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旅行から家の近くに帰ってきたときの安心感、木漏れ日の中でなんとなく味わうあたたかな気持ち。意識の中に感じるこのような数量化できない微妙な質感を「クオリア」と呼ぶ。
茂木健一郎氏のいうところの「クオリア」を自分なりに考える。 先週ルーブル美術館展でたくさんの絵を見た。ほとんどの絵が手抜きなしで写真のように対象をとらえている。肌・水・布の持つ質感、実に美しく表現されている。が、私好みではない。この絵を媒体に私の中に生まれたクオリアは質感としては中の下というところだ。こんなお行儀のよすぎる作品群では心の揺れはそよ風程度である。 もうずいぶん前になるけれどクレー展に行ったとき、クオリアに酔ってしまって帰り道ふらふらになったことがある。暖かく繊細なかたまりのような何かが自分の中にポッと生まれる感覚である。好みだとか酔うというのは、自分とその媒体との間に生まれるクオリアの質感のよさではないだろうかと思う。だってそこにあるのは死んでいる物質でこっちに向かって何かを発しているというのは自分の思い込みであるからだ。好き嫌いはすべてクオリアが支配しているのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月01日 21時02分01秒
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