カテゴリ:経堂町小史
14日土曜日の朝、BSのワールドニュースを見ていると、米国からのニュースで、パリ同時多発テロの報。
死者129人。呆然。 亡くなった方々に心からの哀悼。負傷された方々には安全と治癒をお祈り申し上げます。 前日には米国空爆によるジハーディジョン殺害のニュース。報復とすれば、あまりにもタイミングがよすぎる。 たまたま計画したテロがジハーディジョン殺害への報復機会に合致する偶然でなければ、ISILは、いつでも、好きなときにフランス国内でテロを起こすことが出来るということになる。 そこまでとは信じたくない が........ :::::::::::::::::: 過日、北沢川ファイナルでご一緒した中で、「世田谷線沿線を歩いて、そのあと食事」という企画でお誘いしたところ、Facebookを通じ、早速に開催の段取りが整えられていた。 たまたま、世田谷区の郷土資料館で、「世田谷の土地 絵図と図面を読み解く」という企画展が開催されており、皆さんそちらに関心が深いところから、現地集合。お誘いした自分が一番最後の到着で14時、ほかの皆さんは上町駅近くの「サイゴン」でお食事のあと、郷土資料館へ移動。 「一番最初の一枚に40分かかりました」という皆さん。 古地図でめぐる今昔 東京さんぽガイド (玄光社MOOK)などの著書もある荻窪圭さんはじめ、皆さん一家言も二家言もある方々。 それほど広くもない資料館であるが、江戸から明治、大正、昭和と、世田谷にかかわる絵図、地図に含まれる情報量は半端でない。ひとつひとつの絵図、図面について、これはどこか。あれはあそこか。あそこはこうなっていたんだ。地図で上が北とは決まっていなかった。それを決めたのはやはりヨーロッパか。そのあたりはまだしも、この色はどうやってつけたのか。この図面のドットはひとつひとつ色が違うが、印象派より、年代的には前ではないか。まで話しが飛び出し、これはどうなることか と思ったが、その後は順調。 狭いスペースに限定された常設展示まで拝見して、15時過ぎ。 小雨の中、歩くかどうか? 「土砂降りならばともかく、この程度なら決行です」とおっしゃるのは豊田さん。ご近所さまだ。 ならば、と思ったところ、仙川在住の和田さんが、「経堂にあるという同潤会住宅を見てみたい」とおっしゃる。この方は、小中学校の後輩にあたる。荻窪さんもご異論なく、「では」とあっけなく、企画変更。 郷土資料館から六郷田無道に分け入り、経堂を目指す。 「六郷田無道もそうですが、同じ道でも場所によって名前が変わることがあります。例えば六郷田無道は、このあたりではボロ市通りと呼ばれています」 そうだった。六郷田無道の先は、千歳船橋で小田急線をくぐってから先は千歳通りとなるが、その手前、稲荷森稲荷神社付近でもボロ市通りと呼ばれている。 「そういえば、確かにあそこでもボロ市が開かれますね」と荻窪さん。 六郷田無道を歩くのは久しぶりだ。わずかのようではあるが、数年経つと、かなりのことが変わっている。 「この家は、建てかわる前を知っています。道路が拡幅になり、敷地が狭くなったので、こんなデザインになったんですね」という、角地に建った面白いデザインのお宅。 「この住宅地は、つい、こないだまで、畑だったんですよ」 「そうでした。奥に水路が流れてたんですよ。どうなったんでしょう」 青葉学園のグラウンドへ入る道に橋の痕跡があり、そこに水路があったと知れる。 「橋の下流側は最近宅地を造成したんで旧水路は舗装されてますが、反対側は昔のままなんですね」 そんなことをやって、いつまでたっても経堂へ行き着かない。 「5時に駅で待ち合わせだから、同潤会住宅見てから駅へ向かうので、そろそろ気入れて歩かないと、間に合わなくなりますよ」 飲み会から出席の女性と待ち合わせているので、ここは時間無制限というわけにいかない。 ようやく、六郷田無道から経堂大橋におりて、農大通りへ入る。 今のお宅に引っ越されるまで、そのあたりにお住まいの荻窪さんは、さすがにこのあたり詳しい。 「洋菓子屋さんなくなっちゃったんだね」 お店の名前は忘れてしまったが、石井さんという方がやっておられた。娘さんがウチの妹と同じ歳で、僕のところで働いておられたので存じ上げる。 「この奥に風呂屋があった」 そういえば、かすかに記憶がある。 「この古本屋さんでは古地図をよく買います。神保町で買うより安価で面白いものが手に入るんです」 瀧坂道の旧道で 「この角が三河屋さんていう、いい酒屋さんだったですね」 「北側の東経堂団地へ折れるところの角も三河屋さんで、こちらの分家だったんじゃないですか?」 「あぁ、あそこ。うちから一番近い酒屋さんで、配達してもらってました」 こちらは地元出身の和田さん 「この後ろ側に遠藤書店(経堂のすずらん通りにある古書店)が支店出してましたね」 数年前に閉店されてしまった。 そういえば、経堂は古書店の多い街だ。 「この奥は、昔映画館で、南風座っていいました。こちらは大人向けの映画館で、子供が行くのは奨励されない場所でしたね」 これは僕。 「三井住友銀行んとこも確か映画館でした」 50年以上前の話。 小田急の線路をくぐって、皆さんはそこの小倉庵で鯛焼きをお求め。 「お買いにならないんですか?」 「僕は、たつみ(下高井戸)専門なんです」 「 同潤会住宅 の一帯と思しきあたりをご案内するが、もはや、それと分かるお宅は一軒もない。 夕方先約がある荻窪さんは、ここまでで、お別れ。 「そういえば、一色邸。壊されちゃったんですよ」 「えっ!?」 恵泉学園の理事長などを勤められた一色さんのお宅。 旦那さんは、東工大の先生で、統計力学の教科書には悩まされた。 「解体前に一日だけ、内部が公開されたそうなんです。荻窪さんはいち早く情報仕入れられて、ごらんになったっておっしゃってました」 なんてこったい。 アリスタージュ経堂のほうに抜けてみる。 「どうして京王なのに、経堂なのかって、思うんですよね」 「ここいらへんが、東京と神奈川県の境だったんですね」 先ほど郷土資料館で見た地図。 明治の最初の頃、経堂の属する荏原郡は東京、千歳船橋が属する北多摩郡は神奈川県にそれぞれ帰属していたことがある。 住宅街を抜けて、恵泉女学園裏から旧千歳郵便局跡地 ここに千歳郵便局が置かれていたのは、このあたりが、千歳村がもっとも東京に近い場所であり、そこに郵便局が置かれたのは、郵便物の運送の便を考えたものだろう。 千歳郵便局は、今、経堂の町内にあるが、それを不思議に思われる方は、もう殆どおられまい。 一生懸命歩いて、17時の待ち合わせには十分間に合う時間にいったん帰宅。 皆さんそろったところで、家飲み開始。 ビールにワイン。 つまみは、 小松菜、ささがきゴボウ、あさりの酒蒸し、青椒肉絲、とろとろロールキャベツ、五目あんかけ焼きそば ふだんの僕らとは違い、年代的に若い方々は、それなりに食欲旺盛。 それだけでは足りず、ほうれん草の胡麻和え、ポテトフライ、さらにサツマイモを急遽追加。 最後はロールキャベツの出しを使って、しいたけ昆布。 さらに、二次会へと流れ、今日も夜は更けていくのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|