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ken tsurezure

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trainspotting freak

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2024.05.10
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カテゴリ:音楽あれこれ
小沢健二の音楽キャリアには断絶期がある。「Eclectic」というアルバムを発表してから長い間、曲を発表しなかった。その結果、彼が90年代に発表した作品はまさしく90年代という時代と心中したかのように、90年代を象徴する音楽として記憶されてしまった。そして2017年に「流動体について」で突然彼は僕らの目の前に現れた。
その間彼が何をしていたのか、僕は知らなかった。
それはちょうど小沢健二の30歳代に当たる。当たり前ではあるけど30代は色々な人々にとっても重要な仕事をしたり、成し遂げたりする時代だ。実はその頃小沢健二は学術活動にいそしんでいたらしい。
「流動体について」が発表された2017年。90年代、あるいは1994年から約20年の年が流れた。その流れた月日は、90年代に僕らが感じていたヒリヒリした生々しい傷口の痛みが忘却の彼方へと消えていった。そして90年代はセピア色のノスタルジーの世界に変わってしまった。それがよいことか悪いことか、僕にはわからない。でも「Lovely」や「強い気持ち強い愛」は僕が若かった時の讃歌として2024年に戻ってきた。
偶然なのか必然なのか、それはわからないけれど、小沢健二はそんなタイミングで僕らの前にまた現れた。
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「フクロウの声が聞こえる」で始まった今回のライブ。小沢はいつもに増して饒舌に語った。
例えば、人口ピラミッドの変動について。その変動に伴う音楽享受についての小沢の私見。あるいは「構造」という概念について。
それは多分、小沢の30歳代の仕事の成果を反映したものなのだろう。
学術の言葉と文芸の言葉は違う。
西部邁氏がパーゾンズというアメリカの社会学者について無骨で無粋だと評価したエッセイを思い出す。
パーソンズという社会学者は社会や行為についての一般理論を考察しようとした人で、その難解で晦渋な文章は有名だった。
その難解な言葉を西部氏は「無粋」だと評した。その晦渋な文章を西部氏はまるで女性の臀部を細部にわたってそのまま書き表したような文章だというのだ。もし文芸の才がある人ならば、例えば女性の臀部を桃だとか花弁だとか、そういった比喩を使って表現するだろう。
しかしもし人文科学、社会科学の文章を目指すならば、そうした無粋な文章表現を受け入れざるを得ない。そうとも言っていた。
小沢健二は言うまでもなく文芸畑の人だ。学会での論文発表ならばまだしも、例えば音楽のアルバムやコンサートという場では「無粋」な表現はできない。あるいはリスナーや観客たちはそれを求めない。
そのために彼は何重もの仕掛けを用意していた。
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今回のライブでは「秘密の小道具」として笛が配られた。よく体育の先生が吹いているあの子笛だ。それでコール&レスポンスをして参加してほしい。そう小沢は語った。
「フクロウの声が聞こえる」の次の曲は「天使たちのシーン」をはさんで「Lovely」。その「Lovely」は90年代の頃とは違うアレンジで演奏される。2024年の「Lovely」だ。それでも会場は一気にボルテージをあげる。2階席の後ろという奥の席でも会場の大合唱がよく聞こえる。その一曲で小沢は会場の空気を自分の土俵に引き込んだ。
一旦着席を求めて新曲を歌ったあと、「アルペジオ」から「いちょう並木のセレナーデ」というしっとりとしたいわゆる「聴かせる」流れに入る。そこでも小沢は「歌って」と観客に合唱を求める。すると「いちょう並木のセレナーデ」の合唱が会場に響き渡る。小沢は完全に観客の心をそこで掴んだ。
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20代に彼が行った最大の創作「Life」。それが持つ破格な曲の威力を彼はよくわかっている。それを「今」につなげるにはどうしたらいいか。あるいは30代に彼が行っていた「仕事」「成果」を「今」に反映させるにはどうすればいいか。その答え、あるいは中間総括が今回のライブだった気がする。
そしてそれがなかったら小沢健二のライブは単なる90年代ノスタルジーの中へ消えてしまう。
少し難解な曲間のモノローグ。「Life」の頃とは違うけどポップで少し理屈っぽい歌詞の新曲。それを何とかエンターテイメントの枠の中で伝えようとした今回のライブ。
2020年のとき、少し敷居が高く感じたライブよりも、今回のライブは単純に楽しめた。それは90年代同窓会ではなく2024年の小沢健二のライブとして楽しめた。90年代の曲の方が合唱しやすかった。それは否定のしようのない事実ではあるけれども。
新曲の「ノイズ」でヴォーカルを担当していた人(だと思う)がゲスト出演したり、スチャダラパーがまさかのゲスト出演というサプライズもあった。
「ある光」や「彗星」で観客席が合唱に包まれるという感動的な場面もあったけれども
今回のライブの最絶頂は「強い気持ち強い愛」と「今夜はブギーバック」だった。
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アンコール最終曲で2回目の「ぶぎ・ばく・べいびー」をスチャダラパーと共に終えた後、感謝の言葉と共に小沢健二は「日常へ戻ろう」ではなく「闘いに戻ろう」で締めた。
90年代。まさに日常を生きることが「平坦な戦場でぼくらが生き延びること」だった頃から30年。幸か不幸か状況はますます悪化し、あの頃よりもはるかにタフでシリアスな状況に僕らは生きている。そこから逃げないでほしい。そう小沢は言いたかったのかもしれない。
戦場のボーイズライフは今もまだ終わらない。僕らにとっても。小沢にとっても。





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Last updated  2024.05.10 02:02:48
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trainspotting freak@ Re[1]:世界の終わりはそこで待っている(06/19) これはさんへ コメントありがとうござい…
これは@ Re:世界の終わりはそこで待っている(06/19) 世界が終わるといってる女の子を、「狂っ…
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trainspotting freak@ コメントありがとうございます aiueoさん コメントありがとうございます…

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