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昨日「眼科医」に行った時に、
あらためて「気づいたこと」がありまして、 今日はそのことを書いてみようかと思います。 「待合室」には、中年の女の人2人とおばあさん1人がいました。 すると、もう1人おばあさんが入ってきまして、 座っていたおばあさんの隣りに腰掛けました、 お2人は旧来の友達のようです。 それぞれAさんBさんとしておきます。 お互いに挨拶のあと、お2人はそれぞれ「話」を 始めるのですが、これが見事に「かみ合っていない」のです、 Aさんが「年賀状のクジが1枚しか当たらなかった」という 話をすると、Bさんは「孫の切手集め」の話をし、 するとAさんは「自分の孫の話」をするといった具合で、 まさに「相手の出したフレーズにのみ反応した しりとりゲーム」のように、「話を受ける」ことなく、 「話を展開させていく」のです。 しかしその「かみあわない対話」をしているお2人は、 実に「楽しそう」でして、まるで 「かみあっている会話」をしているかのようなのです。 そしてよくよく思い出してみますと、 「病院の待合室でのおばあさん同士の会話」 「小さな子供同士の会話」って、このように 「かみあわないけど楽しそう」な雰囲気にあふれているのです。 このことは、まさに「会話」が「言葉の中身」だけでなく、 「それ以外の部分」が「重要」だということを あらためて教えてくれているかのようです。 「恋人同士のやりとり」「若いコたちのメールでの会話」などなど、 「あなたとこうしてつながっていること、 一緒にいることが楽しいんですよ」というメッセージ、 これって生きていく上ですごく大事なことのように 思えてきました。 そして旧来「女性」はこういう「コミュニケーション」を 小さい頃から自然に会得しているように思え、 これからは「男性」も、こういう「コミュニケーション」が 体感できるようになると、 案外「人生がより楽しくなる」かもなぁと、ふと思った 一幕でした(^^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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