テーマ:今日聴いた音楽(73746)
カテゴリ:音楽あれこれ
自分にとっての九〇年代。それはハルマゲドンだった。子供の頃からノストラダムスの大予言をインプットされた自分にとって、一九九九年のハルマゲドンは絶対に起こる最期の大イベントだった。「そんなものは起こらないかもしれない」そう思ったりもした。しかしそれは自分にとっての希望だった。一九九九年に起こるハルマゲドンのために生きている。九〇年代の僕の人生とはそういうものだった。
だからミッシェル・ガン・エレファントが好きだった。彼らの音楽から、僕はハルマゲドンへの期待を聴き取っていた。 世界の終わりは そこで待ってると 思い出したよに 君は笑い出す 赤みのかかった 月が昇るとき それで最後だと 僕は聞かされる 『世界の終わり』 解散ライブの最期の曲に『世界の終わり』を歌ったミッシェル・ガン・エレファント。『世界の終わり』は、世界の終末を唄った曲ではない。「僕」は「悪いのは全部君だと思ってた」わけであるし、「狂ってるのはあんた」なのだとわかっている。でも「世界の終わり」を信じ、「待ち焦がれている」君を「僕」は否定しない。「僕」はそんな「君」に何かを諭そうとするでもなく、一緒にいる。「君」のいう「世界の終わり」を信じているわけではないけど、「君」の言うことを真っ向から否定して見捨てようというわけではない。敢えて、そんな「君」と一緒にいることを選択したのだ。そんな「僕」と「君」との関係を『世界の終わり』は唄っている。 「僕」はなぜ「君」を見捨てようとしないのか。それは「僕」の心の中で、世界の終わりを信じたいという気持ちがあるからだ。本当は「君」の言うように世界が終わればいい。だけど「君」みたいにそれを完全に信じ込むことはできない。そこからミッシェルは始まった。 完全に信じきることはできないけど願望として近い先にある「世界の終わり」。そんな眼差しでミッシェルは、ハルマゲドン前の世界を見つめ、歌を作ってきた。それを明確に意識し始めたのが、『チキンゾンビーズ』というアルバムである。そのアルバムの収録曲『ゲット・アップ・ルーシー』でミッシェルはこう唄う。 ねぇルーシー 聞かせてよ そこの世界の音を 黙りこむ 黙りこむ ねぇルーシー ふたり 幸せ見つけたね 終わりだね 終わりだね 『ゲット・アップ・ルーシー』 ルーシーに対する問いかけ。それは自分たちの立ち位置についての確認でもあった。世界の終わりを信じるのか。あるいはそんな「君」を見捨てるのか。ミッシェルは「世界の終わり」を取った。それと同時にミッシェルの音楽は強力に加速して行く。痙攣するようなギター。爆音のようなリズム隊。つんのめるように進んで行くビート。そしてギリギリまで無駄を削ぎ落とされた歌詞。 それは『ギヤ―・ブルース』というアルバムで頂点に達する。ハルマゲドン前の狂った世界。そんな心象風景をここまで簡潔に唄いきったバンドはミッシェルしかいなかった。だからこそミッシェルは九八年の台風の目となった。 しかし一九九九年は何事もなく終わり、二〇〇〇年が来た。世界中が「ミレニアム」といってお祭りのように浮かれた二〇〇〇年という年がやってきてしまった。その年に発表された『カサノバ・スネイク』には、ハルマゲドンに裏切られ、呆然としている様子が誠実に表現されている。 これから先「トンネルは続く」だろうし、それが終わるときは多分「サボテンの毒針で」日常に覆い被されていくように死ぬだけなのだろう。そこにはドラマチックな大破滅も、カタストロフもない。 それから彼等は「世界の終わり」のサングラスを着けてではなく、これから先もずっと続くであろう世界をそのまま表現するようになった。終わりが近いから狂っているのではなく、これから先も同じように狂っている世界。それは美しくもなく、汚くもない。ただドラマチックな大異変がないだけだ。 それはちょうどフロンガスがオゾン層を破壊していくプロセスと似ている。フロンガスはこれから先二〇数年かけてオゾン層を破壊していく。それは地球に降り注ぐ紫外線が増大するという悪影響をもたらす。それは地球上の動植物に確実にダメージを与えるけど、それですぐに世界が滅亡すると言うわけでもない。言ってみれば長い年月をかけて達成される長いスパンのハルマゲドンだ。 それを悟った時、ミッシェルは解散した。「オレ達に明日がない」のは確かだけど、かといってすぐに破滅できるわけでもない。先延ばしされた死を前にミッシェルは音楽を止めてしまった。 チバは最後のステージで「バイバイルーシー」と言った。それはきっと、彼らが先延ばしされた死を引受け、それを生きていくことの意思表示でもあるのだ。だからこそ逆にミッシェルは解散しなければならなかった。 世界貿易センターのビルに飛行機が突っ込んでも、終わらない戦争的日常が始まっても僕らはすぐに死ねるわけではない。どんな大事件もどんな大破壊でも簡単に吸収されてしまう日常という狂ったリアル。 でも多分そのずっとずっと先のほうで、「世界の終わりはそこで待ってる」はずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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世界が終わるといってる女の子を、「狂っている」と思いながらも決裂せずに横で眺めている男の話だと思います
(2022.03.04 18:11:50)
これはさんへ
コメントありがとうございます。 僕も同じような感想をこの曲を聞いたとき思いました。 「狂っている」と思いながらもそれを否定せずに一緒に存在している。単にそれだけでもその「狂っている」彼女の影響を受けてしまう。 「パンを焼きながら待ち焦がれている」彼女と僕は、そのときが来た時に違う方向へ向かうのだろうけれども、今は奇跡的に「彼女」と同じ方向を見つめて一緒にいられる。 そんな微妙な彼女との関係性を歌ったこの曲は 僕にはとても美しいと思うし、そうしたことに憧れていた僕は90年代から逃れられないのだろうなとも思います。 (2022.03.06 13:29:33) |
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