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カテゴリ:地域・推進事業など
アメリカとイラン・・大変なことになってきました。
大切なことに気が付かなくてはならないと思います。 国の大統領が腹がたつからと、 報復しあってていいのでしょうか? 日本の国の立場ではどうしていればいいのでしょうか・・ ・今は国の外交に問題はまかせるしかありません。 茅ヶ崎では、今年はオリンピックが開催されることにむけて、警備の方々 ががんばっています。 オリンピックは平和の祭典です。昔のオリンピックの時、私は渋谷の原宿に住んでいました。 1964年。6才でした。育ててくれた祖父母が亡くなり、一人っきりで、顔を見たこともない両親にひきとられ、そこで生きていかなければなりませんでした。 冷たく寂しい、ビルの家。生んでくれたけど、見たこともない、自分を理解してもらえない、 そこから飛びだし、自分を育ててくれた親は死んだんだ・・と思って、空を見上げた時に5輪のマークが空にうかんでいました。 代々木競技場が、すぐそばでした。 第二次世界大戦・・日本は負けました。辛い思いをしたのは、国民です。 私の母は疎開先で、親戚の家に預けられ、差別されて、まずい飯を食わされた・・と言っていました。 父は、渋谷の原宿なので、東京大空襲で、焼かれる前に神宮の森に逃げた・・と。語っていました。 祖父は軍人でした。祖父の亡きあとには、一本の軍刀が部屋のすみにころがっていました。 人を切った刀かもしれない、でも、もう錆びてきてました。 二度と戦争をおこすようなことになってはならない。平和憲法も作られました。 でも、まだ戦争の爪痕が残っていました。 渋谷駅で私は、子供の時、片手片足を失った、元戦争へいった兵士の方が働くことも出来なくて、 「おめぐみぐださい、どうかおめぐみを」と・・一本の足で 松葉づえをついて、たってて、そう言っているのを聞きました。 若い人達はこんなありさまは知らないと思います。 平和の祭典、オリンピック、どうか、この世が平和になりますように・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.02.16 11:11:46
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