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「「日米合意文書の内容判明“訓練”は全国分散」
5月26日0時11分配信 日本テレビ」 という記事には次のように書かれている。 「アメリカ軍普天間基地(沖縄・宜野湾市)の移設問題で、日米の外務・防衛担当相が28日にも発表する合意文書の内容が日本テレビの取材で明らかになった。 合意文書では、沖縄・名護市辺野古のアメリカ軍キャンプ・シュワブ及び隣接する水域に1800メートルの滑走路を1本建設するとした上で、詳細については専門家が8月末までに詰めることとしている。 また、「辺野古沿岸部を埋め立てる現行案を前提に進められてきた環境影響評価の手続きに大幅な遅れが出ないようにする」として、14年の移設完了が大幅に遅れないようにクギを刺している。 さらに、普天間基地のヘリコプター部隊の訓練については、アメリカ軍独自及び日本との共同の形で鹿児島・徳之島を含む全国に分散させるとして、徳之島への訓練の移転も明記されている。」 さて、この記事の解釈だが、昨日紹介した 「沖縄県外、国外、諦めるのはまだ早い」 によれば、「米側には共同文書にどうしても「辺野古」、すなわち「キャンプシュワブ沿岸部」の文言を必要とする事情がある」ということだった。だから、この前提を認める限りでは、「合意文書では、沖縄・名護市辺野古のアメリカ軍キャンプ・シュワブ及び隣接する水域に1800メートルの滑走路を1本建設するとした上で、詳細については専門家が8月末までに詰めることとしている」とするのは、特別に不思議なことではなく、むしろ論理的には当然のことだ。 論理的に当然だと言うことは、それが正しいと言うことではない。論理というのは、前提を認めた場合に、結論が論理として導かれることであれば、それにどんなに反対したいことであろうとも、それが起こることを阻止できないと言うことに過ぎない。つまり、物語の前提として、アメリカとの合意を成立させるというものを選ぶなら、アメリカが入れざるを得ない「移設先として「名護市辺野古周辺」と明記」と言うことが入ってくるのは仕方のないことだと受け止めなければならないと言うことだ。 だが、これを受け入れたからと言って、ここで物語が終わるわけではない。物語の終わりをここでピリオドを打つようなことをすれば、敗北感だけでいっぱいになってしまうが、この物語の続きを設定するなら、言葉を明記したくらいで、現実には辺野古移設など出来ないという物語を作ることも出来る。それが<永田町異聞>というブログが伝えていたことでもある。 その続きとは、 「まずは沖縄県知事の許可を必要とする。仲井真知事が地元住民の猛烈な反対を無視して許可を出すとは思えない。 ジュゴンの保護を求める人々がサンフランシスコ連邦地裁に起こした訴訟で、一昨年1月、同地裁は被告の米国防省に対し、新基地建設が米国文化財保護法に違反するという判決を下している。最終判決はまだだが、原告勝利となると米国は根本的な見直しに迫られる。」 という物語だ。特に必要な物語は、「地元住民の猛烈な反対」ではないかと思われる。それは、おそらく想像を上回るようなものが生まれるのではないかと思う。心ある本土の人間は、この反対に対して、最大限の支援をするべきだと思う。それが物語の続きを支えることにもなるからだ。 このニュースは、物語の続きを考えなければ、鳩山政権の裏切りとアメリカへの屈服という印象しか感じられないが、物語の続きを見ることによって、まだ希望を語ることが出来る。物語が、本当のピリオドを打つまで、希望を持ち続けようと思う。 物語の続きを見ることが出来れば、たかが言葉が入ることくらいは大したことではないとも思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.26 01:18:51
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