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2024年05月15日
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昨日の晩御飯で、何と言っても特筆すべきは、ツルナのお浸しです。

このツルナは、その昔、御津の道の駅の下の砂浜で、発芽したとこってくらいの若苗を1つ採ってきて、
植えて、太らせて、花咲かせて、種とって、種蒔いて、
今年になってやっと、野菜らしい姿になったものです。
ツルナ、別名ニュージーランド・スピナッチともいうくらい、生では無理なエグ味もある。
ホウレンソウ代わりに食べられるはずの野草。

数十年前、抗腫瘍効果が言われ、茹でて毎朝の味噌汁の具にしましょう!的な流行もあった。
いかにも海浜植物らしい姿だけど、多肥料で育てると、ふわふわの新芽が長期間採れるはず。
一度だけ、実際に畑で育てているのを見たことが有ったのですが、本当に大きく広がって、
海辺で塩水をかぶって耐えている姿とは全く違うサイズでした。

現に、今年の葉っぱは、去年までの4倍くらいのサイズ。
ふかふかです。
新芽を切って、脇芽を伸ばして、種を採ってと・・・皮算用しています。
一度、売られている種を取り寄せて栽培に挑戦したけど、無理でした。
発芽させられなかったの。
多分、海浜植物だから、時間とか、条件とか、厳しいと思うので、
去年はひたすら採り蒔き採り蒔き。発芽を見た時は本当に嬉しかったです。

アイスプラントという野菜もあるけど、まあ、ツルナは生では食べません。。。

でも、お浸しで食べてみて、十分食べられると分かったので、今後が楽しみ。

大葉やパセリは、お浸しにはできないし、三つ葉のお浸しばかりでは飽きるので、
間にツルナを挟もう!

ブロッコリーとか、飽きへんのか?と言うくらい食べてるけど、
ブロッコリーは、もうご飯みたいなもんで、飽きるって言うことはない。

美味しいか美味しくないかは、自分次第だけど、
まあ、蒸すことで大量調理が可能になったので、安い時に買ってきて処理しやすくなった。

今日は、ノーバイデーだったのだが、固定資産税の支払いがあって、支出はあった。
さすがに自宅のは一度には払いきれず、4分割の一回目。2万円也。
固定資産税は自宅が一番高い。外の2つはもう終わった。
軽自動車税も、終わった。
次は、住民税だなぁ。。。ため息が出るわ。

あちこちからちょっとずつ納付書が届くんだけど、出ていくばかりで、
給与も無ければ、年金も無い5月・6月。
7月になったら、満期になった生命保険の一時金の一部が振り込まれる予定。

だから、その手続きの書類も昨日届いて、今日、出しに行った。
同封する書類が運転免許証のコピーで、4月以来2度目のコピー機の出番だった。

もう、青のインクが無くて、注文していたのが届くのとほぼ同じタイミングだったけど、
なんとか、かすかすになる直前のコピーができたと思う。

かつて、仕事でカラー印刷をしょっちゅうしてた頃、できてたはずのことを、落ち着いて思い出して、
何年かぶりにやっている。。。

使わないとインクもなくなるし、ヘッドは詰まるし、なんかテスト印刷しても最初はできなかった。
テストを繰り返すと青が切れそうだし、限界だったかもしれない。

兎も角も、5月6月を手元資金で乗り切って、ジュリーのコンサートにも行って、
「何事も無かったように帰省して」、をあと2回繰り返す。

まったく、妹に教わっておいた老後資金に助けられている。
働けるうちはいいとして、働けなくなってからが、大事だと、早くに辞めた妹の教えを守って、
ちびちびと、染み出してくる湧水を飲むように気長に生きていこう。


今日の記事を書き始めてから、卒業生からの電話があった。

28歳、二校目、あらゆることが順調に来たから、今、初めて座礁しているようだ。
話し始めはいつもの軽い感じだったけど、すぐに泣き始めた。

話をしているうちに、冷静さを取り戻し、座礁の原因を本人が気づけているようなので、
離礁すべきか、船を棄てて退避すべきかを考えさせた。

今回の岩礁は二つ、一つは生徒指導部長から昇格した教頭。
もう一つは根本原因の学級崩壊。

学級崩壊は、定員割れの不人気校では、もう日常茶飯事なのだが、
原因を担任に求めているのは教頭がおかしいだろう。
そう思って話を聞いていると、1年から2年になる春休みに、学年主任が脳梗塞で倒れたらしい。
緊急事態過ぎて、管理職も対応できていなくて、イラ立ちが荒れているクラスの担任に向かっている。
28歳が学年団最年長担任なんて、すでに学校として終わっている。
さすがの脳天気な卒業生も、そらぁ泣くわなぁ・・・

でも、まあ、私に電話してきて、電話口で泣いて、泣きながら状況分析して、
自分の中で、整理されてきたと思う。

同僚として、同じ景色を見ながら、泣いている若い子を励ましたりしたことはままある。
けれども、
おそらくはもっとずっと、荒涼とした景色の中で、孤立的になっている若手を、救うことは難しい。

彼の、高校入学から今日までがあまりにも恵まれていたので、
本当にしんどい状況を前に立ちすくんでいると思う。

だから、現状分析をざっくりとしてやって、教頭の立場、校長の立ち位置、県教委の使い方、
同僚への助言の求め方などを話してみた。

28歳、春休みに、卒業10年を記念して集まって飲んでるって、気楽な電話をかけてきたのに。

振り返って、28歳の自分は何をしていただろう。
私も2校目だった。
闘っていた。
学校と闘っていた。何でもすぐに処分を振りかざす新設校の生徒指導体制と闘っていた。
加古川市と闘っていた。学童保育所の作り運動を始める頃だ。

私にはいつも、支えてくれる仲間がいた。
生徒指導部と闘う時は生徒達が居た。
「大事なことで闘っとうのに お前ら しょうもないことして 担任に恥かかすな!」
と言い散らかしていた。
本当に愛すべきひどい奴らやった。

加古川市の教育委員会や市長室長と渡り合っていた時も、
何年も続く闘いの始めの頃は、あの子等と向き合っても居た。
あの子等、って、私とは9歳違い。もう50代の後半かぁ。

教員集団も変化する、しかし時間がかかる。
12年居て、人権意識が定着し、すっかり居心地の良い状況になってから転出した。

そこで、また、転出先の雰囲気と、一から闘った。
一年間に何十人もの生徒が辞めていく学校は、やっぱり変わらなければいけない。

初任校で、初担任の時、1年間に各学期ごとに1人ずつ辞めて3人減った。
二校目の闘いの中で、担任した12年間で3人だけ、私の手から減った。
二人は辞め、一人は転学した。

三校目の勤務校で、私は辞めさせたらええねんという雰囲気と闘った。
3年後、40人を卒業させたとき、一人も欠けなかったのは褒められた。

次に主任をした学年では、自分から辞めていく子等に手を伸ばしきれなかった。

12年前に、最後の担任クラスを、望外にも持たせてもらった時、
定員より二人多い42人だった。
卒業時、41人だったが、一人は留年した子で、一足先に転出させて半年早く卒業させていた。
そうでないと持たなさそうだったからだ。
結局、41だった卒業生。
そのまま次の3学年の主任をさせられた私は、
もう減らさずに卒業させたかった。

50人も60人も辞めたり転校したりするのは、おかしい。
320人入って、255人卒業とか、1クラス以上減っている。
すでに十分減って3年生になってるから、これ以上減らすなと思っていた。
まあ、それでも、減るのを止められなかったけど。
結構しんどいクラスの担任を支えて、40人で卒業できたのは、嬉しかった。
40人のクラスが2つくらいあったと思う。
そのまま、次の1年生が始まって、減るな、減らすなを目標に頑張って、
3年間で減員7人に止まった。
入れ替わりの学年は卒業時減員6人に止まった。

学年主任としては、考えてきたあらゆることをやった。
授業の工夫や、情報の共有や、支え合いや、色々なことを提案し、実現して、26年来たと思う。
基本は、自尊感情の醸成に尽きる。

後から後から来た人は、変わった学校しか知らない。
産休後の育休から復帰した人や、出戻りや、教育実習生などが、
同じ学校じゃない!!と叫ぶ。

良い意味で、「こんな学校じゃなかった」と、口々に言うのを
陰で聞きながら、営々たる努力も、崩れる時は一気だからなと、ずっと思ってきた。

数字を残してきた。
それは、目で見て分かるはっきりとした違いで、雰囲気ではない。
雰囲気はもっと変わった。
現場を去って、今も思うことは、土台の不易と、時代に応じた流行だ。

電話をかけてきた卒業生が入ってきた頃、まだ、しんどい学校だった。
またしんどい学年だった。
私が入る時、学年団の9人のうち、4人が入れ替わった。
担任は男性3人が抜けて、女性が3人入った。学年付きも代わった。
あの子の居たクラスも、私が2年から持って、一からやり直した。
流れを完全に変えた。
学年主任よりも年上の担任だった。

私は、「自分の人生をしっかりと考えて、なりたい自分になるための2年間を過ごせ」と言い続けた。

だから、みんな何になりたいのかを、真剣に考えさせられたと思う。
「なりたい自分になる自分。なりたい自分を見つけよう。」

「人の人生の邪魔をするな。」これも言い続けた。
それが、誰かの邪魔をする行為かどうかは、強く問うが、
そうでなければ、好きにして良かった。

勝手上等だった。ただし、誰かの邪魔になったら許さない。
「みんな仲良く」とか、全く求めなかった。

迷惑かけるな。だけだった2年間。

考えてみれば、彼は、誰にも迷惑をかけず、一度も混乱を経験せずに、高校生活を過ごしたから、
葛藤や苦悩が今、一気に来ているのだろう。

前職の時、一度電話をかけてきたことが有った。
その時は、クラスの中の、外国籍で、日本語がわからない子とちょっとだけ分かる子とについてだった。
周囲の教員との考え方の差を話していた。
高校時代の同級生のフィリピン国籍の子が居たし。

今は、全く違う。
彼がおかれている立場は、彼の想像を超えている。
彼の経験を超えている。

だから、電話を切ってから、ちょっとだけ助言をメールで送った。
返信が来たので、もう一言送った。
無理はするな。無視はOK。

波風が無ければ、望んで得た職業は、快晴の大海原だが、
時には、座礁もあるし、船を棄てて逃げるべき時もある。

私は、座礁はいっぱいした。独力で離礁できた時ばかりではない。
船を棄てて、逃げなかったのは、妹と違って、逃げる勇気がなかったからかもしれないが、
運が良かったのだろうと、思うことにしている。

今でも、不幸な苦い思い出が不意に蘇ることがある。
しかし、もう、陸に上がってしまったのだから、こっちの勝ちである。

どんな不幸な思い出も、過去のことだ。
引きずらないに越したことはない。。。

365連休中やから、何時電話かけてきてもええで。。。って心底思っている。

最後の主任学年の時、深夜0時を過ぎてもずっと電話かけてくる担任も居た。
保護者からの電話がかかるたびに相談してくるから、延々終わらなかった。

親は、酔っ払ってかけてくるから、支離滅裂だし・・・

だから、携帯番号教えたらあかんでって言うとうやろ!って思いながら、
きっと、それしか連絡方法が無かったんやろうなと、口には出さずに話を聞き指示を出していた。

丁度、こんな時間にだ。。。その時の生徒だけが、唯一、退学を、自ら選んだ。
辛かった。
他の子は転学しても同じ学年で卒業できていたので。
訪問した時の、その子の家庭の状況を思い出す。
ああ、8年経つのか。。。
修羅場だったころから。





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最終更新日  2024年05月15日 00時55分44秒
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 5月14日の晩御飯は・・・   小芋さん さん
5月14日の晩御飯は。。。やたら食物繊維がかたかった。

・絹ごし豆腐の冷奴のミョウガと大葉乗っけ盛り

・キュウリの千切りを足したナムルセット

・塩紅鮭の切り落としのオリーブ油かけて焼き直したん。

・ヤマサのイカ入りお好み天(魚肉天ぷら)

・トマトと、ブロッコリーのてんこ盛り

早く茗荷が自分ちの庭で採れるようになってほしいものだが、取り敢えず、今は、買っている。大葉は、もう買わなくて済んでいる。

ブロッコリーは、食べてしまったことを後悔している。
今日は、高くて、買えなかったから。。。 (2024年05月15日 21時55分23秒)

 Re:皐月中の四日 昨日の晩御飯を回想していて。。。(05/15)   kororin912 さん
私が知っている職場の環境とは、まったく違っていた小芋さんの職場。
私がお世話していたのは6歳になったばかりの子から12歳のちょっと生意気になってきた頃までの子供たち。

ほめたり、励ましたり、叱ったり。
お母さん的な仕事だったのかもしれません。
それでも、どんどん社会情勢が変わってきて、とにかく、怪我をさせてはいけない、もめ事を起こしてはいけない、ちょっとの変化を見逃さず、保護者と共に心身の健やかな成長を促さないといけない。
それだけならいいけど、本業の学力をつけるための準備・研究とか、お役所仕事的な書類作りなんかも結構時間がかかっていましたね。

もう、同じことをする気にはならないな。
やるべきことはやった!!

「見るべき程のことは見つ、今はのんびりと生きむ」 (2024年05月16日 07時08分25秒)

 Re:皐月中の四日 昨日の晩御飯を回想していて。。。(05/15)   小芋さん さん
もうね、私たちは、半製品みたいな人たちを扱ってましたからね。。。

最後ごろは、成人年齢が18歳に引き下げられたから、
途中で成人していく子等も居るわけで。

かつては、女の子に、相手が18歳になる前に出産したらあかんから、
それは気を付けよ!
って、諭したりもしていましたが、
16歳で結婚できても相手が18歳未満だと子供が庶子になるから。

ま、今は、そもそも18歳なら成人な人たちを、校則で縛ってますからね。
憲法に優先し、かつ、反する校則を作るのは、
人権意識の無いか、乏しい、教員ですから。

パワハラやモラハラや、言葉の遊びじゃなく、
本当に面倒な管理職が増えています。
平の教員もだけど、共感力が乏しく、成果主義で、危険です。

時間と愛情とが、人を育てるのですが、
最短距離を最速でって奴らが跳梁跋扈しています。

私も、「見るべきほどのことは見つ」と思いますね。
なのに、こうやって卒業生が・・・

一緒に壇ノ浦に沈むわけにはいかないので、
「無理せず、やってけって」とこですねぇ。 (2024年05月16日 17時18分37秒)

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