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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2007.06.08
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瀬戸内海の沿岸地域といっても、海岸地帯の村ばかりではありません。

内陸にはいれば、山あいの村がいくつもあります。

どこも高齢者ばかりで、村を離れたかたも多く、すでに廃村となったところも少なくありません。

村の歴史が消える、その動きは、これからさらに加速されていくことでしょう。



竹原市仁賀の山あいにも、こうした村がいくつかあります。

そのひとつ、ある村の山中で古い宝篋印塔や五輪塔の残欠を多数見つけました。

見つけた、といっても、村の人ならよく知る石塔ですが、当初は調査地域にも予定していなかった場所だけに、これは大きな収穫でした。

やはり現地をくまなく歩いてみるものです。






仁賀 宝篋印塔





宝篋印塔は、もとは観音堂(元文5年〈1740〉卯月に再建。棟札あり)のある峠から谷をみおろすように立っていたようですが、現在は、シロヤナギの根本に、崩れ落ちそうな格好で置かれています。

このため、相輪と笠の部分をはずし、木の脇に安置しました(基礎はとても重たいのでそのままです)。

残念ながら、塔身はみつかりませんでしたが、笠や基礎は、なかなか良い造りをしています。





仁賀 宝篋印塔





写真からもわかるように、相輪は、下から6輪目まで残り、上部は欠けています。



〔相輪の計測データ〕(単位はセンチ)
高さ(現状) 28.75(下から6輪目まで現存、上部欠損)
下部請花 高さ4.57 下端径11.58
伏鉢    高さ5.32 最大径12.30(下より2.6の位置で計測)
1輪の幅 1.78 間隔1.42(1輪目と2輪目の間を計測) 




仁賀 宝篋印塔





笠は、上6段下2段で、全体の高さは27.05センチ、軒幅は33.6センチ(隅飾が残る右側を正面として計測)、軒厚3.54センチとなります。

小早川領の笠は、軒幅が33センチ代と26センチ代のものが多いのですが、この笠も、前者のグループに属します。

隅飾の輪郭も4面すべてにあり、丁寧な造りをしています。


竹原小早川氏の氏寺であった法浄寺にあった宝篋印塔(現在は竹原市歴史民俗資料館の敷地内に保存)の笠(上6段下2段、高さ28.7センチ、軒幅33.5センチ、軒厚3.4センチ)とほぼ同じ大きさ(法浄寺のほうがやや高さあり)となり、造塔者は、小早川一族か、その関係者と推察されます。


高さと軒幅の比率は0.81、軒幅と軒厚の比率は0.11、最上段と最下段の幅の比率は0.65、軒幅と隅飾の幅の比率は0.31、軒幅と隅飾の間隔幅は0.35になります。

全体的に造りはよく、段形もすべて垂直に落ちています。

こうした比率や特徴から考えて、14世紀後半にはさかぼる笠とみてよいでしょう。

さきほどの相輪とも一致しますので、両者は、本来の組み合わせのようです。



〔笠の計測データ〕(単位はセンチ)
形状 上6段下2段
高さ 27.05
軒幅 正面33.6 左側面幅33.7 右側面は欠損あるため未計測 軒厚 3.54
各段の高さ 上部下段より順に、2.88 2.95 2.83 2.63 2.88 2.73   
       下部上段より順に、2.71 2.85
最上段の幅 上端13.85 下端13.88
隅飾  突起部高さ9.35(右を計測、現状) 幅10.26(右を計測)
    軒端よりの入り込み0.43  突起部傾斜92度(0.3外傾)
左右の間隔幅11.89 輪郭幅0.96 輪郭厚0.17
二弧輪郭つき。4面すべてにあり。内部は素面。
軒下 上段 高さ2.71 幅 上端26.95 下端26.9
下段 高さ2.80 幅 上端21.66 下端21.35
ほぞ穴 直径6.85 




仁賀 宝篋印塔





基礎は、高さ20.15センチ、幅36.8センチと比較的大きく、これまでの事例で見ると、小早川の一族クラスの宝篋印塔と推察されます。

格狭間も4面すべてにあり、この点は、笠の隅飾の輪郭とも一致します。


時代の特徴がもっともよくあらわれる基礎の各部の比率は、全体の高さと幅の比率は0.55、側面の高さと横幅の比率は0.48となります。

また、側面にある上下の輪郭の幅の比率は1.03、上と左の輪郭の幅の比率は1.32、基礎幅と横の輪郭幅の比率は0.11となります。

こうした比率から見る限り、この基礎は、14世紀中頃にさかのぼりそうです。


基礎の格狭間の花頭形も、上の輪郭線に対し、ゆるやかな斜線で左右に開くB型で、花頭形の内側の茨までの幅(7.2センチ)が左右両側にある二つの円弧の合計幅(5.79センチ)より長い特徴を持ち、脚も内側の茨のさらに内側で切ります。

脚幅は、下端輪郭線の約1/3(0.30)で、南北朝期に登場する様式になります(鎌倉末期は約1/5)。

こうした点からも14世紀中頃の基礎とみて大きなズレはなさそうです。


塔身がなくなっているのが、とても残念ですが、さきほどの笠や相輪も、本来の組み合わせとみてよいでしょう。


ただし、この基礎には、ひとつ大きな特徴がみられます。

それは、基礎の上部の構造が、一般的な、二段式でも、反花式でも、また反花式の簡略形とみられる繰型式でもなく、これまで見たことがない独特の形をしています。

あえていえば、繰型式をさらに省略した様式といえましょうか。


しかし、笠の隅飾の輪郭や基礎の格狭間が4面すべてにあることからすると、予算の関係で簡略化したわけではなさそうです。

この点については、今後の課題です。



〔基礎の計測データ〕(単位はセンチ)
上部形状  繰形変形 側面上端角より6.2センチ入り込み(正面では3.46)
全体の高さ 20.15  上部高さ 2.56
側面の高さ 17.73  幅 正面36.8 左側面37.1 右は木があるため測定不能
格狭間   4面すべてにあり
      輪郭幅 上3.1 下3.2 左4.1 右4.0 縁厚0.49
花頭形 幅25.46 高さ10.5 縁厚0.48  脚高さ0.95 脚幅8.45



この宝篋印塔の周辺には、いくつもの五輪塔の残欠があり、その数は、空風輪2・火輪5(うち1個は砂岩で質悪し)・水輪7・地輪3となります。
宝篋印塔を中心に、少なくとも7基の五輪塔が建ち並んでいたようです。

このほか、ここから数分山をくだった場所にも、同じような宝篋印塔が山肌の小空間に建っていたとのことですが、その後、崩してしまったため、みつけることはできませんでした。

また、宝篋印塔のすぐ近くにある観音堂から、5分ほど山中にはいった場所にも、宝篋印塔が1基あります。
現状は、猪がぶちあたったのか、崩れていましたが、最近まではきちんと建っていたそうです。




仁賀 ドウコウボウ跡付近




相輪が見あたりませんが、最近まではあったそうですから、どこに転がっているのでしょう。

笠は、上5段下2段で、軒幅は25.18センチ。

塔身は、高さ13.61センチ、幅は11.65センチ(中間で計測)、梵字などは彫られていません。

基礎は、繰型式となり、このあたりは、この形が一般的なのかもしれません。

塔身を安定させるほぞ穴が掘られています。

基礎の側面の高さは29.32センチ、幅は17.06センチ、比率は0.58となり、輪郭幅も、上2.244センチ、下2.88センチ、左4.154センチとなり、背面は素面となります。

輪郭の比率は、上下は1.28、上と横は1.85、側面幅と輪郭横の比率は0.24となり、側面比や輪郭比から見ると、16世紀頃の基礎と考えられます。

ただし16世紀末まではくだらず、戦国期でも前半の頃のものではないでしょうか。



写真からわかるように、宝篋印塔の建つ斜面のすぐ下には、平地が広がり、近くに住むDさんによると、むかしここには「ドウコウボウ」(堂光坊)という大きな寺があったと伝え聞いているそうです。




ドウコウボウ伝承地




中央の木の奥(写真正面)にも、多数の五輪塔の残欠があるそうです(肉眼でも数基は確認できます)。


寺の由緒は、まったくわかりませんが、さきほどの宝篋印塔や五輪塔などがある観音堂のとこ
ろまでが寺の範囲になるのかもしれません。

観音堂は、その寺の名残でしょう。


観音堂の近くに建つ宝篋印塔が14世紀中頃のものと考えられますから、ドウコウボウは、南北朝時代には存在していたようです。

そして、戦国期の宝篋印塔や五輪塔が残ることから、ドウコウボウは、この頃までは存続していたのでしょう。

しかも、さきほどの宝篋印塔の大きさからみて、小早川一族クラスの保護を受けていた可能性が高そうです。


小早川とともに栄え、小早川とともに歴史のなかから消えていった、まさに、まぼろしの寺といってよいでしょう。



今回の調査では、五輪塔などの残欠は、草深い山中にあったため、立ち入ることができせんでした。

冬になったら、本格的な調査を実施して、まぼろしの寺の解明に努めたいと思っています。








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最終更新日  2007.06.08 16:04:58
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