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コーチ賢ちゃんの「コーチング談義」

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2009年04月27日
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カテゴリ:夢の実現
奇跡のリンゴ 008.jpg

 私の尊敬してやまない恩師の一人から「奇跡のリンゴ」(石川拓治著、幻冬舎刊)を読んでみるように勧められました。

 早速買い求めたのですが「晴耕雨読」の賢ちゃんは、晴天が長く続き畑仕事や庭木の手入れなどに追われて、なかなか読む時間が取れませんでした。

 しかし、本日やっとこの本を読み終え、深い感動とともに大きな衝撃を受けています。

 賢ちゃんがコーチングの授業で生徒さんに絶えずお伝えしている「あきらめない夢は、叶うしかない!」を絵に描いたような凄い実例なのです。

 そこで、今回はこの本の骨子を賢ちゃんなりにダイジェストで紹介させて頂きます。

 この本は、NHK「仕事の流儀」2006年12月7日に放映された「リンゴ農家・木村秋則さん」の内容に、著者がさらに追加取材を行い出版されたものです。

 この本の主人公、木村秋則さんは青森県弘前市で「無農薬でリンゴを作ってみたい」という「志」を立て、10年余の艱難辛苦の末、遂に無農薬・無肥料で「こんなに美味しいリンゴは食べたことがない!」と言われるリンゴを作ることに成功されるという、まさに奇跡を起こした人なのです。

 奥さんが農薬を散布すると体調を崩して1週間ほど寝込むぐらい、農薬に対して過敏だったのが、この志を立てた動機で、実行のヒントは「何もやらない、農薬も肥料も何も使わない農業」を実践している福岡正信氏の「自然農法」という本から得たとのことです。

 この本の中での木村秋則さんの挑戦の概略を記すと以下のようになりましょう。

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 大量の枯れ草と鶏糞を集めて堆肥を作り、リンゴ畑に施し無農薬栽培を開始する。(1978年ごろ)

 春には花が咲き葉が出るも、病気で黄色く葉が変色して落ちてしまい、秋には花が咲き(狂い咲きを起こし)、翌年以降は春に花が咲かなくなる。

 春には新芽が出て葉をつけるが、害虫に食い荒らされるので、手で害虫取りを続けるも、次第にリンゴの木が弱っていく。

 農薬でない自然にあるもの(わさび、牛乳、卵白、酢など、考え付くあらゆるもの)を散布して、これを食い止めるために懸命の努力をするも効果なく、4年目で蓄えが底をつき経済的に立ち行かなくなる。

 雪の積もる冬は東京に出稼ぎに出て、公園で寝泊りしながら収入を得るために働く。

 「今やめたら、これまでの苦労は単なる徒労に終わってしまう」という思いから、赤貧の生活の中で、家族・親戚に多大な苦難を強いることへの責任を感じ苦悩しながらも、志を変えることはなかった。

 しかし遂に精神的にも行き詰まり、7年目の夏「死んでけりをつけるしかない」と自殺を決意し、死に場所を求めて岩木山に登る。

 この途中で山中に無農薬・無肥料でも元気に育っている、雑草の中のどんぐりの若木を発見する。

 思わず駆け寄り、雑草を掻き分けてその根元を掘ると、根がしっかりと張っていて、土が手で掘れるくらいに軟らかく、つんと鼻を突く山の土の香りがする。

 ここで「自分はリンゴの幹や枝葉ばかりを見て病虫害対策をして来たが、根とそれを支える土こそが重要なんだ」と気付く。

 そこで畑の雑草を刈らずに大豆を撒き(根粒菌が窒素分を蓄える作用を活用し)土を改良して根を育てることで病虫害に強いリンゴの木を育てる、新たな挑戦を始める。

 9年目の春にリンゴの花が見事に咲き、秋にピンポン玉ぐらいの大きさの糖度の高いリンゴを収穫し、無農薬・無肥料の栽培に成功する。

 10年目には、小さいけど甘いリンゴの収穫に成功し、販路を見付けるために大阪に出て販売を行う。

 次第に販路が広がり、今では「木村さんのリンゴを食べたい」という指名の予約が殺到するほどに顧客が増えている。

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 木村さんの命を懸けての夢「無農薬・無肥料でのリンゴ作り」の実現から、コーチとして賢ちゃんが感動し、学んだこと・気付いたことについては、次回に譲ります。

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最終更新日  2009年07月31日 09時36分46秒
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