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カテゴリ:寺社
深沢2丁目緑地あたりを歩いた際、「このへんに庚申塔があったよな?」と思ったのだが、過去の記憶が蘇らず当日は断念。でもって出直した4月29日……
深沢4丁目の住宅街……正面突当りは学芸大学付属世田谷小学校……4~5年前に歩いたであろうこんな道を「どこだっけな~」と、うろうろ探しちゃいました。 あった!あった!! よかった~!!! 『明治初年、三島大社の流れを汲む深澤神社が村社に昇格し、旧深沢に八つある氏神を合祀することになり、中村八幡神社もその合祀された内の一つでした。しかし、後に不幸が続いたことがあって中村八幡神社を祀り直すこととなり、昭和13年に御霊分けをし現在の地に新社殿を建てました。地元では「はちまん」神社と呼んでいますが、古書をひも解くと「やはた」神社と読むそうです。この神社の祭神は、第15代応神天皇と同一視され、天皇が神として祀られると「やはたの神」になり「やはた」が正式のようですが、通称の「はちまん」でもよいのではないでしょうか。』(「玉六情報No.110」身近なまちづくり推進協議会・玉六後方部会・より) なるほど……先日書いた深澤神社での記述と年が異なるようですが、つながりのある本神社も訪問出来てよかった私です。ちなみに、昔 深沢は中村と称されていたそうです。 中村八幡神社……庚申塔だけが記憶にあって、鳥居は思いもよりませんでした。 昨日 連れ合いが借してくれた雑誌によると、この鳥居は「明神系・中山鳥居」と言うらしい。シンプルに木を組み合わせた神明系と、神仏習合の影響を受けて以降の曲線的で装飾の多い明神系とに大別されるそうです。 雑誌借りた雑誌は『一個人(No.117)』……「日本の神様と神社入門」(保存版特集)と表記されているからか? 10年前の発行だけど物持ちが良い。ちなみに『一個人』は「いちこじん」じゃなくて「いっこじん」と読むらしい。フムフム…何となくわかる気がする。連れ合いは好きそうだ…… 遷座日・昭和59年12月8日…… 3基あったようですが…… 左の狛犬……顔が欠けちゃっていて可哀そう。 燈籠……『一個人』によれば、灯りをともす燈籠は祭などで神様がお出ましになる際の目安だそうです。役立つな~一個人…… 右の狛犬……修復が痛々しいけど、左右で顔立ちが異なるように見えます。 帰りは呑川緑道を……花壇の柵にとまっていました。上手いもんだな~ 遊具が規制されているか確認した深沢1丁目緑地……写真の左すみが次の写真 見落とすところでした。 共同洗い場だって……24m四方の大きな洗い場が昭和の初めまであったって。三田家を初め、農家の方が野菜などを洗ったんでしょう。 洗い場の正面・北側……こんな路地あったっけ~ 入ってから、途中で左にも…… 曲がらずに進んで……右の石段を上ると…… 静か静かな住宅街……進むと…… 石段があって、まだ奥に…… コの字を描くように歩いて表通りに出ましたが、人影まばら……みなさん自粛でしょうか? 足腰強化だと自ら選択したからしょうがない…… 柿の木坂の家 詞:石本美由紀 曲:船村徹 歌:青木光一 『春には 柿の 花が咲き 秋には 柿の 実が熟れる 柿の木坂は 駅まで三里 思いだすなア ふる里のヨ 乗合バスの 悲しい別れ……』 ちなみに、モデルになった坂はここではありません。広島県廿日市市の明石峠付近の坂らしい。 《おまけ》 先日訪問した荏原の寺社(まだ未掲載)で「荏原七福神」を知ったので、昨日は中延方面の恵比寿さんを拝見に散歩の途中です。太い排気パイプも見られますが、院内感染防止の為に、まずテントで検査をするのでしょう。日夜頑張って下さる医療に携わるみなさまに感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.06 15:06:50
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