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カテゴリ:グリーンマックス
Twitterで軽便鉄模アンテナ管理人のうかいさんが,グリーンマックスの歴史について述べておられます。そこで,今回は,グリーンマックスの歴史を探ってみたいと思います。別稿と重複する点も多いですが,ご容赦ください。 1956 第1次須津谷急行発表 (TMS1956年6月号の表紙を飾る,第一次須津谷急行。右側の青年が鈴木氏) 1956年,鉄道模型趣味(TMS)誌上で,3線式Oゲージの庭園レイアウト「須津谷急行」が発表されました。1933年生まれの鈴木氏は当時,早稲田大学に在学中。東武東上線大山駅近くで鈴木氏の父が営む洋品店「スズヤ」の裏庭に建設されました。 当時のスズヤを含む大山商店街の動画がYouTubeにアップされています(3分48秒頃~4分10秒頃)。 https://www.youtube.com/watch?v=AM0PTkT5Jzo 1957年頃,鈴木氏は早稲田大学英文科を卒業。兄と共にスズヤを引き継ぎます。 1966 第2次須津谷急行発表 1966年,TMSでHOゲージの室内レイアウト「第2次 須津谷急行」が発表されました。 「昭和38年より赤字路線として家中を騒がした須津谷急行も,その後,政治的に強引に問題が解決され,土地買収,測量を終りました。しかし何分にも資金ぐりに苦しみ,工事も牛歩的でしかも気まぐれに行われ…しかし,39年度ともなりますと沿線に工場や団地等が開発され,40年初頭からは…急行電鉄の名に恥じない線に昇格いたしました。」(TMS1966年8月号520頁)とあります。 1968年6月には,後にグリーンマックス大山店が入るスズヤビルが竣工し,鈴木氏は同ビル2階でレストラン「ピノキオ」を開業します(※商業界1978年4月号ではレストランの開業は1967年となっています)。 1971 第3次須津谷急行発表 1971年,TMSでHOゲージの室内レイアウト「第3次 須津谷急行」が発表されました。 「第2次須津谷急行は218号に紹介され…その折,すでにこの第3次須津谷急行の構想がたてられていたが,自宅新築と共にその一室がレイアウトルームとして確保されここに三たび誌上に登場することとなった。」(TMS1971年2月号105頁)とあります。 1972年9月15日,スズヤビル1階に模型店「マックス」が開店します(開店日は日本模型新聞991号による)。当初は8坪(日本模型新聞991号による。商業界1978年4月号では6坪)の小さな店でした。 (TMS1973年3月号より) (グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.17より。円筒形階段室と,東武電車を模した1階部分の位置関係がよくわかる) 1974年,「マックス」は,Nゲージの勾配道床や旧型客車のプラキットを発売しました。広告にはHO用クーラーも記載されています。 後年,鉄道模型店「電車くん」を開業する大内裕司氏は当時,鈴木氏から「大内君、今度ね、ウチは9mm専門になるよ。だから16番の商品は処分しちゃうんだ。それからこれがウチで出す9mmの新製品だ」とカーブ勾配道床を見せられたということです(RM MODELS2005年10月号39頁)。 (TMS1974年5月号より) (TMS1974年12月号より) 1975年,店名を「グリーンマックス」と改めます。「グリーンマックス」ブランドで初の日本型Nゲージストラクチャーである,信号所/詰所キットを発売するとともに,スズヤビル2階のレストランを模型店に変更し,25坪に拡大します。 (TMS1975年6月号より) (TMS1975年9月号より) 1976年には,Nゲージの完成品車両(通称グリ完)111系,103系高運車を発売します。当時は,関水の103系の動力を流用することを前提とした製品でしたが,翌77年には111系動力車が発売されています。他にグリ完としては72系全金車と,そのバリエーションとしての小田急1800系がありました。 1976~77年には「国鉄列車編成ガイドブック」を発売。緑色の「客車編1 LINE UP 80」(「カタログ付き改定版」もある),青色の「客車編2 BLUE TRAIN」,赤色の「電車・キハ82系 LINE UP 173」があり,背表紙には「1976年3月国鉄から全てのSLが姿を消しました。」と記されていました。 (国鉄列車編成ガイドブック) (いずれも日本模型新聞991号より。1976年当時の大山銀座商店街の略図,商店街に面した「男子専科ファッション店・ブティック」スズヤの外観,グリーンマックス大山店内の略図。同号には,「当面の課題は売場の再拡張と大改装であり,この夏休み時期には実施したい,としている。レストラン時代の調理場などを現在,そのまま倉庫にしているが,それを売場に改装すれば面積は今の倍になる。」との記述がある) (日本模型新聞991号より。大山店のレイアウト) (前掲TMS1971年2月号より第3次須津谷急行。日間名市駅の駅ビルは上記大山店内レイアウトのビルに引き継がれたようだ) (グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.7(1986)より初期のグリーンマックスの製品) 1978年には,1/700艦船キット「スカイウェーブシリーズ」を発売。先行するウォーターラインシリーズを補完するように,小艦艇や建物などを精力的に製品化しました。 「スカイウェーブシリーズ」は現在,ピットロードに引き継がれています。 また,同年,初のチェーン店として巣鴨店が開店しました(※)。 (※グリーンマックスまたはグリーンマックス・ザ・ストアーとしては,大山店(1972-2005),巣鴨店(1977-1984),下北沢店(1979-2019),鶴見店(1980?-2011),大井町店(1981),田端店(1984-2005),海老名店(のち横浜店。2002-2012),秋葉原店(2003-),大阪あべの店(現・大阪日本橋店。2006-),ナゴヤ大須店(2005-)がありましたが,2005年に大山店が閉店するなど再編が進み,現在は秋葉原,大阪日本橋,ナゴヤ大須の3店舗となっています。) (日本模型新聞1044号より) (「模型とラジオ」1979年10月号より第1回鉄道模型ショウで自社製品をPRする鈴木氏) 1979年からは総合カタログを刊行。工作のヒントや実車の知識,レイアウトづくりの視点など,情報満載の読み応えあるカタログとなっていました。 (RM MODELS2005年10月号より。歴代のGMカタログ) 1979年頃には,しなのマイクロが金属製でNゲージ私鉄電車を製品化し,GMキット向けに分売も行われます。 (プレイモデル79年夏号の,しなのマイクロ広告より) (GMカタログ79年版と80年版より,動力ユニットに関する記載の変遷。 79年版では「しなのマイクロ製動力ユニットを御使用下さい。」とあるが,80年版では「G.M製、又はエンドウ製動力ユニットを御使用下さい。」とある。この時点では20メートル用動力のみ) 1981年には「カスタムキット」として,初の18メートル車キットとなる,京急1000系キットが発売されます。これは,エンドウからの動力供給により実現したもので,それまでのしなのマイクロ製動力に替わり,エンドウ製動力がGMの標準となっていきます。 (グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.4(1983)より大山店の内外。1階の東武電車を模した部分は無くなっており,円筒形の階段室が露出している。壁面には1981年に登場した185系踊り子号を模した斜めの緑帯が入れられている) 1982年 第4次須津谷急行発表 (TMS増刊 PLAY MODEL 9より) 1982年,Nゲージの室内レイアウト「第4次 須津谷急行」が発表されました(グリーンマックス Nゲージ総合カタログ'82にも掲載)。車両・ストラクチャーともグリーンマックスのキットがふんだんに用いられています。 グリーンマックスは,科学技術館での鉄道模型ショウに出展していましたが,1982年から1986年にかけては,銀座・松屋百貨店に隣接する文具店・伊東屋において,下記のような独自の鉄道模型展を開催しています。 1982 鉄道模型レイアウト展 7/25-7/31 1983 創るNゲージ鉄道模型ショー 7/23-7/30 1984 創る鉄道模型展 8/2-8/8 1985 鉄道模型レイアウト展 7/29-8/8 1986 GM鉄道模型ショウ 7/31-8/5 1983年には,箱根登山鉄道モハ1・2キットが「バリエーションキット」として発売されました。 また,「NEW電車シリーズ」「カスタムキット」といった各キットは「エコノミーキット」に改められていきました。 1989年には,旧トミックスの香港製貨車(タキ1900セメントターミナル,タキ1900三菱鉱業,ホキ5700,セキ3000,セム8000,ワラ1)が限定品として発売されました。また,1993年にはオリジナル製品として,ホキ2500・9500のキットが発売されています。その他にも貨車数種が予告されていましたが,これは未発売に終わってしまいました。 1992年には,グリーンマックス20周年と銘打って「スペシャルキット」東武スペーシアを発売。同キットは,ステッカーまたはデカールにより複雑な塗装を容易としていました。さらに,翌1993年には初の塗装済みキットとして,東武10030系が発売されます。 その後,90年代後半には,グリーンマックス・ザ・ストアーのオリジナルブランド「クロスポイント」が発足。GM製品のバリエーション的展開に加え,富士急行5000系レジンキットや,あべの店オリジナルのエッチングキット(1997-2002。 南海22000系角ズームカー,南海21000系ズームカー,近鉄11400系新エースカー,近鉄20100系あおぞら号,近鉄680系)といったプラ以外の製品も登場しました。 (GMカタログ96年版より。 上二つは,ウエイトが黒色に変更された動力ユニットで,2016年にコアレスモーター動力ユニットが単品販売されるまで,GMキットの標準指定品だった。 上から三つ目の小型動力ユニットは,もともと箱根登山鉄道モハ1・2や,キハ04といったバリエーションキット用に発売されたが,なかなか性能が安定せず,1998年に刷新された(これも現在は絶版)。 上から四つ目の新性能小型動力ユニットは,トミックスのベルニナ用で,箱根登山鉄道モハ1・2,京阪京津線600形,江ノ電1000形タイプに使用することができた) 2002年のキハ200を皮切りに,グリーンマックス製品も完成品の比重が大きくなり,マイクロエースや鉄道コレクションのように,同一形式であっても細かい差異が作り分けられるようになるなど,新しい時代を迎えているようです。 一方で,ストラクチャーキットも塗装済みが登場するなど,従来の製品も引き続き発売されているのは嬉しいことです。 <参考文献> 日本模型新聞991号(1976年5月1日)32面以下 日本模型新聞1044号(1978年7月15日)41面 商業界1978年4月号164頁以下 RM MODELS2005年10月号39頁 グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.17(2017) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.21 23:11:10
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