10年間で「食糧自給率百%」を達成!
「食糧自給率 10年後 50%」これは、北海道新聞12月2日夕刊第一面の見出しです。こんな悠長なことは、言ってられない情況にあることを、農水省の官僚たちは認識していない、単なる「売国奴」です。一国の最高の安全保障策が食糧の百%自給であり、国の最大の礎こそ「農」であることを自覚しているのであれば、「食糧自給率、10年後には百%!」でなければなりません。「札幌タイムス」11月21日号に、「食死」は、「戦死」より多いかもしれない という石沢文規氏の記事が掲載されています。以下、要約して引用いたします。「食死」(筆者の造語)とは、「身土不二の原則」に反する「食」で奪われる生命のことである。(中略)輸入食糧ともなれば、肉体と精神の弱体化と病死でもって、一種の民族殺戮(ジェノサイド)を引き起こしかねない。農産物貿易とは「食死」へ導く元凶である。これは、平和を装った血を流さない静かな「戦争」に他ならない。この農産物貿易がある限り、平和とは幻想でしかない。世界各国は、農産物貿易を通して、たえず「戦争」を続けているといってよい。この種の「戦争」こそ、人類を最も不幸にする。(中略)「身土不二」の「身」とは身体を、「土」は環境を、「不二」は身体と環境とは切り離せない関係にあることをあらわしている。全体の意味は、私たちは「環境の化身」ということである。食物とは、環境(日光・土地・空気・水・湿気・温度など)の諸要素のあらわれである。したがって、食べるということは、環境を食べることに他ならない。食物とは、環境が食べられる形に変わったものといってよい。その食物が、人間に変わるのである。このように、食物を仲立ちにして、人間と環境の関係をとらえることができる。これが、「身土不二の原則」というものである。(中略)一方、先に述べたように、環境というものの独自性を表わす「身土不二の原則」は、自由競争であれ、何であれ、競争というものを否定している。つまり、競争の仕様もないのが、環境の持つ「独自性」というものである。「身土不二の原則」は、地域という環境の独自性を不可侵とする。(中略)ところで、先に述べたが、ある地域(環境)の独自性と別の地域の独自性の間には競争というものはあり得ない。つまり、熱帯という地域(環境)は、温帯という地域(環境)と、本来、競合することはありえないはずである。(中略)生理的・生物的・生態的な視点から、経済的・政治的な地域主権を主張する「身土不二の原則」は、独占性・排他性をもっている。したがって、その「身土不二」の物質化ある食物も、当然のことながら、この「地域独占性・排他性」を持つことになる。(中略)「身土不二の原則」に従えば、「食べる人の住む環境」と「食べられる食物の生産される環境」とは「一致」していなければならない。(中略)いまや、世界各国の農業の自立が、もっとも求められているといわなければなるまい。 引用終了石沢氏は私の大先輩でありますが、私は、勝手に、僭越ながら「同志」と思っているかたではあります。日本の「食糧自給率百%」を達成するには、この農産物貿易と工業製品貿易との関係を洗い直さなければなりません。日本の最大の貿易相手は、アメリカ合衆国(USA)です。つまり、「対USA外交」を再構築しなければなりません。私が権力を握りました暁、石沢氏には農水大臣と外務大臣とを兼任していただき、10年間で「食糧自給率百%」を断行します。日本国民にも、協力を求めなければなりません。まずは、肉・卵・牛乳および乳製品、そして白米・白砂糖・白パンなどの「病因食」を止めることです。 止められないのであれば「少しずつ、量を減らすこと」です。 同時に「一口最低、30回よく噛むこと」です。国民皆農、国民は週末だけでも、郊外の畑で、自分や家族が食べる分の野菜を栽培していきましょう。 これで日本国民の健康を「防衛」することが出来ます。日本国を「防衛」することができます。 そして、日本の食糧外国依存度は「ゼロ」となり、「奴隷解放」が行われ、国として独立できます。 貴方が変わらないと、日本国は変わりません。 食は命なり