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カテゴリ:俳句関連の本の感想
車谷長吉の小説は機会があれば読もうと度々思っているのに、その名前を思い出した時はいつも、あまり小説を読みたくない時期であるから、いつまで経っても読めないでいる作家の一人。の句集。俳句との関わりがいつ頃からかなど、何も書かれてないのでさっぱり分からないが、小説家の手慰みというものでもない。良句も多い。
車谷長吉の名前を心に留めたのは、松浦寿輝の『同居(「そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所」収録)』という短篇に出ていた、彼の若き日の異様な姿が印象的だったからだ。 あの頃わたしは文京区の白山の路地裏のアパートの一階の陽当たりの悪い部屋にうらぶれた思いで暮らしていた。隣りの隣りの部屋には頭を坊主刈りにした年齢不詳の男が住んでいて、小さな座卓に向かって正座し背を丸めて昼も夜も何か書きつづけていたのが不気味だった。路地に面したその男の部屋の窓にはカーテンも何も下がっていないので家財道具というものがいっさいないがらんとした室内が外から丸見えで、わたしの部屋は路地のさらに奥まったところにあり行き帰りのたびにその窓の前を通るので、カーペットも敷かない板の間に正座した男が真っ暗な部屋に小さな卓上ランプだけ灯して昼夜を分かたず一心不乱に何かを書きつづけているさまが否応なしにちらりと目に入らないわけにはいかなかったのだが、それが作家の車谷長吉氏であったことを知ったのはかなり後年になってからのことだ。やがて『赤目四十八瀧心中未遂』のような怖ろしい傑作を書くことになる異才の持ち主の、ほんの一時期とはいえ隣人になれたのは名誉なことと言わねばならぬ。車谷氏とは二、三年前に何かのパーティで初めてお話する機会があり「本当に妙なご縁で」と笑いあったが、ごく普通の常識人でおられるように拝見した。もっともわたし自身だって他人の目には誰に対しても愛想の良い穏当な常識人としか映ってはいまい。 松浦寿輝『同居』より 若き日の作家の執念が垣間見える。それがやがて「地虫鳴く次ぎの原稿責められて」や「木の葉雨文士廃業切り出せず」なんて句を詠むようになる。 以下好きな句。 名月や石を蹴り蹴りあの世まで 草若葉田舎巡査の尻の跡 枯菊を焚く女には影もなく 朝寒や女の尻をなでなほす 初髪のにほふ婆ァの濡れて行く 春が来そうで来ない。 沖積舎 2003年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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