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カテゴリ:寺社
1月25日のブラブラ……
でかいマンション……矢口新田神社から十寄神社の道沿いを南下したあたりにありました。施主施行は東急みたいですが、なんと総戸数461戸だって。凄い! 古市中央児童公園……13時45分……ここからまだ2時間以上フラフラしましたっけ。結構 根性ありました。 多摩川は近い…… 昭和の匂い……大和屋酒店の脇道に寺と小さな祠が見えたので入ってみたけど…… これは大和屋さんのみたい……後ろはお寺なんだけど…… さらに進んでみたら、本堂らしきはあるけど山門がない。入れないことはなさそうだけど、いくら私でもこの裏口からは断念。お墓参りに来られる方は、車をおいてこちらから行かれるみたいです。ちなみに、大きめのうろこ雲……きれいだった~ 引き返して酒屋の反対側……最初からこっちに来ればよかった~ 後悔は先に立たない。 圓応寺山門…… まずは本堂に御挨拶…… 幡曜山 恵門院 圓応寺……真言宗智山派・玉川八十八ヶ所霊場第六十三番札所 こちらの歴史はよく存じませんが、ご本尊は大日如来でしょう。 多摩川が見えます。走っているのは大田区道主要第102号線というそうです。向こう岸まで多摩川大橋が架かっています。 南無大師遍照金剛……今年はたくさんお目にかかっています。 奥は息災延命六私蔵……右は庚申供養塔です。 『総高138センチ。 寛文12年(1672年)に、古市場村の人々が建てたものである。 区内に現存する庚申供養塔の中で、青面金剛の像を彫った庚申供養塔としては最古のものである。 板碑型の石碑に、青面金剛立像を中心に、日月や鶏、三猿が刻まれ、江戸初期の典型的な様式である。 銘文は、寛文十二年を「寛文二六年壬子(みずのえね)と積算表示したり、また「六郷荘」という中世的な表記や「古市之跡泥沙…」と刻まれていることも注目されるが、風化のため判読不能の部分が多いのは残念である。 もとは矢口三丁目の旧道沿いに建てられていたが、後に現在地に移設された。(太田区教育委員会)』 中央は陸軍歩兵上等兵の碑と彫られています。両側も墓碑ですが、お三方とも同姓……日露戦争の犠牲になられたのでしょう。戦争反対!!! 胎蔵生 大日如来…… 宝篋印塔……新しそうです。 十三佛まいり……13の石仏が並んでいます。 (左から) [阿弥陀如来] [阿閦如来(あしゅくにょらい)] [金剛界 大日如来] [虚空蔵菩薩] (左から) [地蔵菩薩] [弥勒菩薩] [薬師如来] [観音菩薩] [勢至菩薩] (左から) [不動明王] [釈迦如来] [文殊菩薩] [普賢菩薩]……普賢菩薩は、知恵を受け持つ文殊菩薩といっしょに釈迦如来の脇侍として配されることが多い、とのこと。明王も守護神だから脇においででした。 本当はお線香を置いてお参りするのでしょうが、お賽銭だけでご容赦賜りました。小さい鐘楼もあったから、つけば良かったかもしれません。 本堂をふり返り、失礼した私でありました。 連れ合いは義母に付き添ってお寺に行きました。お疲れ様です。しかし、お寺の[水行]寒いだろうな~ 水浴びしてお風邪を召されませんように…… 留守番をしながらなにをしようかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.06.15 19:59:43
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