要はバランス感覚。
学校教育にデジタルを積極導入した所謂『教育先進国』(海外)で、生徒の学力低下・心身の不調が顕在化。子供達が「デジタル依存に陥る」ことを懸念し相次いで見直しの動き・・・という記事を読んだ。そんななか日本は、文部科学省主導で紙の教科書をデジタルに置き換えようという路線に舵を切ったと聞く。2024年『世界デジタル競争ランキング』では、67カ国中31位の日本。近年の私達の暮らしに関わるデジタル化の御粗末さを見ても、この“教科書のデジタル化推進”も他の取り組み同様にかなり後れをとっているのが分かる。しかしその落ちこぼれの日本でも、IT先進国の“実験結果”を踏まえて迅速に課題を解決してから“一番良い”形で国民にサービスを提供できるはず、なのだが・・・・・・何しろ要領が悪い。だから今回も、紙からデジタル教科書に無理矢理切り替えた末に手に負えない問題が起こってしまってから、やっと慌てることになりそうだ。新しいことを始めるには“トライアルアンドエラー”はつきものだ。たとえ失敗しても、そこから学んだことを成功に繋げればいい。ただしその失敗が学校教育の現場での場合、“実験対象”者は成長著しい生身の子供達である。IT先進国スウェーデンは、調査のうえ「子供の学力が落ち込み、学習への悪影響がある」と判断して、『脱デジタル』へと方向転換したらしい。同じように「成績低下や心身の不調の顕在化」を理由に、再び紙の教科書に戻す国も増えつつあるとのこと。昭和生まれの私自身は大学まで紙の教科書で学び、社会人になってからも紙の教材や書籍を作る側に居たこともある。そしてその職を離れた後も変わらず、今でも“紙”を通して多くの人と関わり続けている。その長くて猛スピードで加速する時代の流れの中で、子供達の“喜怒哀楽”つまり感情表現の面がここ数年で大きく変化しているのを感じる。教員免許を持っているとは言えいち素人なので、これが何を意味するかは語弊があるので割愛。とにかく。このニュースを読んで私が思ったのは、学習内容によってデジタルとアナログをうまく使い分けることはできないものか?ということだ。すべてをデジタルに頼ると子供の教育上・精神衛生上、逆効果になる恐れもある。しかしこれから先の世界を生きるには、どの分野でもデジタルが生活必需品になるのは間違いない。ならば、いきなりデジタルに振り切るのではなく、ふたつの手段を上手に使い分けながら徐々に軌道修正していければ、それが理想的なのに・・・ま、子育てしたこともなく教諭でもない立場の人間が何をぶつぶつ言ってんだ?って話だな。この辺でやめとこう。いやでも。全く関係ない人間かもしれなくても、この国の子供達の行く末を部外者なりに勝手に気にかけているのだけは、言っときたい。無性に聴きたくなる時がある。