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カテゴリ:社会問題
CIAのスパイとしての岸信介と戦後体制

「人は過去を忘れようとしても、過去は忘れてはくれない。」
これは、昔高校生の頃によく読んでいた大藪春彦の言葉だ。

この言葉を象徴するような衝撃的事実がある。
今ではもう広く知られた事実だが、岸信介は戦後CIAのスパイであったことがアメリカの公文書によって明らかになっている。

2008年に出版されたティム・ワイナーの「CIA秘録」第12章によれば、2006年アメリカ国務省は、CIAと岸信介達、日本の政治家との関係を認め、長年(1970年代まで)資金援助をしていたことを明らかにした。
TimWiner


これまでも噂で語られていたし、90年代頃から幾つかの報道もあったが、いよいよ戦後日本の政治史の闇の部分が、アメリカ公文書の公開によってハッキリと繋がりを持った流れとして理解できるようになったと言ってよい。

戦後、A級戦犯として巣鴨拘置所に収監されていた岸信介が、児玉誉志夫(同じくCIAのスパイとして戦後暗躍)と共に1948年に釈放されたのは、そもそもCIAのスパイとして情報提供することを約束したからではなかったのか。
本書からは、岸が1948年からスパイだったことが容易に推察される。
「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。…世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった。」(邦訳 p.177)
また、岸が選んだCIA側の窓口は、クライド・マホガイという元海兵隊員だったという。

彼が日本の戦後政治で影響力を行使できたのは、CIAのスパイとしてアメリカから資金援助を受けていたからだというのが、カラクリの正体だったわけだ。
日本の戦後体制は、売国政治家によって作られたものであり、アメリカ側の占領政策は見事に功を奏したのだと言えるだろう。

岸が主導したとされる自由党と民主党の保守合同、自由民主党の結党(1955年:55年体制の確立)も、その初代幹事長に就任するのも、また、彼が1957年に第56代内閣総理大臣になるのも、全てCIAのスパイとしてアメリカから資金的にも援助を受けていた結果だろうことは明白である。

すなわち、少なくとも戦後直後の1948年から岸はCIAのスパイとして暗躍していたのであり、その彼によって自民党は作られたのだ。
自民党の誕生自体が、そもそも暗黒史によって呪われていると言えるだろう。

また、60年安保改定時の左翼運動の鎮圧も、CIA及び児玉誉志夫による援助であったことが知られている。
ワイナーによれば、このCIAの資金援助は1970年代初頭まで続いたとされるから、岸だけではなく、その後の池田勇人、佐藤栄作までの少なくとも3人の総理大臣は、CIAからの資金援助を受けていたことになる。

なお、CIAのスパイだった有名人には、岸信介や児玉誉志夫のほかに、正力松太郎・読売新聞社主、緒方竹虎・自由党総裁、賀屋興宣・池田内閣時の法務大臣などがいる。

こうして戦後の日本は、1970年代初頭まで、CIAを通じて実質上アメリカにコントロールされており、事実上内政干渉的行為が、スパイという内通者によって行われ、政治や社会が歪められていったのである。

ところで、この流れをおそらく断ち切った政治家は、田中角栄であったのかも知れない。
彼が行った政治手法は、その後今日至るまで「金権政治」「土建屋利権政治」と批判されることとなるが、良かれ悪しかれ、CIAの影響からなんとか自立しようとした可能性がある。
但し、その田中はロッキード事件で政治生命を消されることとなった。
(怪しくも、田中の流れをくんでいる政治家(竹下登、金丸信、そして、小沢一郎に至るまで)は、皆政治資金規制等によって逮捕されているか、検察権力に目を付けられているという実態がある。)

1960年代から70年代当時、ソ連や中国など社会主義勢力がまだ強い影響力を行使していた時期だったため、もし岸のようなCIAのスパイの暗躍とアメリカからの秘密工作資金がなければ、日本の政治がどうなっていたかは分からない。
続々と誕生していた社共を中心とした革新自治体の状況から言って、もっと早い時期に政権交代が起きていた可能性もあるし、また、その結果、一層の混乱と停滞があった可能性もある。
逆に、案外政治への信頼や期待が高められた可能性もある。
無論、歴史に「もしも」は通用しないが、違った戦後史になっていた可能性は十分にある。

アメリカは、当然自らの国益のためだけを考えてCIA工作員を日本の政治家、要人達に育成したのだろう。
スパイ工作は、国際社会における一種の常識でさえある。
だが、スパイ工作と、正義や民主主義とは、明らかに矛盾する。
戦後丸裸にされた日本は、そのスパイによって大きく歪められたのだ。

この事実は、決して忘れてはいけない日本の戦後史であるだろう。

高校の頃によく聴いていたクラッシュのこの曲を。
"Complete Control" by the Clash





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Last updated  2010.08.11 23:18:55
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どこのドイツ   ガーゴイル さん
岸一族というのは安倍晋三の一族ではなく安倍晋三の騎士の一族である。 (2021.07.24 06:02:49)


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