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テーマ:子どもとの毎日(640)
カテゴリ:要するに日記
今日から子どもは週末に行っている課外活動クラブが主催するキャンプ。
朝9時に送っていき、じゃあね、と子どもを置いてきた。 少し心細そうな顔をしていたのに少し胸を衝かれたが、きっとたくさんの 仲間や先生と騒いでいるうちに忘れてしまうだろう。 去年の幼稚園のお泊まり会と同じようなものだ。今年は2泊3日だが。 夫と2人、静かな夜を過ごす。 子どものためにと辛味を付ける前の料理を取り分ける手間もなく、 夕食では心ゆくまで辛いナス炒めを堪能する。 寝る前におもちゃを片付けさせたり絵本を読んでやったりすることもない。 いつもいかに子どもに時間を割いているかがいなくなるとよく分かる。 普段はあまり見ないテレビが点いているのもある意味新鮮な気がする。 子どもが生まれるまでは長い間2人だったので、また以前に戻ったようだ。 それぞれ本を読んだり、時折雑談をしたりする。 子どもがあと十数年経ってうちからいなくなれば(高卒後は家から出す予定)、 またこんな時間が復活するのだろう。 してみると子どもが一緒にいる時間というのは夫婦で過ごす時間のうち ほんの一時なのだなあ、と今更ながら実感する。 結婚生活が50年だとしても子どもがいるのはその半分以下。 子どもはやはり何か大きなところからの授かりもので預かりものだ。 夫婦の間に居候している、自分の内から出た自分ではない人。 そういう人を親の都合だけでいい加減に扱うことは許されまい。 「自分の分身」でもなければ「ペット」でも「友だち」でもない。 まして「邪魔者」だの「虐める対象」として扱う対象ではない。 子どもは「子ども」であり、親は子どもを子どもとして遇する義務がある。 良き妻でいるより良き母であることの方が難しいと自分は思う。 自分はそのどちらでもないが、でもトライするなら良き母の方だな(笑 (古典的な「良妻賢母」とイコールではない。念のため) 子どもがいなくなってもう少し寂しいかと思ったが、それほどでもない。 不在は絶対的ではなく、明後日には解消されるという楽観があるからか。 ただ、何となく家の中の空気が動かない感じはある。 人によってはそれを寂しいと感じるのだろうか。 久々の静かな2日半を楽しむことにする。…明日は職場の健診だが。 最近読んでふうむ、と唸った本。 この辺も読んでみたい。図書館で探そうかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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