カテゴリ:音楽あれこれ
2日目もシャーベットの登場とともに大雨が降り始める。シャーベットのステージはベンジーの「静」の部分が思う存分発揮されたもので「踊りまわる」というより「聞きこむ」という感じで観客をその世界に引き込んで行った。
100Sが演奏したオレンジコートは、収容しきれないほどの客であふれかえっていた。フィールドオブへブンとの兼ね合いのためか音量がおさえ気味だったのが残念だった。しかし今回の演奏を見て中村一義がなぜ100Sというバンドを結成したのかわかったような気がした。 『金字塔』『太陽』といった中村一義のソロ時代の作品は、その才能を感じつつも僕自身はそれにのめりこむ事ができなかった。閉じた感じが気になったからだ。しかし『ERA』や100sの結成を経て、中村一義の曲、特に歌詞は非常にわかりやすくなった。 「状況の入り組んだ部屋」で自閉していた青年が「希望」を見つけ出し、それを世界に発信するために必要だったツール。それが100sというバンドであり、100sという共同体だったのではないだろうか。 最後の曲は『ロックンロール』演奏ミスがあったりしたが、それがかえって生の演奏の躍動感を感じさせてくれた。 サンボマスターは、僕自身はあまり好きではないバンドだ。だが僕はサンボマスターのステージを見ていて心を揺さぶられ涙が出てきた。ボーカルの山口は言った。自分は愛と平和を歌いたい。汚くってカッコ悪くって欲望まみれの愛の歌を唄いたい。でもロンドンのテロで自分の無力さを知った。自分が歌う「愛と平和」なんて子供の戯言に過ぎなかったのだと。 彼にはそんな事はバンドを始める前からわかっていたはずだ。ロックなどラジオのスイッチが切れてしまえば消えてしまうそんな儚いものである事を。ジョン・レノンもボブ・ディランもクラッシュも結局は世界を帰る事ができなかった事を。そしてロックとはそんな無力な人々の悪あがきでしかない事を。それでもあえて、山口はロックが世界を変えるという幻想の信者を演じて見せた。自分のカッコ悪い身体をさらけ出してのた打ち回りながら、悪あがきを演じてみせた。そんな悲壮感に僕は当てられたのかもしれない。 エイジアン・ダブ・ファウンデーション(ADF)の音楽は、まさに無国籍のダンスミュージック。まるでアルカイダ構成員のような風貌のADFメンバーが怒りを持って叩きつける得体の知れないダンスミュージックは圧巻というしかない。ジャンル分けが不可能かつ無意味なそのダンスミュージックは、二〇〇〇年型のパンクロックと呼ぶにふさわしい音楽だと僕は思う。 ベックのステージは彼自身の好調ぶりを反映したものだった。『ルーザー』は若いロックファンにはあまりなじみがなかったのか、思ったほどの合唱にはならなかったが、「デビルズヘアカット」や「セックスロウ」といった最近の曲では観客を沸かせていた。ベックのバンドの演奏力も凄まじく、グラスや食器を使ったメンバー全員のパーカッション大会ではため息が出るくらいのコンビネーションだった。 この日最後のステージはファット・ボーイ・スリム。フジロックでのFBS出演は僕にとっては長年の夢だった。ノーマン・クック登場直後から雷雨がまた激しくなる。山の切れ間から稲妻が走るという最高の演出効果の中、FBSは会場を大型のクラブ会場に変えてしまった。 サンシャインオブラブのダンスミックスもよかったが、個人的にはホワイト・ストライプスの「セブン・ネイション・アーミー」とパブリック・エネミーの「ブリング・ザ・ノイズ」のラップを融合させたミックスが印象的。さすがはノーマン・クックとうならせるセンスの良さだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.07 14:51:52
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