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聖徳宗総本山 法隆寺 創建が 607年とか
今から 1415年前 更に 遡る事 2600年前頃 お釈迦様が 現れた 葬儀や 法事の 作法や 手順を 説かれたのじゃ ない 生老病死から 始まる 人の世の 苦しみ 悩み 迷いを 説かれ 真の 幸せに なる方法を 説かれた 飛行機も無い 電車も無い 車も無い 自転車も無い 時代に 人間関係や 人の在り方 心の持ち様を 説かれた 悔しい事に 未だに 通用するって事が 怖い位だ そんな 尊い 教えが 身近に ありながら 難しいとか 末法臭いとか 忙しいとかと 触れずに スマホを 覗いていても 真の幸せには なれないよ よくぞ 口伝を 後に 経と言う 形で残して くれましたね サンスクリット語ですか それを 三蔵法師さん達が 中国語に 訳し どうにか 日本にも 届きました この世を 面白 可笑しく 過ごしたと しても その後の 行き先が 地獄や 畜生や 餓鬼界じゃ 笑えないよ 今この世に いる内に 説法に 少しでも触れ お浄土へ 行けたら この世に 産まれて来た 甲斐があるのよ ただれた心を イラつく心を 少しでも 穏やかに 過ごしたい じゃないですか 以前に 難しい お経を 何故 日本語に 翻訳しないのか お寺の 息子に 迫った 事があった 以前は 日本人も そのまま読めて 解釈も 出来たと言う もし 日本語に 翻訳 出来たとしても 一つ一つの お経が 膨大な量に なるとも 聞いた 浅学の 甚だしい オイラは 諦めて その膨大なお経を 一言にして 感謝だと 勝手にまとめ 感謝 感謝 感謝と 唱えているが 多分 お釈迦様に お目に掛かれば この横着者目と お叱りは 免れまい 特別 宗教に 入らなくても 説法は 聞ける 時代だよね 経を 唱えろとか 覚えろとかは 言っていないん だよね 説法を 聞けば良いと 言われて いるんだ 地獄や 畜生や 餓鬼界に 行ってからでは 遅いし 聞けないん だそうだ そんな 余裕と言うか 時間なんか ないんだろうねぇ 一つでも 二つでも 説法を 聞いて 穏やかに 安らかに 仲良く 過ごせたら これ程 有り難い 事は無い 空海さんも 親鸞さんも 日蓮さんも 仏教の内 外れず はみ出さず 生涯を 捧げたんだよねぇ 横着をせずに 人間塾 自分のあやし方 お浄土への道程を、言葉で残されたんだよねぇ~。 オイラが余りにも馬鹿なのか、その言葉の地図が、読めないんだよねぇ~。 多分、凡夫には、感謝が近道だったら、良いなぁ~。 ズルかなぁ~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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