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ken tsurezure

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trainspotting freak

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2006.03.01
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カテゴリ:読んだ本
 ある日「僕」のもとに召集令状が届く。「僕」のすむ町ととなり町との間で戦争が起こったのだ。しかしその戦争の痕跡は「僕」には見えない。砲弾も集中砲火もない。でも確実に戦死者は増え続けている。そんな中で、「僕」はこの戦争へ知らず知らずのうちに荷担していってしまう。
 『となり町戦争』の著者は第二次ベビーブームに属する年代に生まれている。そんな彼女や僕達が体験した戦争。それは「湾岸戦争」である。これは僕の想像でしかないが、著者はその戦争を巡る言論や論争をかなりまじめに追って考えた若者の一人だったのではないだろうか。だから『となり町戦争』はそんな著者による「戦時文学」であると僕は考えている。
 この戦争には銃撃戦や対空砲火は全くない。戦争が始まっているのに『僕』の生活は全く変わらない。行政が発行する市内報では戦死者も出ているというが、戦争の実態はまるでわからない。だからこそ「僕」は召集令状に書かれた任務を半ば安心して遂行してしまう。それがこの戦争にとってどんな意味があるのか。そうすることで自分はどのようにこの戦争の中に組み込まれてしまうのか。そんな自覚もあるいは責任も感じないまま「僕」は任務として与えられた偵察業務を行ってしまう。
 そんな「僕」は一般的に戦争は悪い事だと思っている。しかしなぜ戦争が悪いのかを例えば社会正義だとか人道的理由だとかいったような「天下国家」的なバックボーンをもって語る事ができない。戦争が悪い事の理由。それは「僕」にとって、浜崎あゆみが好きか嫌いか、スマップが好きか嫌いかといった個人的な趣味の問題でしか語る事ができない。
 やがて町の命令で「僕」は香西さんという市の行政担当者ととなり町へ潜入し、情報収集活動をするように命ぜられる。香西さんはこの戦争に関する行政の担当者でもあり、開戦にかかわった「当事者」でもある。
 だから「僕」は香西さんになぜこの戦争が必要だったのか、この戦争に何の意味があるのかを聞こうとする。しかし香西さんは市の予算と公共事業としての戦争のメリットを「行政的用語」で繰り返すだけで、釈然とした戦争の意味あるいは正戦論を聞き出すことができない。香西さんが本当はこの戦争をどう思っているのか。その「行政的用語」で香西さんがこの戦争の正当性を疑っていないのか。それは「僕」にも読者にもわからない。
 「僕」の生活に大きな影響を与えない「となり町戦争」は、しかし日々を追うごとに戦況が悪化し始める。そして「僕」はいつのまにか戦場の中に巻き込まれる事になる。
 戦況の悪化と共に市はこの戦争に関する住民説明会を開催する。しかしそこに集まった住民はこの戦争の是非について、市に説明を求めたりしない。もし自分の家の前で銃撃戦が起きて家のガラスが割れたら誰がそれを保障してくれるのか。そんな事故処理レベルの質問しか住民からは出ない。それに違和感を感じる「僕」。そこへ戦争の正当性を問う質問がある若者から出される。市側はそれに対してあらかじめ用意した「行政的用語」マニュアルで対応しようとする。そして住民側もその若者を迷惑そうに扱う。戦争の正当性の議論よりも、住民説明会から解放されて自分がやりたい事をその時間にしたい。そうでもいうかのように。戦争は自分に身に降りかかってくるかもしれない重大な事態だ。それよりも大事な私用とは何だろうか。その住民達にも「戦争」に対する想像力や当事者意識は感じられない。
 そして「僕」と香西さんの情報収集活動はとなり町に知られる事になり、「僕」はとなり町から脱走するために「戦場」をかけまわることになる。
 戦死者の感触。誰かから追われるスリル。それを感じながら「僕」はとなり町からの脱出に成功する。
 そしてある日「となり町戦争」は終戦を迎える。終戦を迎え、「僕」は自分が「戦場」から脱出する際に、自分のために何人もの犠牲者を出したことを知る。自分がこの戦争に荷担したために生じた犠牲者達。そうした人々に「僕」はどう責任をとればいいのだろうか。
 だからこそ「僕」は終戦後に香西さんと会おうとする。そして香西さんとの戦争生活を覚えておく事で、この戦争の記憶を風化させないようにしたいと思う。しかし香西さんはとなり町の重要人物と結婚するため自分の住んでいる「この町」から離れると聞かされる。「戦争はまだ終わっていない」そんな言葉を聞きながら。
 僕は薄れる戦争の記憶をたどりながら「鎮守の森」に行く。その「鎮守の森」は町を守って死んで行った人々が眠る神社のようなものだ。しかし「僕」はその「鎮守の森」に行ってみたものの、特に何も感じることができない。「鎮守の森」はただ静寂に包まれているだけで、「僕」に対して何も答えてくれない。

 湾岸戦争のとき、ある社会学者が「湾岸戦争はなかった」と言っていた。従来の「戦争」イメージが全く存在しない湾岸戦争。その状態を彼は其のように表現した。国連側の諸国がメディアを戦場に入れないようにして、厭戦気分を煽り立てないようにしたためだという噂もあった。その結果世界に配信された映像は花火のような空中爆撃やゲーム感覚のスポット爆撃ばかりだった。そこには死体や戦争犠牲者といった残虐な映像はなかった。そうした「戦争」を前に僕らはこの戦争に対する明確な当事者意識もないまま「戦争協力」へとひた走ってしまった。
 湾岸戦争に反対するという立場の人々の言論にも説得力がなく、湾岸戦争正戦論の人々の言論にも違和感を感じざるを得なかった。
 そしてあれから10年以上経った今もその体験を十分に生かす事ができたか疑問が残る。
 そんな僕達の「失敗」記録を誠実に問題化したこの作品は2005年の文学の最大成果のひとつだと僕は思っている。





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Last updated  2006.03.01 23:19:41
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