近畿平和と古代を訪ねる旅 最終回
8月7日(土) 8日目午前はひたすら伊勢へ伊勢へと進みます。とはいっても、途中、ところどころで寄り道はしました。ここは獅子岩というところ。熊野灘に向って吼えているみたいですよね。なだらかな七里浜の街道をさらに行っていると、鬼の城という標識があったので車を止める。全国各地にある桃太郎伝説は知っていますが、本家本元はなんといっても吉備の等の国の鬼の城だろうと思うので、対抗心です。近くの人に行き方を尋ねたら、道はないというので諦めた。岩に洞窟があるとかないとか。まあこのような崖のどこからあるのでしょう。紀伊長島道の駅はマンボウで町おこしをしていました。なんとマンボウの串焼き(350円)があった。鶏肉に似ているけど、まさしく魚の肉。不思議な味である。伊勢道が社会無料実験とかで無料、早速利用させてもらい、予定より早く着いた。伊勢神宮の参道がとっても楽しい。個性のある店舗が軒を連ね、見たことのない商品が並び、切妻造りの歴史的な建造物が沢山残っている。今まで最高の参道だった。赤福屋本店、山中薬局(萬金丹や改源の薬屋)等の老舗、ウニの底の殻の美しい模様に気がついたり、冷たいきゅうりを100円で売っていたり、だんご屋の家の構造のすばらしさに感心したり、甘酒があまりにも美味しいのでびっくりしたり、とってもキメの細かいかき氷をたべたり、伊勢うどんをはじめて食べる。濃い甘口のしょうゆうどんなのであるが、全く腰がないのである。「こんなのうどんじゃない!!」讃岐うどんに慣れた者が伊勢参りに来たならば、こういう感想を持って還ったに違いない。でも我慢してたべていると、ぼそぼその麺が醤油に絡んで少し旨く思えた。伊勢神宮の境内は、大きく古く、静寂で、そして人が多かった。まさに日本を代表する神社である。実は、この旅の締めに伊勢神宮を選んだのにはわけがある。20年前の正月明け、わたしの母がこのお伊勢参りの途中に階段で転んで、それが元で風邪を引き、肺炎になって、もともと病弱だったので、そのあとそのまま亡くなってしまったのである。母が伊勢に参る前だったか、後だったかは知らない。代参ということではないが、いつかは行かなくてはいけないとは思っていた。母が転んだ階段がどこかは知らない。イメージとしては金比羅の長い階段を思い浮かべていたのだが、どこにも長い階段はなかった。あるとすれば、本殿前の10数段のこれくらいなものか。人の生死を分けるきっかけなんてものはそんなものなのかもしれない。伊勢神宮の近くに猿田彦神社がある。面白いのはその境内にアマノウズメ(天の岩戸の前で裸踊りをした人)を主神とする神社もあったということだ。猿田彦は行く方向を決めてくる、アマノウズメは縁結びということで、多くの人が参っていた。絵馬の中には東京港区「エンターティナーとして生きます」という男性のものもあった。その後伊勢の町をそぞろ歩きをする。市立博物館に行く。考古学はこの町では後景に追いやられているのかひどくみすぼらしい。そこの遺物説明に「伊勢市には古墳は104基確認されている。その多くが6世紀後半からのものであって、前期古墳はひとつも発見されていない」とあった。つまり、大和に政権が出来る3-5世紀にこの地域に有力者は一人もいなかったのである。このひとつからでも、所謂「古事記」における神話の世界は嘘八百だということが分かる。歩いて、倭町の隠岡遺跡にたどりつく。弥生時代後期の住居22棟が出てきたらしい。私の旅はここまで。その後一晩かけて倉敷へ帰って行く。車で車中泊が出来たのは、この最後の日含めて9日のうちたった二日だった。貧乏旅と言いながら、後半で体調を崩してタカが外れたということもあり、約7.5万円の出費で、日本の旅は「高くつく」ということを証明してしまった。幾つか反省点はあるので、もう一度国内貧乏旅は挑戦してみたい。みやげ1,200 マンボウの串焼き350 焼ウニ480 きゅうり100 甘酒100 団子100 かき氷500 おかげ参り歴史館300 伊勢うどん570 おみやげ1,220 市立博物館100 お茶150 本500 バス代480 夕食ラーメン650 ガソリン4,200 高速代2,500計13,600円歩数 18,612歩総走行距離1,464 Km総出費 75,087円今日から3日ほど留守にします。佐世保の平和大会に行ってきます。