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2019年06月12日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
・以下に「水瓶座時代 マドモアゼル愛オフィシャルブログ」の
 ブログ記事を転載します。
 かなり長文の連続になっていますが、
 個人的にすごく得るものがあったので
 載せていきます。






 2019-01-14 23:33:27
 二人の文学者に見る月との葛藤 ①三島由紀夫氏
 https://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12433010347.html

 ここに二人の文学者の、
 出生時の月と人生の関係を
 見てみたいと思います。

 まず最初に上げるのは、
 日本を代表する文豪「三島由紀夫氏」
(1925年1月14日生れ 月おとめ座)
 
 ご存知のように
 市ヶ谷の陸上自衛隊において、
 割腹自殺を遂げて若い命を落としています。
 彼の月はおとめ座にありました。
 私の月理論によれば、
 月おとめ座生まれは、
 おとめ座の素養、素質、才能を持ち合わせてない、、
 となります。
 
 基本的にまったく持ち合わせていないのです。
 しかし、月は幻影を与える星なので、
 持っていないものにその人を縛り付けます。
 人は自分の月が示す才能、素質がないにも関わらず、
 そのことに、常にこだわり続けるのです。
 
 月の星座が一見、
 その人の素質や性格を言い当てているように思えるのは、
 常にその人が、無いものにこだわりつづけ、
 そのことばかり考えたり、反応してしまうことで、
 あたかも自分に月の性格があるように
 思えてしまうからです。
 
 そして悪いことに、
 月が示す7歳までに覚えた月の幻影は生涯続くため、
 7歳までの月が示す才能というか、
 7歳までに覚えた真似事なら
 上手にできなくもないのです。
 7歳と言えば、子供によって、
 その出来ることの幅が違ってきますので、
 真似事のうまい下手も出てきます。
 中には大人よりも上手にできる子供だって
 いる場合もあります。
 
 三島由紀夫氏の家には、
 ゴミ一つ落ちておらず、
 家具はあるべきところに
 数センチも狂わずに常に置かれていた、、、
 といいます。
 通常、月がおとめ座にあれば、
 家の中は汚れ放題、荒れ放題、
 それでいて、常に掃除をしなくては、、、
 のプレッシャーに悩まされます。
 
 しかし、7歳までにおとめ座の幻影を学んだ氏は、
 掃除もそれなりにできたのでしょう。
 どんなに苦しくても、
 家の中を常に綺麗にしておく程度はできるのです。
 しかし、その場合でも、
 そのことで疲れ、エネルギーを消耗してしまう点は
 おとめ座の月に共通しています。
 
 三島氏の家はチリひとつないきれいな家であったという点、
 彼が異常にそのことに神経を使っていたことが伺えます。
 三島氏は月との戦いを常に続けていた人だった気がします。
 月の影響には例外はほとんどありません。
 その後の彼の活動は、
 月おとめ座にまさに沿ったものに思われます。
 
 彼のおとめ座の月が次に向った地点は、
 自身の肉体改造でした。
 キャシャな体つきの弱弱しそうで貧弱な自身の体に
 我慢ができなかった三島氏。
 おとめ座は器を暗示し、
 自身の体の器の貧弱さには耐えられないものが
 きっとあったのだと思います。
 ボディビル、ボクシング、その他、激しい運動を通して、
 彼は自分の体を鍛えていき、
 見違えるような体付きとなります。
 
 ここにも、本当はかなりの苦しさがあったと思います。
 おとめ座は他の領域との結界を意味し、
 細胞など、他の影響の侵入を許さない構造を求めます。
 壊されない環境、壊されない器。
 自身の肉体改造には、
 他の力によって犯されることのない肉体を
 求める思いがあったのでしょう。
 しかし、おとめ座の月は、それができないのですから、
 いくら一時的に成功しても、
 その維持は大変だったでしょうし、
 その後の肉体の衰え、ないし、老化などに
 気を遣う人生だったと思われます。
 
 あの時は鍛えたよな、、、、
 というような考えは月おとめ座にはなく、
 肉体改造が成功したなら、
 それを維持するために、
 四六時中気を使い続けたはずです。
 
 月の試みは一時的に成功しても必ず失敗に終わりますので、
 彼の肉体改造の結末は、切腹に表れています。
 切腹、すなわち腹という結界の崩壊。
 おとめ座は細胞など、結界を意味しますので、
 月がおとめ座にあると、結界が持てない、、、
 ということになります。
 月のおとめ座の人が突然太り出す、、、
 という現象がありますが、
 それは、細胞の結界と関係します。
 月おとめ座は結界を持てない、、、
 なので、結界の崩壊は結界の消失となり、
 突然太るなどの症状を生じてしまいます。
 月は生理機能に影響を与えるためです。
 
 月がおとめ座にある人は、
 結界を自身の肉体に求め、
 拒食症に陥ったり、
 食事制限を常に考えたりして
 苦しむことがあります。
 管理できないのに管理しようとするのです。
 しかし、どんなに心配して苦労しても、
 そうした試みはすべて敗北しますので、
 いつか、細胞の結界が壊れ、
 拒食症になったり逆に太り出すなど、、、
 そうした運命が多く見られます。
 月がおとめ座にある人は、
 肉体管理しようと思わない方がいいのです。
 思えば、必ず失敗に終えるからです。
 月は物事のすべてを失敗に追い込む力です。
 おとめ座の月に限らず、
 すべての星座の月がそれを担っています。
 
 三島氏の場合は、
 肉体改造に必死の思いで成功し、
 その維持にも死にもの狂いだったと思われますが、
 最終的には、自身で腹を割き、
 腹という結界の崩壊による死を招いたことになります。
 
 月の幻影に突き動かされて達成したことが、
 のちに良い影響をもたらすことはひとつもありません。
 彼は肉体改造した強靭な体で自信を得るよりも、
 さらに幻影を深める行動に出て行きます。
 幻影は達成されても実感がないので、
 さらなる幻影への行動に駆り立てて行きます。
 
 彼は日本の行く末を嘆き思い、
 日本の現状に心を痛めた氏は、
 自身の肉体改造を果たした後、
 盾の会という自費の軍隊組織を作ります。
 この軍隊組織は最初、
 財界にお金を出してもらって設立したかったのですが、
 財界は首を縦に振らず、
 仕方なく彼は自費で盾の会を作ります。
 肉体改造のあと、
 秩序を失っていく日本という器を作り直すことに
 彼の主眼が置かれていくのです。
 
 ところで、なぜ財界は
 世界の文豪の申し出を断ったのでしょうか。
 三島氏は日本の秩序が壊されていくことが
 我慢できずにおりました。
 学生に犯されていく日本や文化、、、、。
 折しも、学園闘争はピークに達し、
 新宿では騒乱罪が適応されるなど、
 首都の混乱は増していました。
 
 東京混乱を正し、秩序だてるために、
 三島氏は自衛隊の出動を願ったといいます。
 その際、自分らが先陣を切って暴徒である学生たちを襲い、
 武力によって鎮圧する、、、
 との思いが募ったのです。
 まさに月おとめ座の秩序への願いです。
 
 しかし自衛隊が
 いくら暴徒と化した学生だからと言って、
 武力による鎮圧はできないでしょうから、
 私設の軍隊が先陣を切っていけば、
 秩序が回復するとの考えが
 三島氏にあったようです。
 そのインパクトによって
 国民も日本のあるべき姿を思い、
 いたずらに西洋化せずに
 自身を律することになるとの思いです。
 
 西洋化によって日本古来の良さが失われることは
 確かに問題ですが、
 日本が西洋に侵入される、、、
 日本という器が壊される、、、
 という危機意識は
 おとめ座ならではのものがあったに違いありません。
 しかし彼の場合は
 月おとめ座の感性によってのものですので、
 本物ではないのです。
 本物ではないゆえ、悲劇へと繫がっていきます。
 
 通常の感覚で言うなら、
 いくら日本的なものを大事にする、、、
 日本の秩序が破壊されるのを阻止する、、、
 と言っても、
 だから先陣切って学生に切りつける、、、
 というのは、どこかおかしい、、、
 と誰でも感じます。
 三島氏の考えと一般国民との考えの乖離が
 そうしたところにあった気がします。
 月おとめ座が何かを守ろうとすると、
 実は守れないのは、
 こうした現実との乖離が生じるためです。
 
 秩序回復のために学生を襲うことも辞さないという三島の姿勢に、
 財界はビビりました。当然のことだと思います。
 
 実は軍隊組織はおとめ座が表すもので、
 三島氏が軍事組織にこだわるのもうなづけます。
 しかし、実際の軍事との間には、乖離があったため、
 彼の主張は防衛相での悲劇を生むことになっていきます。
 
 日本の本来の姿を求め、
 それを秩序だって形にしたいと願う三島氏の思いは、
 おとめ座本来の世界です。
 
 しかし三島氏の場合は、
 おとめ座は月であり、月は常に幻影です。
 幻影で動いても、現実はなびきません。
 彼の最後の演説が私にはどこか悲し気に見えるは、
 そのせいではないかと思います。
 
 1970年11月25日、
 三島由紀夫氏は市ヶ谷基地にて自害。
 人生五十年の生涯を閉じていきます。
 
 今回は三島氏の人生を振り返る内容とは違い、
 あくまで占星術的な意味、
 ことに月おとめ座の観点から語らせていただいたものです。
 そのため、一方的な解釈となっている部分も当然ありますし、
 三島氏の生涯をさげすむような意味で語っているのではありません。
 あくまで占星術の月の観点であることを
 ご理解ください。
 
 私個人的には、
 三島氏の死は、人間業を越えた範疇のものですので、
 良いとか悪いとかではなく、
 本来は神社に祭られるべき類のものであると
 思っております。
 
 ただ月という観点を通せば、
 これまで語られてこなかった彼の苦悩や限界、行動の意味も
 新たな視点から見えてきます。
 
 月は幻影であるゆえに、
 それは不足した部分であり、
 不足しているものに優秀な人ほどこだわっていきます。
 自身の完璧化、完全化という幻想と月は
 切っても切れない関係にあるのです。
 三島氏は世界的な文豪でしたが、
 その名声だけでは飽き足らない、
 さらに自身の不完全感を脱皮し、
 本物として完成させたいという思いが、
 彼の月を通せば見えてきます。
 
 彼の生涯の目標は、
 月に支配されていたことが、
 私の目には見えます。
 なぜ、そこにいたら落ち着かないほどきれいな家だったのか、、、
 なぜ、彼は肉体改造に夢中になり、それを成し遂げたのか、、、 
 なぜ、防衛に関心を寄せ、私設の軍隊まで作ったのか、、、
 なぜ、彼は自害したのか、、、
 
 正当な伝記などではありませんが、
 占星術の月の観点から、
 ご紹介させていただいた次第です。
 
 月とは何か、、、、
 私たちがこの世に生まれ、そして死んで行くとは、
 力学的に考えれば、割と簡単です。
 
 生かす力が私たちを生かし、
 私たちを消し去ろうとする力が、私たちを消し去る、、、
 ただそれだけのことです。
 
 生かす力が強いうちは、
 私たちは健康で元気でいられますが、
 消し去ろうとうする力が強くなれば、
 私たちは段々と弱り、
 やがて死んでいきます。
 
 太陽こそが生かす力であり、
 月こそが、私たちを消し去ろうとする力であるとの私の見方は、
 根源的で正当だと私は勝手に思っています。
 
 誰でも幼子のようでなければ、
 天国に入ることはできない、、、、
 イエスの言葉です。
 
 月に囚われる前の幼子こそが、
 永遠の命に入る条件であることを
 イエスは伝えます。
 では、幼子で無くすように働く力とは何でしょうか。
 月に囚われたら死、
 月に囚われぬ幼子のようなら、永遠の生、、、
 
 生死の法則がこの世にはあるはずです。
 占星術には、それが本当に正確に隠されており、
 太陽と月の理解こそが、極めて重要なのです。
 月を悪く言いたいのではなく、
 目の前の落とし穴さえわかれば、
 人生は一転して明るくなるのです。
 月の理解がそれです。
 
 次回は「二人の文学者に見る月との葛藤」② 寺山修司氏
 ぜひ楽しみにお待ちください。












 2019-01-15 19:01:00
 二人の文学者に見る月との葛藤 ②寺山修司氏
 https://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12433180249.html

 二人の文学者に見る月との葛藤
 ②寺山修司氏 1935年12月10日生まれ(月はふたご座)
 
 文学者と月との関係についての二人目の考察は、
 寺山修司氏、
 寺山氏の月はふたご座です。
 
 私は学生時代に寺山修司氏の大ファンで、
 渋谷の並木橋というところにある天井桟敷の前を通って、
 毎週渋谷の場外馬券売り場に通っていました。
 天井桟敷の前を通ると色々な恰好をした男女がおり、
 それを見るのが楽しかったことを思い出します。
 
 寺山氏の作品は不思議なレパートリーに満ちており、
 その中でも、ドイツのケストナーに似た作品群がありました。
 あまり知られていませんが、
 その中に「さよならの城」という詩集があって、
 私は大きな影響を受けました。
 
 自分も文章を書きたい、、、と思うようになったのも、
 寺山氏の「さよならの城」に影響を受けたからです。
 内容は少女詩集のようなもので、
 おとぎ話のようでしかも幻想的な作風の詩。
 私はそれに魅せられ、
 似たような詩を大学生時代にたくさんつくりました。
 
 寺山修司氏は、
 中学時代から俳句や詩、童話を書き続け、
 学校新聞に投稿したりしながら段々と評価され、
 文学者の目にまで留まるようになっていきます。
 
 早稲田大学の国文学部に入った氏は、
 たちまち頭角を表します。
 その頃の代表作「父還せ」は大変な評判をとり、
 華々しく寺山修司は文壇にデビューすることになります。
 
 彼の出生時の月はふたご座にあり、
 本来は、書いたり語ったりすることには才能が無い、はずです。
 あっても真似事を抜けられないと考えるわけですが、
 寺山氏の場合は早くから才能を発揮しています。
 
 ただ気になるのは、
 そのジャンルが一定でなく、
 どこに何を求めているのかが定まりません。
 ふたご座の月は、思考能力がないことを示しますが、
 一定の考えを深めることは苦手だったのかもしれません。
 世に出るきっかけとなった「父還せ」は
 同時期に発表された「乳房喪失」の影響が大きかったと言います。
 
 また私が影響を受けた「さよならの城」は、
 ケストナーの影響を受けたものでした。
 常々、寺山氏は誰かの影響を色濃く受けて
 自身の作品に生かしていきます。
 
 寺山氏は、
 俳句と短歌の世界では、天才の名を欲しいままにしていました。
 早稲田大学当時、同世代にあたる学生に、
 大橋巨泉氏がいました。
 巨泉氏も俳句の道を進もうと思っていたのですが、
 寺山氏には逆立ちしても勝てないと思い、
 その道をあきらめたということです。
 
 しかし、そんな寺山氏に一大スキャンダルが襲います。
 寺山氏の俳句が模倣ではないか、、、
 との問題が持ち上がったのです。盗作問題です。
 中村草田男氏や西東三鬼氏らの俳句の模倣ではないか、
 という批判でした。
 
 白黒の決着はおぼろげになったと思いますが、
 寺山氏としては、
 純粋な思いでこの道だけに進む、
 というわけにもいかなくなったと思われます。
 
 実は、ふたご座の月は、
 この問題と非常に深く関係します。
 ふたご座の月は考える能力がなく、思考力に弱さがあるので、
 自身の考えが持てません。
 どこからから借りてきて補う以外に方法がないのです。
 ふたご座の月の人が文章を書く際に
 非常に苦労するのもこの点です。
 
 自身の中に思考がないのですから、
 本当ですと創作は無理です。
 しかし、自身はふたご座の思考や創作、文筆に
 こだわり続けますので、
 方法はどこからから持ってくる以外にありません。
 盗作問題という悪意は到底ないのですが、
 どうしても借り物なので似てしまいます。
 
 寺山氏もそれを行ったと思わざるを得ません。
 状況の証拠は沢山あり、
 俳句はクロスワードパズルではない、、、
 と批判されるようにまでなります。
 クロスワードパズル的俳句とは、
 あちこちから単語を集めてきて、
 クロスワードパズルのように一つの世界を作る、、、
 ということです。
 
 寺山氏の太陽はいて座ですから、
 構成力の方は本物です。
 あとは、深みのある単語や表現を借りてきて、
 それを独自に構成することで、
 魅力的な表現の世界を作ることになったと思われます。
 やはり寺山氏は、
 創作活動の最初の表現、思考方法のなさで、
 本当は困っていたと思われるのです。
 
 短歌と俳句の道だけでは無理なので、
 以降、様々な方向への活動が始まったとも思われます。
 しかし、常に思考の無さは付きまとったはずで、
 彼にしかわからない苦悩があったと思います。
 以降、寺山ワールドはもの凄い広がりを見せますが、
 単独で行ったものは少なく、
 横尾忠則氏や東由多加氏、
 奥さんになった九条映子氏、谷川俊太郎氏、
 場合によっては明日のジョーなどの
 個性との協力世界の創出という面があったと思います。
 アイシンクができない、、、
 という月ふたご座の弱点を、
 人なつっこさや、人間関係を本能的に応用して
 補ったのでしょう。
 
 寺山氏の多様なワールドは、
 個性の噴出というよりも、
 人の巻き込みによる場つくりの面が大きかったと思われます。
 ふたご座月は、人と話しても、
 何を話そうとしているのか、、、なかなかわからないし、
 最終的にも伝わらないのですが、
 それは良い面での巻き込み現象を促進させる利点があります。
 
「よし、わかった、、、おれが絵を描くよ」
「よし、私がここで気張ってみるわ」
「それなら外国に誰それという人が似たことをやってるので、
 連絡してみるよ」
 というような、
 おそらく垣根を超えた助け手の出現により、
 寺山ワールドが広がった気がします。
 月ふたご座には、アイシンクがないので、
 自分からワールドを見せることはできません。
 周囲のありがたい誤解による発展方式が
 寺山ワールドを支えていた面があったと思います。
 
 というのは、
 寺山修司氏は競馬好きでも有名でした。
 私も当時から競馬ファンでしたので、
 競馬番組に出演する寺山氏の話を真剣に聞こうとしました。
 しかし、 期待に反してあまり面白くないのです。
 文章ならあとで練ることもできますが、
 その場の話は、
 その人の中身がどうしても出てきてしまいます。
 
 氏の話には東北特有の独特のイントネーションがあって、
 それが個性としてむしろ輝くため、
 多くの人は気づかないと思いますが、
 真剣な競馬ファンである私の耳には、
 もう少し話に輝きが欲しいとの思いがありました。
 
 ミオソチスという馬が昔いて、
 寺山氏はミオソチスの大ファンだったのです。
 その娘だか、孫にあたる、アローエクスプレスという馬が
 さつき賞に出走した時だったと思います。
 寺山氏はしきりにミオソチスについて、
 そしてアローエクスプレスについて
 思い出深く語るのですが、
 私としては何かピンときません。
 
 まず、ミオソチス(忘れな草の意)は
 繊細な馬のイメージでしたが、
 アローエクスプレスはどちらかというと巨漢馬で、
 繊細なタイプではありませんでした。
 力でグイグイ押し切るタイプの名馬であり、
 ミオソチスの感傷とアローエクスプレスとは
 合っていないのです。
 因縁でしょうか。
 大橋巨泉氏も競馬好きで、
 やはりアローエクスプレスが勝ったレースについて
 語ったことがあります。
 
 あるレースで
 アローエクスプレスともう一頭の馬が抜け出して、
 アローエクスプレスが鼻差という微差で勝ったレースの
 解説時でした。
 大橋巨泉氏は、
 凄い馬だな、、、
 わずか鼻差で勝ったと思われるかもしれませんが、
 あのまま大阪まで走って行ってもやはり鼻差で勝つんだよ、
 そういう馬だよね。
 
 私は大橋巨泉氏のその解説を聞いて、
 寺山氏の解説よりもずっと面白く、
 文学的でさえあると思ったものでした。
 月のふたご座は、寺山氏から
 当意即妙な話の楽しさは奪っていたように思えます。
 
 しかし、
 そうした自身の足りなさをよく理解していた寺山氏だったからこそ、
 その後多方面での活躍をすることになっていったのだと思います。
 
 月ふたご座の
 考えられない、、、本物の文章は書けない、、、
 真似事の文章しか書けない、、、、
 という運命に対して、
 寺山氏は脱文章化の方向に進みます。
 もちろん寺山氏が
 月ふたご座について知っていたわけはありませんが、
 彼が目指した方向はそれが良かったのです。
 脱文章、、、脱シナリオ、、、脱ストーリー、
 最初からアイシンクの無いスタートである点、
 間違いなく寺山芸術の出発点だったと私は思います。
 
「書を捨てよ 町へ出よう」は、
 まさに月ふたご座との決別であり、
 彼の芸術家としての記念碑ともなりました。
 やがて市街劇「ノック」は、
 シナリオもストーリーもない町の実験劇であり、
 月ふたご座のストレスなしの構造へと向かい出します。
 
 しかし、月ふたご座の理解などない寺山氏は、
 自身の中にある、
 考えができない、、本当は文章が書けない、、、
 という自分への負い目やこだわりには
 大きいものがきっとあったと思われます。
 彼の活動が
 月ふたご座の欠けた自身への弁解となっていた部分は
 少なからずあったことでしょう。
 
 1980年、宇田川町のアパートに侵入しているところを
 家人が不振に思い、警察に逮捕されます。
 のぞきだったと当時言われましたが、
 実際には市街劇ノックの下見であったというのが
 真相のようですが、
 妙と言えば妙な話でした。
 
 アパートの家人に言わせると、
 5年前にもアパート周辺をウロウロしていて
 警察を呼んだということです。
 同時期には肝硬変で入院もしており、
 晩年の哀愁が漂い出していました。
 
 なぜ、それほどまでに酒におぼれたのか、、、
 なぜ自身にも破壊的な生き方しかできないのか、、、、
 それらはすべて月がきっかけになりますので、
 寺山氏自身の中で、
 月ふたご座の問題は未解決だったと
 思わざるを得ません。
 
 彼の月ふたご座が
 本当の意味で評価されたことは、
 実はなかったのです。
 若いころに天才と言われた俳句や短歌の才能は、
 盗作事件によって傷つきます。
 しゃべることが下手で
 何を言っているのかわからない彼の態度は、
 仲間うちでは人間性として人気を博しますが、
 夫婦喧嘩ではそうもいきませんでした。
 
 しきりに九条映子を言葉で説き伏せようとうする寺山に対して、
 九条映子の方が手を出すというパターンだったと言います。
 わかりにくい話、意味のない話に、
 妻の九条が我慢できずに手を出す、、、、
 ふたご座の月は、
 寺山氏の孤独と
 本当には自分には才能がないのかもしれない、、、
 との思いで
 自身を責め続けたものと思われます。
 
 1983年、5月4日、寺山修司逝去。
 47歳の人生でした。
 
 冥界から戻ったイザナギの尊は禊をしました。
 左の目を洗ったときにアマテラスオオミカミが、
 右の目を洗ったときにツクヨミノミコトがお生まれになったと
 古事記に記されています。
 
 アマテラスは太陽。
 月読の尊は、ツクヨミで、黄泉を、
 それぞれ受け持っているのでしょうか。
 
 左がアマテラス、、、右が黄泉、、、
 左は陽足りであり、右は身切り。
 太陽が命を与え、月が命を奪う、、、、
 この構図を理解する必要があるのです。
 
 月にとらわれれば、
 命は短くなりもするし、狂気に陥りもします。
 寺山氏の短い生涯の裏に、
 月のふたご座の影響を
 私は感じずにはいられないのです。





















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