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カテゴリ:国内小説感想
体調を崩す予感のある時に風邪薬をあらかじめ飲んでおくようにしてから、ほとんど風邪を引かなくなった。以前は季節の変わり目ごとに咳き込んでいたのに。現代日本作家にいろいろ手を伸ばした後、大抵起こる「しばらく本を読みたくない」病に取り憑かれる前に、山田風太郎という予防接種を打っておいた。玄侑宗久を好きになれたのだからそんな病が起こる理由も少ないけれど、それの来る予感だけは感じていた。その時読んでいたジャンルに関係はなく、ただ周期的に来るものなのかもしれない。行を追うのが純粋に楽しい、しかし終わりに近付けばそれが惜しい、忍法帖シリーズにはこれまで何度も助けられてきた。
豊臣家滅亡の際、豊臣秀頼の妻千姫(家康の孫娘)は家康軍に救出された。しかし真田幸村の陰謀により、秀頼の子種を宿した女忍者五人が千姫に付き従い、いずれ徳川家に復讐する子を産むために千姫付きの侍女に紛れて江戸に逃れていた。千姫自身が身籠っていては堕ろされることは必定であるから。事に気付いた家康は千姫可愛さのあまり、姫に気取られず、自然な事故で五人の女忍者が子供を流したように見せかける為に手練れの伊賀忍者五人を送り込んだ・・・・・・。 いつものようには乗り切れないまま読み進む。妊婦だらけの女たち、悪役でしかない刺客たち。大鎖鎌ぶん回す丸橋という大女(これも妊婦)が出てくるまで、好きなキャラクターが一人もいなかった事が原因の一つ。妊婦が刺客を殺す、刺客に殺されるという様はいつも以上にグロテスクに感じられ、一歩引いてしまった。ただその設定が終盤とんでもない形で生きてくるのには度肝を抜かれ、山田風太郎はすごい、ということに結局なるのだが。千姫を誅すべきか、許すべきか、幾度も迷う家康のように、作者の筆もふらついているような印象も途中までは受けた。 「くの一」といえば「女」という字を一画一画分解して読ませた、女忍者を指す語として常識になっているが、そもそも忍者間の間でただ「女」を指す隠語だったという。という設定も山田風太郎の創作だったかどうかはそのうち確かめる。ともかくこの作品以降、小説に出てくる女忍者はくの一と呼ばれ始め、「女忍者=くの一」が一種の流行となり、Vシネマでは「くの一忍法帖」シリーズとして、原作を離れてエロに重点を置いた作品が作られることにもなったという。 この話を忠実に映像化した作品はこれからも出来そうにはない。 角川文庫版 1999年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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