草が生い茂り、霧が立っているこの大宮の跡を見ると、何とも悲しい。 〈古典に親しむ〉 口語訳【三】 畝傍(うねび)の山の橿原(かしはら)におられました神の代からお生まれになって代々に渡って天下を治められていたのに。大和の国を離れて、奈良山を越え、どのように思われたのか、都から離れているところですが、近江(あふみ)の国の大津の宮で天下を治められたそうだ。 〈万葉の想い〉 口語訳【四】 畝傍山麓の橿原の宮に御即位になった神武天皇の御代からお生まになった御歴代の天皇の全てが、次々に大和で天下を治めになったのに、その大和をさしおいて、奈良山を越えてどのようにお考えになったからか、遠い田舎ではあるが、この近江の國の大津の宮に移って天下をお治めになったという天智天皇の皇居は、ここだと聞くが、御殿はここだというが、今は春草が生い茂り、春の日が霞んでいるでいる。この大宮の跡どころを見ると悲しいことだ 参考にした書籍 「英語で読む万葉集」リービ英雄 平成十七年 六月二十八日 市丸「三味線ブギウギ」を聴きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月29日 08時26分01秒
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