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カテゴリ:その他『CLANNAD』
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『CLANNAD AS』の16話から18話まで視聴しました。 渚の出産から、朋也と汐の二人っきりの旅行が終わるまで。 愛する人を失う悲しみと、愛する人のために生きることの尊さを伝えるにおいて、原作とは一味違う、細やかで躍動感ある表現をすることに成功していると思います。 細かいところまで妥協無く丁寧で、この巻は全体的に素晴らしい出来です。 演出上注目すべきは、汐の「子供らしい」挙動の数々。 また、最初に朋也は汐との距離を測りかねて大人気ない態度を取り続けるのですが、それが旅行中一緒に過ごす中で少しずつ変わっていく様子も、段階を踏みつつよく描けていました。 朋也も渚も汐も、本当に登場人物の表情が豊かで、彼らの笑顔も渋面も泣き顔すらも、全てが愛おしい。 生きているのだ、と思えます。 渚を失って一度は絶望した朋也が、古河夫妻を始めとする周囲の人々に支えられながら、かつて渚から受けた愛、そして父の直幸から受けた愛を思い出すまでの過程は極めて感動的です。 さらに、汐の「親泣かせな発言」の連発がヒドい。 「選んでくれて、買ってくれたものだから。初めて、パパが」 これを聞いて、涙が吹き出ました。ゴァッと。 この一言を放った時の泣き顔に、汐の五年間の孤独が一手に込められていることを感じたからです。 朋也に買って貰ったおもちゃのロボットに目を輝かせ、大事に持ち続けていた理由はただ一つ「朋也が買ってくれたものだから」。 その健気さは、つまりこの五年間、朋也がおもちゃ一つ、お菓子一つすら汐に買ってやらなかった、完全に無関心状態だったことの証明でもあります。 岡崎史乃の話を聞き、直幸からの愛情を思い出した朋也には、それが如何に残酷なことなのかようやく理解できた。 そして同時に、自分がまだ渚と共に生きていた頃の幸せを取り戻せるのだと実感した。 渚に、古河夫妻に、汐に、直幸に支えられて、朋也はついに自分が幸せになる方法を思い出します。 それが、他者を愛すること。 自分と、自分以外の誰かのために生きることです。 これほど強烈に訴えかけてくるアニメ作品を久しぶりに見ました。 今まで朋也の人生を描いてきたのは、この一瞬のため。 帰りの電車の中、汐に渚との思い出を話しながら男泣きする朋也を描くためだったとすら思えます。 あの涙を見て、その直後の汐の満面の笑顔を見て、俺の身体の中の悪いモノがまとめて削げ落ち、洗い流されていくような清々しい気持ちを味わいました。 本当に、凄まじい出来です。 俺は現時点で、『CLANNAD AS』をアニメ作品の最高傑作の一つとして全面的に評価します。 あくまで「現時点で」です。 原作からして、この後のクライマックスに向けた処理が非常に難しいことは知っています。 とにかく、今までこのアニメを見てきて本当によかった。 そう思える、素晴らしい回でした。 こまだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.05.07 23:17:16
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