生命は
昨年の暮れに、かっこちゃんのメルマガで知った、吉野弘さんのこの詩を、私は何度も読みかえしています。 生命は 詩人・吉野弘生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ世界は多分他者の総和しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせずばらまかれている者同士無関心でいられる間柄ときにうとましく思えることさえも許されている間柄そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?花が咲いているすぐ近くまで虻の姿をした他者が光りをまとって飛んできている私も あるとき誰かのための虻だったろうあなたも あるとき私のための風だったかもしれない【送料無料】素直な疑問符価格:1,470円(税込、送料別)先日の日記で、自分の事は自分で決める!と偉そうな事を書きましたが、自分が、自分で、自分を、何もかもどうにかできるもんではない事は痛いほどわかっています。どうがんばっても、実はどうにもならない事も多いし、前向きに生きていたって、確実に終わりはやってくる。そんな事も百も承知。あの人は平穏無事な暮らしで長生きし、こっちはジェットコースターみたいな浮き沈み人生。なんで?なんて憎まれ口だって叩きたい時もある。 「生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ 世界は多分他者の総和」この詩のこの部分で、私は動けなくなる… 「しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄 ときにうとましく思えることさえも許されている間柄」ああ、まさにうとましく思ってました、私!これ私です!うとましく思っちゃって、でもそれさえ許されている世界。この世界。この宇宙。たとえば、私が右手の人差し指のツメ、だったとして。連日洗い物やら書き物やら掃除に炊事、パソコン操作やその他、日常生活のほとんどの場面で、てんてこまいの忙しさ。それにひきかえ、足の人差し指のツメはたるんでる!私みたいにちょっとは働いてみなさいよ。ろくな働きもしないで、不公平すぎる!なーんて、感じてるようなものです。足のツメも、人知れず苦労してるのを知りもしないで。手のツメも足のツメも、お互いを良くは知らないし、別の場所でそれぞれ頑張って生きている。手のツメは、手という場所で頑張る。足のツメにはなれないし、なろうとしなくていい。(時々、足の指がかゆくなった時、助けに行く^^)一方、私の体内では、今肺に不具合が起きている。ピンチである。でも、その不具合を何とかしようと、免疫細胞が体中をかけめぐって、一兆個ともいわれている、その集団内で連携し、コミュニケーションをとりつつ、識別した物質を排除しようとする。身体、という宇宙の中でもこうしたことが起きているんですね。あまりに凄い事で、何を言いたいのかわからなくなってしまいましたが。。。あ、そうだ。自分が自分が、という気持ちも大事とは思いますが、欠点のある自分なのだから、誰か他の方の力を借りて、生きていられるんだ、ということを、忘れないようにしなくちゃ、今日はそんな事を思いました。