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濁点の物欲 tectecmayさん
痛勤怪談 電車の中… syanteiさん
2020.12.19
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カテゴリ:寺社
​​​​​​​​​​​​​​​​ 11月10日散歩の最後の寺院……


 参道左側……境内社・白山神社の先に


 敬徳観音……初耳の観音様

 1400年代後半に浄徳院として現在の世田谷区船橋に開創され、現地・宮坂への移転に伴い常徳院と改めたようです。


 本堂右に寺務所・庫裏でしょう。


 常徳院本堂……


 なんとも洒落た照明器具……


 本堂左手……


 手水盤の向こうに……


 39世大仁義一大和尚之像……


 葬儀など行うのだろうと推測……


 本堂とつながる渡り廊下……後方が墓地みたい。


 静かな佇まい……小鳥のさえずり以外は無音


 紅葉には早かったですが……


 15時03分……陽はずいぶん傾きました。


 知人との約束の時刻まで1時間。焦って退散モードに切り替えた私。


 お掃除小僧さん……『掃いても掃いても また汚れるこころの掃除はだれがする? 自分でするしかないんだよ 南無釈迦牟尼仏 南無釈迦牟尼仏』なんとも心が痛い。

 実相院と世田谷八幡宮を含む散歩コースには、当寺から数百メートル先・経堂駅前にある福昌寺も含まれていました。時間切れで断念したのですが、世田谷区のHPには次にように……『現在、小田急線の経堂駅から少し南側の地には、福昌寺というお寺がありますが、この寺は正しくは「経堂山福昌寺」といい、江戸時代の初め頃に建てられた古いお寺です。当時この地を与えられていた松原土佐守弥右衛門という人が、自分の広い屋敷の中にお坊さんを迎えて開基したものだと言われています。
 この松原土佐守という人は、徳川幕府のお抱えの医者(御殿医)として、中国から迎えられ日本に帰化した人ですが、医者なので当然たくさんの本を持っていました。このころ人々は、ほとんど字の読み書きができなかったので、本といえば、お経の本だと思い込んだということです。それに自分の屋敷内にお堂を建てたので、近くの人はこれを経堂と呼ぶようになりました。まもなく、松原氏が常徳院から玄浦和尚を迎えて寺を建て、この経堂の名をとって「経堂山福昌寺」と名づけたのは寛永3年(1626年)のことでした。現在、このあたりには松原土佐守の子孫やその関係者など、松原姓の人が多く住んでいます。』
 ということで、常徳院とつながりのある
福昌寺をパスしたことは心残りです。経堂と言う地名の由来も知ったから、元気があったらそのうちに行ってみましょう。
 コロナ禍や 寺社は遠くなりにけり
 近くで未訪問の寺社はなくなっちゃいました。困ったな~






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Last updated  2020.12.19 12:52:18
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