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真理を求めて

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2004.09.01
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カテゴリ:映画
「華氏911」を見て頭に浮かんできたものに、「わかりやすい」ものと「わかりにくい」ものとの違いというものがある。これは、難しい分かりにくいものの方が高級で価値が高いというものでもない。分かりにくいものは、表現者が単にそのことをよく理解していないから表現がうまく伝わらないだけのことであるかもしれない。

表現が稚拙なためにわかりにくくなっているということもあるだろう。ものすごく複雑で難しいことを表現しようとしているので、どうしてもわかりにくくなってしまうということもあるだろう。ネタ(比喩的表現)とベタ(直接的表現)の違いによるわかりやすさや難しさもあるかもしれない。ネタによる表現を展開しているのに、ベタで受け取られたのではその真意は伝わらない。そして、真意が分からない表現は難しいと受け取られるだろう。

「華氏911」のわかりやすさも、それがどのような価値を持つわかりやすさなのかというのを解釈するのは難しい。ブッシュの悪が、いかにも悪いヤツの典型のように表現されるだけなら、それはとてもわかりやすいのだけれど、ブッシュを軽蔑しバカにして溜飲を下げるという、感情的な反応で終わるようなわかりやすさなら、それはワイドショー的な俗情に媚びるわかりやすさと同じになってしまうだろう。勧善懲悪を表現する時代劇が持っているようなわかりやすさになってしまう。

「週刊金曜日」に掲載されている「山口二郎の政治批評」の中に、この「華氏911」を巡る次のような文章がある。

「ボストンで話題の映画「華氏911」を見たが、あの映画の最大のテーマは、アメリカにおけるメディアの貧弱さであろう。マイケル・ムーア監督は、テレビや新聞が伝えないあきれるほど基本的な事実を映画によって伝えていた。「ニューヨーク・タイムズ」のような比較的質の高い新聞を読む人は国民のごく一部であり、大半は大衆紙とテレビによって情報を得る。そうしたメディアが大資本によって動かされ、基本的な事実にふたをすると、人々は虚偽を前提にして行動する。アメリカは我々が想像している以上に、情報流通の不自由な社会である。ブッシュ陣営のデマを否定するためにケリーがエネルギーを使わされるという状況を見て、アメリカ大統領選挙の行方について暗澹たる思いがした。」

アメリカ人の大半は、隠された意味を探りながら、その表現の意味を深く鑑賞して、たとえわかりにくくてもその表現の深さを味わうという観客ではないのだということなのだろうか。そういう前提でマイケル・ムーアの表現を考えなければならないのではないかと山口さんの文章を読んでそう思った。マイケル・ムーアがどうして、あえてあのような表現を選んだのかということを考えなければならないと思った。

マイケル・ムーアは「あきれるほど基本的な事実」をまず伝えたかったのだろう。一般アメリカ人にとっては今はそれが必要なのだろうと思う。そういう意味では、日本での言論状況の方が、今のアメリカよりはましなのかもしれない。だから、宮台真司氏なども、我々日本人はこの映画を単純に礼賛するのではなく、もっと深い読み方をしなければならないと呼びかけたのだろう。その深い読み方の助言としては、この山口二郎さんの政治批評の最後に次のように書かれている。

「ムーアが描いたとおり、グローバル化によって下層に沈み、生活に苦労している若者が兵隊になり、アメリカ流グローバル化によって大もうけしているブッシュとその同類のために戦い、犠牲になっている。

日本では、とりわけこの問い(アメリカにつくのか、つかないのか)が重要である。戦争と不平等か、平和と平等か、これほどわかりやすい対立の構図はない。アメリカの威を借りた9条改正論や武器商人のための改憲論に断固として反対の声をあげる時だ。日本はアメリカよりも自由な議論が可能なはずである。」

ムーアが表現している事実を、事実のレベルで受け取るだけでなく、そこの背後にある構造にまで思いを馳せて受け取る必要があると伝えているように感じる。本多勝一さんの言葉を使えば、「殺す側」に立つのか、「殺される側」に立つのかということだろうか。我々の大部分は「殺される側」にいるのだが、現代社会の複雑さは、直接「殺される側」にいる人間と、間接的に「殺す側」を利するような存在として、「殺す側」の利益のおこぼれに預かる「殺される側」の人間を作った。

今は利益のおこぼれに預かっている「殺される側」の人間は、状況が変わればいつ直接「殺される側」に回るかは分からない。その構造をとらえて、「アメリカにつくのか、つかないのか」という問いを考える必要がある。本質的に「殺される側」にいると自覚してその問いを考えなければならないと思う。

一般アメリカ人で、大統領選挙に影響を与えうるような立場にいる人々は、「殺す側」の人間か、その利益のおこぼれに預かっている「殺される側」の人間だ。彼らは、マスコミが宣伝する嘘であっても、それが自分たちの利益に資すると思えば、嘘の方を受け入れやすくなるだろう。それに対して単純な真理を置くという表現は、今のアメリカの状況においては運動論的には正しいのではないかと、山口さんの指摘を見て僕はそう思った。

そして、アメリカにおいては正しかろうと、状況の違う日本においては、その表現の受け取り方はやはり違うものでなければならないのではないかと思った。「華氏911」は、アメリカ人にとっては単純でわかりやすい映画でいいだろうが、日本人にとってはその背後を深く読みとる、ある意味ではわかりにくい難しい映画でなければならないのではないかと思った。

「華氏911」を離れて、映画一般についてわかりやすさ・わかりにくさを考えると、ハリウッド製のアクション映画はとても分かりやすいものが多い。正義のヒーローは、あくまでも正しく、悪者はいかにも悪そうなヤツが出てくる。正義のヒーローの活躍によって、悪者が倒され、おまけに恋もハッピーエンドに終われば、これほど気分すっきりと爽快に終われるものはないだろう。

映画が娯楽作品として、観客の期待に応えることを第一の目的とするエンタテインメントだったら、ほとんどの映画がこのような構造を持っているだろう。確かに、大衆受けする大ヒットする映画はこのような構造を持っているように感じる。しかし、期待に反する展開や、どうしてそうなってしまうのか分からないという展開をする映画もある。芸術性が高いといわれる映画ほどそのような展開をすることが多い。

現実の厳しさを虚飾なしに正直に描いたような作品もある。映画はフィクションなのであるから、現実は厳しくても、希望を抱けるような展開を描きたくなるものではあるけれど、見終わったあとに絶望感さえ生まれてきそうな映画もある。

しかし、不思議なことに何度も繰り返して見たいと思う映画は、このようなわかりにくさがある映画の方だ。わかりにくいからこそ、一度目で気がつかなかったことを二度目には何かが分かるのではないかと思いながら見ることになる。

ストーリーの面白さで見てしまう映画は、ストーリーが分かってしまったらあまり見る気がなくなる。初めて見る時ほどの面白さが味わえないからだ。また、気分爽快感を感じるために見る映画は、二度目の気分爽快感は、一度目よりも薄れる。

ある種の問題提起をして、しかも完結していない映画というのは、見るたびにその問題に対する考えが変わることもあり得る。こういう映画は、完結していないことに価値があるのかもしれない。

難しい・わかりにくい映画は、何度見てもその難しさが変わらなければ、そのうちくじけてしまうだろう。難しさをはらんでいても、その難しさがどこかで解決できるような瞬間が味わえなければ、あまり何度も見る気になれない。少し難しい映画の方が、深い内容を持っているはずだが、自分にちょうどぴったり合うような難しさを持っている映画に出会うのはなかなか難しいものだなと思う。

逆に、単純で深みのない映画でも、それなりに楽しめて、時々そういうものが見たいと思う時もある。単純なアメリカンヒーローを描いたものでも、時にそのアクションシーンだけを味わうために見たいと思う時があるものだ。また、深みはなくても、単純に爽快感だけを味わいたいという思いから、ハリウッド製の昔のミュージカルが見たいと思う時もある。

ここら辺の心理は誰もが持っているもののような感じがするが、どうしてなのかを考えるのは面白い問題になるのではないかなと思う。

難しさが理解できる瞬間というのは、その難しさの中にきわめて単純な真理を感じることが出来た時、いっぺんに全体像がつかめたという気分になり、それが分かったという感じになる。数学をやっていた時は、そういう瞬間をよく味わったものだ。そして、その難しさを理解してから、今度は単純で分かりやすいものを眺めると、その単純さの中に本質的に難しい問題が見えてきたりする。弁証法的な言葉を使うと、対立物の相互浸透という感じの体験をする。そうなった時、わかりやすさ・わかりにくさ、複雑さ・単純さという対立を本当に理解したと言えるのではないかなと感じる。





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最終更新日  2004.09.01 08:48:50
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Re:わかりやすい映画、難しい映画(09/01)   苺1500 さん
確かにギャング映画なんか見て、もっとやれーなんて気持ちになるのには我ながら呆れる時があります。
マスコミがさぼることで資本に協力している事実を逆転して見せることでムーアはえぐっていると思います。
この間、共和党の大会にムーア氏が出席して愚かな大衆の野次を受けながら、傲然と坐っていた姿を面白くみました。 (2004.09.02 20:20:39)

Re[1]:わかりやすい映画、難しい映画(09/01)   秀0430 さん
苺1500さん

マイケル・ムーアはリベラルと呼ばれているそうですね。でもリベラルは、アメリカでは中道派ではなくて左翼だそうです。アメリカの中心がどこにあるかというのが、このことでよく分かりますよね。普通の人間が保守という右翼で、極右にでもならなければ右翼とは呼ばれないのでしょうね。

宮台氏が、普通のアメリカ人が自覚すれば、民主党の主張の方が多数派を占めるはずであるのに、なぜか宣伝の力によって共和党支持者の方が多数になるといっていました。自分の立ち位置を自覚するというのは難しいものです。 (2004.09.03 10:19:00)

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