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2020年08月13日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
・以下にブログ記事とコメント欄を
 転載します。






《エキサイトニュース》 
【日航機墜落事故「陰謀説」は終わらない ―  
 伊豆で破片が発見→隠蔽?目撃者語った真実】
 2015年7月2日
 https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.excite.co.jp/

 今も謎多き日航ジャンボ機墜落事故。 
 相模湾上空で垂直尾翼を失い、 
 制御不能のまま飛行して群馬県御巣鷹山に墜落。 
 垂直尾翼の破片の大半が相模湾に落下、 
 今も海中に没したまま分析不能なことから、 
 米軍機の誤射によって墜落した 
「米軍撃墜説」「テロによる犯行説」「核兵器運搬の証拠隠滅説」
「撃墜説」などが囁かれ続けてきた。 
 しかし21世紀に入り、 
 そのジャンボ機の破片が伊豆で発見されたという珍事件を
 ご存知だろうか? 
 今回はこの情報に関してよく知る者から聞いた、 
 本当にあった封印された不思議な話を紹介しよう。 

(※ ~中 略~ ※) 

 1985(昭和60)年8月12日月曜日、 
 日本航空、
 東京・羽田発の大阪・伊丹行の123便が、 
 群馬県多野郡上野村にある高天原山の尾根に
 激突・墜落した、 
 いわゆる『日本航空123便墜落事故』。

 乗員乗客524名のうち、死亡者数は520名に上り、 
 国内航空機事故では過去最多の犠牲者を生んだ。 
 この事故は、 
 その後に回収されたフライトレコーダーの記録などから、 
 相模湾上空で「謎の爆発音」が発生し、 
 その後、伊豆半島南部にある河津町・下田市上空を 
 旋回するようにして通過、 
 富士山方面へと向かったことが判明している。 

 だが、この事故の際に 
 機体から落下したと思しき部品の一部を、 
 時を経て21世紀に入ってから、 
 はからずもTさんは発見してしまったのである。

「これはとんでもねえもんを見つけてしまったなって思ったよ。 
 なにせ、ああいう事故だったからさ、 
 俺も当時は相当驚かされたんだわ。 
 それがね、まさかうちの裏の山なんかで部品が出てくるなんて、 
 夢にも思わねえもの。何年も経ってるのにさ。 
 逆になんで今まで見つからなかったんだ?って 
 思ったりしてね」

 たしかにTさんが指摘するように、 
 当時は最終的に機体が激突し、 
 群馬県の上野村周辺のみならず、 
 件の「爆発音」が発生した相模湾付近も 
 大規模な機体の回収・調査活動が行われていたことは、 
 当時の資料に目を通しても明らかだ。 

 当然、その捜索は、 
 同機が最初に通過した陸地である 
 伊豆半島南部地域においても 
 行われていたと見るべきだろう。 
 そうした意味で言えば、 
 事故発生から長い時間が流れた後で、 
 このような形で発見されること自体、 
 ある意味、"異常"と言わざるを得ない。 

「まあ、あれだけしょっちゅう近くなんかに行ってね、 
 わらびだの何だのを毎年のように探してたのに、 
 あんな大きな部品が目に入ってこなかったっていうのは 
 不思議だけども、 
 結構(山肌が)崩れてたしなぁ。 
 かなり上の方から落っこちてきたのかもしれねぇなぁ」 

 自らが発見できた理由についてそう推測するTさん。 
 しかし彼の発見は、 
 その後、意外な形で、 
 闇へと葬り去られることとなる。 

■脅迫めいた謎の電話

「近所の連中や駐在さんを連れて山に行ったあと、 
 2日3日経ってから、
 町の方の警察の人が来たりしてさ。
 しばらく賑やかな感じになっていたんだけども、 
(発見から)1週間くらいした頃かな。 
 電話がかかってきたのさ。
 こんな田舎なもんで、
 電話なんてかけてくる家はあんまりないこって、 
 東京にいる子どもらにでも何かあったんかと 
 思ってとってみたらさ、 
 知らない男でさ。 
 "見つけたもんはさっさと忘れろ、 
 もうこれ以上誰にも言うな" 
 だなんて言い出すの。 
 なんだこいつは、って思ったけどさ、 
 その話しぶりがね、 
 脅すような感じだったもんだからさ、怖くなってね。 
 それからは黙ることにしたっていう」

 件のジャンボ機から落下したと思しき機体の一部を見つけたTさん宅に、 
 いきなりかかってきたという謎の電話。 
 そのただならぬ気配に怯えた彼は、 
 その後、なるべく早く自らの発見を忘れるように心がけたという。 
 また、そうしたある種の「脅し」ともとれる"見えない力"は、 
 集落全体にも及んでいた。 

「最初に電話かかってきたときにさ、 
 近所の連中にも聞いてみたら、 
 同じような電話がかかってきたってみんな言うもんでさ。 
 これはきっと偉い人が、 
 命令してかけさせてるんだろうっていう話になったもんだからね。 
 みんなで話し合って、さっさと忘れようって。 
 そりゃあ、気になるよ? 
 気になるけどもさ、 
 俺を含めた年寄り連中はいいけども、 
 子どもや孫だっているわけだからね。 
 そういうのを考えたら、 
 見なかったことにしちゃうっていうのが賢いだろうってさ」

 それ以来、Tさんによる発見は、 
 集落全体としても『なかったこと』にされ、 
 いつしか誰も口に出さないようになっていたという。 
 だが、仮にそうだとするならば、 
 問題の部品は、 
 今なお、Tさん宅の裏山にあるということになるのだが...。


■自衛隊?不審なトラック何台も

「あれは(謎の電話があってから)、半月くらい経った頃かな... 
 いや、10日くらいのもんか。 
 明け方にね、 
 あまり見ないようなトラックが何台も止まってる日があってさ。 
 近所の連中が言うには、 
 ありゃあ自衛隊のトラックで、 
 御殿場から来てるんだよ、 
 なんていう話だったんだけどもさ。 
 俺もね、変だなと思ったけども、 
 厄介なことに首つっこみたくはないから、 
 そのまま畑に出てね。 
 8時くらいに戻った頃にはもういなくなってたよ」

 謎の電話からしばらくたった後、 
 目撃された複数台の不審なトラック。 
 後日、Tさんが「あの日」と同じように、 
 貯水タンクの確認のため山に登った際、 
 既に部品と思しき発見物は姿を消していたという。 
 こうした話から推測すれば、 
 Tさんらによって目撃されたトラックは、 
「回収」のために現場を訪れていた可能性が高いと 
 見るべきであろう。 
 深夜から早朝にかけて回収作業を行ったと考えれば、 
 午前8時過ぎには彼らが姿を消していたというのも
 合点がいく。 

「まあ、それこそ竹薮3億円じゃないけども、 
 札束でも見つけたのなら人生の楽しみにもなるだろうけどさ。 
 あんなもん見つけたって何ひとついいことなんかありゃしないよ。 
 どの道、俺なんて生きたってあと何年かだろうから、 
 どっちにしたって構いやしないけどもさ(苦笑)」

 1985年8月の事故発生から、 
 今年で30年目を迎える『日本航空ジャンボ機墜落事故』。 
 遺族や一部の大手メディアの間からは、 
 未だにその真相が究明できていないという声も少なくないが、 
 どうやらそうした真相を覆い隠す闇は、 
 思いのほか、巨大なものであるようだ。

(文=戸叶和男)
 投稿: AVE404 | 2020年8月13日 (木) 00時01分










 ブログ【ポーラの部屋】 
「日航機123便の物語。」 
 2019/08/20
 http://paura2011.blog79.fc2.com/blog-entry-715.html

 たしかTBSテレビだったと思いますが、 
 日航機123便追悼のドラマを数年前に見たことがあります。 
 その再現ドラマでは、 
 123便の墜落の原因は、
 整備不良による圧力隔壁の損傷で急減圧したことが原因という
 ストーリーになっていました。 

 その時、私は何かモヤモヤが残りました。 
 乗員乗客500人以上も乗せるジャンボ機です。 
「整備不良」なだけなんて理由があるだろうか?
 整備もそれなりに細かいマニュアルが存在するはず… 
 と素人でも思ってしまいます。 

 よくご存じない方のために、 
 まとめられた文章がありますので、 
 まずはこちらからお読みください。
 ➝日航機123便の真実は、ほぼ事実である

 今回、いろいろとネット検索したお蔭で、 
 真相らしき理由が解りました。 
 もちろん、公式発表ではありませんので、 
 これが絶対の「真相」とは言えませんが、 
 この話なら「腑に落ちる」、 
 納得できると思います。 

 結論から先に言えば、 
 以下のような経緯です。 
 まずはこちらから転載します。 
 ➝日本が開発したトロン(Windowsより先を行っていたOS)
 
 windowsはクソですよね? 

 17名のトロンOSの研究者を載せた 
 日本航空123便墜落事故
 撃墜されたのか?

 トロンが世界に出てきそうな所で 
 飛行機も同時に潰して 
 日本政府に圧力かけてプラザ合意。 
 その後の経済衰退を招いた。 
 確かにやっている事は世界的だわ。 
 人間だとは思えない。 

 実は20年前に 
 日本に無償のOSが存在した。 

 無償OSというと耳新しいもののように感じるが、 
 実は20年程前、 
 即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に 
「トロン」というOSがあったのである。 
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSで
 オープンソースであり無償なのであった。 

 95年に「Windows95」が日本に上陸し 
 パソコン市場を席巻し独占したわけだが、 
 実はその当時、 
 日本の多くのパソコンメーカーは 
 OSとして「トロン」の採用を希望していたのである。

 それがWindows95の独占的な採用になったのは、 
 米国政府からの圧力だったのである。  
 即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による 
 報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、 
 当時の日本政府が屈した結果だったのである。 

 もしもこのとき日本のメーカーが 
 パソコンのOSを「トロン」にしていたなら、 
 無償というメリットもあって 
 世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
 日本の基本OSが世界を席巻し、 
 現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も
 無かったかも知れないのである。 

 アメリカは、政治的な力によって 
 自国の技術を他国に採用させて 
 世界標準にまでしてしまうことであろう。 
 そして、その技術による商品を 
 大量に世界へ輸出し利益を上げるのである。 

 例えば日本などは 
「トロン」という優れた基本OSがありながら、 
 マイクロソフト「Windows」を無理やり採用させられて 
 その最大規模の市場にされてしまったわけである。 

 日本が誇る17名のトロン研究者の暗殺。 
 そして日本をビビらせてプラザ合意。 
 これらが目的で、そのために…。 

 以下、こちらから転載します。 
 ➝報道ステーションと古舘一郎さんを護る為に

 日本航空123便は、
 米軍機のミサイルによって撃墜された。 
 墜落したジャンボジェット機の中で、 
 未明まで生きていたとされる 
 JAL123便の生き残り搭乗者の40~50名は、 
 特殊な殺人ガスを吸引させられた挙句に、 
 証拠隠滅の為に焼かれたものと考えられる。 

 自衛隊の中には、 
「日本国家乗っ取り」=クーデター部隊の存在があると 
 いわれており、 
 日本版FEMAがこれに該当し、 
 陸上自衛隊幕僚監部調査部調査第2課調査別室、 
 通称「調別」である。 

 パイナップル・ブリゲイズというのは、 
 この中の日本人暗殺部隊という事になるのだろうか!? 
 或いは、在日米軍特殊工作部隊そのものか。 

「政府のやる事に反対意見を持つ市民を殺害せよ、 
 それが軍隊の仕事である」 

「軍隊の仕事は他国との戦争ではなく、 
 自分の国の市民を殺害する事にある」 

 米国アイゼンハワー大統領時代に、 
 こうした戦略を立てた「ロックフェラー報告」を元に、 
 米国では市民殺害用のFEMAと呼ばれる軍隊が作られた。  

 この「一般市民に対する暗殺部隊」の創設は、 
 1958年1月、大統領により採択された、 
 国家安全保障局命令第177=「NSAM.177」によって行われ、
 この命令書には 
「日本にも同様の部隊を創設させる」と記載されている。 

 この大統領命令に基づき、 
 日本では米国、自衛隊の合同による日本人市民殺害部隊
「パイナップル・ブリゲイズ」が既に創立されている。 

 このFEMAの事実上の総指揮官が、 
 オバマ大統領のボス=ズビグニュー・ブレジンスキーである。
(転載終わります) 

 ただの整備不良から起きた事件なんかじゃなかったんですね。 
 これだとスンナリ理解が出来ます。 
 アメリカの陰謀だったわけです。 

 それにしても、 
 もしトロンのOSが世界を席巻していたならば… 
 今頃私もWindowsは使っていなかったです。 
 さて、トロンの凄さを物語る文章がありますので、 
 再びこちらから転載します。 
 ➝日本が開発したトロン(Windowsより先を行っていたOS) 

 携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。 
 日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。
 トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。 

 昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。
 東京大学の坂村健。 
 パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。
「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と
 考えた坂村は、
 トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。 
 たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。 
 大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。
 誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで 
 評判となった。 

 しかし、平成元年、 
 そこに超大国アメリカが立ちはだかった。
 日本に対し、 
 小中学校で使うパソコンの規格を 
 トロンに決めるなと迫ってきたのである。 
 自動車やVTRで日本に圧倒され 
 巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、 
 輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。
 メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。
 まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。
 パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、 
 基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。 

 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。 
 しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。 
「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と
 各地で技術者たちに訴え、 
 トロンのバージョン・アップを重ねた。 
 逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続ける 
 メンバーの情熱は、
 革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。 
 日本発信の世界的基本ソフト・トロン。 
 育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。 

・トロンOSの利点 

 トロンOSの素晴らしい所は 
 パソコンのみならず、 
 あらゆる家電製品など 
 コンピュータを使った製品に使えるように 
 設計されていたという所です。 

 1980年代当時のパソコン(当時はマイコンと言っていた)のOSは 
 CUI(Character User Interface)という方式を使っていて 
 ソフトを起動するたびに多くの文字を入力しなければならず、 
 この頃パソコンを導入した会社では使いこなせる人はほんの一部で、 
 パソコンを諦め結局は手作業で仕事をする始末だったそうです。

 しかし、トロンOSは 
 GUI(Graphical User Interface)という今のマウスを使って
 アイコンをクリックしソフトを起動できるという 
 当時使われていた286という心臓部のチップ上では
 処理能力が足りず実現不可能とされていた 
 GUIシステムを持っていたため 
 Microsoft社の技術者は驚きを隠せなかったようです。
 日本の技術恐るべし!! 

 しかも、1980年代に開発されたにもかかわらず、 
 Microsoft社のWindows98並みの機能を備えていたそうです。 
 そして、実行速度も
 今見てもそれほど遜色がないほど 
 恐ろしく速いものでした。 
 こんな素晴らしいOSを無償で公開するなど 
 考えられませんね。 

 そして、CEC(コンピュータ教育開発センター)が 
 このトロンOSに目を付け 
 規格認定をしようとしていました。 
 しかし、認定は取り消されました。 

・トロンOSの前に立ちはだかった壁、裏切り 

 これだけ優れていたトロンOSが今、 
 姿を見せないことに疑問を感じないでしょうか? 
 そこには大きな裏切りがありました。 

 広まりを見せ始めたトロンOSに陰りが見え始めます。 
 それは、坂村健さんの成功を嫉んだある日本人が 
 アメリカに「トロンは危険なので排除すべきだ」という話を
 持ち込んだのです。 
 それによりアメリカは極秘に 
 松下製トロン搭載パソコンを入手し分析をはじめました。
 そこで、アメリカ市場に影響を与える「脅威」だと 
 されてしまいました。 

 トロンOS&トロンキーボード 

 そして、1989年にアメリカは 
 無理矢理トロンを 
 スーパー301条という 
『アメリカの市場に影響を与えそうな製品には警告を与え、
 従わない国には一方的に報復措置をとる』という
 何とも理不尽な条約に認定されてしまったのです。 

 だいたい、スーパー301条というのは 
 製品化されて商品として売られているものにしか
 適用されないはずなんですが、 
 無償で配布されていたトロンに適用してきたんですよ! 
 この非常識な決定にアメリカの企業は反発しましたが、
 戦略的な発想しかできないアメリカ国防省の圧迫により
 認めざるをえませんでした。 

 さらに日本がトロンを裏切りました。 

 このアメリカの決定にぶっちギレのトロン・プロジェクトに対し
 通産省は表向き協力する姿勢を取っていましたが 
 裏ではスーパー301条にビビり 
 アメリカの言いなりでした。 

 こんなことがあり
 CECもトロン標準化を断念しました。 
 このとき、あるアメリカ人に勧められ 
 坂村健さんはアメリカに抗議しました。 
 これによりアメリカは 
「今後、トロンには圧力をかけない」と約束をしました。 

・アメリカ・日本、さらなる裏切り

 こうしてアメリカの圧力を逃れ 
 トロンを支援する企業達は 
 自社のソフトをトロン用に移植していき 
 トロン標準化をすすめていきました。
 しかし、アメリカは約束を簡単に破り 
 日本に強力なトロン撤退を要求し 
 1990年に再びスーパー301条に認定しました。 

 再認定により多くの国内外企業が 
 トロンから撤退していきました。 
 撤退しない企業に対しては 
「締め出し」などの措置をとったそうです。 

 そして、再び日本も裏切り行為をしました。 
 日本の教育パソコンへのトロン導入を 
「教師が反対した」という 
 完全に教師を犯人にした文部省のでっち上げにより
 トロン導入を拒否させました。 

・トロン復活を目指して 

 こうして多くの企業が圧力を恐れ 
 パソコンにトロンOSを採用することから撤退していく中、 
 アメリカの圧力や日本の裏切りにより 
 処理速度が遅くバグの固まりである 
 Microsoft社のWindows95が発売されました。 

 日本企業はトロンから撤退し 
 MicrosoftのOSを導入していたので 
 Windows95は爆発的に広がりました。 
 これが大きな日本の汚点となり 
 パソコンに重要なOSを 
 完全にアメリカに握られてしまいました。 
 もし、裏切り行為がなければ 
 世界のOS産業は 
 トロンにより10年は進んでいたことでしょう。
 不運としか言いようがないですね。 

 この頃、家電製品用のOSも 
 アメリカ製の物を採用する企業が現れました。 
 しかし、アメリカ製OSを採用した企業は、 
 ことごとく失敗していきました。 
 アメリカ製のOSはバグだらけで処理速度が遅く
 さらに有償だったのです。 
 とても家電製品に使えるものではありませんでした。
 
 そこで、注目されたのが 
 処理速度が速く完成度の高いトロンOSでした。 
 トロンOSは最初からパソコン専用に作られたものではなく
「あらゆるコンピュータ製品に利用できる」ように作られていたので
 家電製品に流用ができたのです。 

 NTTDoCoMoのi-modeをはじめテレビ・冷蔵庫等、 
 多くの家電製品のOSに採用されていきました。 
 しかし、これでは「トロン」の名前が表面に出ていません。

 トロンの名前を表に出し知名度を高めたのが 
「世界のトヨタ」でした。 
 当時、トヨタは 
 エンジンの点火や車の電装系を管理するソフトを
 どうするかで悩んでいました。 
 そこで、信頼があり無償のトロンを採用しました。

 このことによりコストが大幅に削減できたそうです。 
 このことに喜んだトヨタの技術者、 
「是非、トロンを大々的に発表したい」という話を 
 坂村健さんに持ちかけ 
「トヨタがトロンを採用した」ということが発表され 
 知名度が広がりトロンは見事復活をとげたのです。

 世界中のPCの中核が 
 日本製になっていたかも知れませんね。 
(転載終わります) 

 背景にあったのは、 
 いわいるOSをめぐる覇権争いだったのでしょうね。 
 それをアメリカは殺人と暴力で勝利した、 
 ということになるのでしょう。 
 巻き添えになってお亡くなりになった大勢の日本人の方々、
 無念だったと思います。 
 ご冥福をお祈り致します。 

 それにしてもトロンは、 
 当初から家電製品や自動車にも利用できる 
 大変優れたOSだったのですね
(現在「IoT」と呼ばれているものです)。
 すごい先見性、 
 日本人研究者ってやはり偉大だと思います。 
 こんな事件がなければ 
 世界中でトロンが使われていたかも知れないのです。
 トロン潰しの撃墜攻撃…。 

 最後に「パイナップル・ブリゲイズ」 
 名前は可愛いけど恐ろしい組織です。 
 組織員は、日本人ではなく 
 在日朝鮮人だと書かれたものもありました。 
 日本人では同朋を殺すことに抵抗があるためです。 

 飛行機墜落後、 
 生き残った数十名の人々は 
 彼らによって、火炎放射機で焼き殺されたそうです。
 また、事情を知った自衛隊員90名は 
 自殺したことになっていますが、 
 じつは殺されているらしいです。 
 再度貼り付けておきます。 
 ➝日航機123便の真実は、ほぼ事実である 

 80年代、平和なように見えていただけで、 
 じつは戦争中だったという話ですね。 
 まあ、すべては仮説といえば仮説ではありますが…。
 亡くなられた方々やご遺族のためにも、 
 いつの日か「事故の全貌」「事故の真相」が明らかになるよう、
 切に願っています。
 投稿: AVE404 | 2020年8月13日 (木) 01時06分










 昨日であの「事故」から35年…… 
 ↓ 

 墜落35年、分散し慰霊登山 コロナ影響で遺族ら―日航機事故
 https://www.jiji.com/sp/article?k=2020081200656

 520人が犠牲となった日航機墜落事故は12日、 
 発生から35年を迎えた。 
 遺族らは例年、 
 墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に登り、 
 犠牲者の名が刻まれた墓標を訪れて慰霊を行ってきた。 
 ただ、新型コロナウイルスの感染防止のため、 
 今年の登山は集中しないよう5日間に分散して実施。 
 同日中に登山した遺族は、 
 例年の半数程度で過去最少の141人にとどまった。 

(以下略)

 時事通信 2020年08月12日20時15分


 ↑ 
 いまだにあれが単なる「事故」だと思っている遺族の方々。

 記事にあるように、 
 今年は新型コロナ感染に注意しながらの慰霊となったそうですが……
 そもそも、この「事故」を起こした連中は 
 新型コロナパンデミックを起こした連中と同じなんだっての!!

 マスゴミどもはこの「事故」の真実に 
 35年間全く触れて来ませんでした。
 
 真実はこちらです! 
 ↓ 

 http://oldrkblog.s17.xrea.com/201106/article_61.html
 http://oldrkblog.s17.xrea.com/201404/article_108.html
 http://oldrkblog.s17.xrea.com/201408/article_69.html
 http://oldrkblog.s17.xrea.com/201408/article_75.html
 http://oldrkblog3.s17.xrea.com/201508/article_62.html
 投稿: 酢味噌 | 2020年8月13日 (木) 03時58分










 今日の便乗コメントはトロンのネタ。 
 パソコンのOSはBTRONなんですが、 
 現在はパーソナルメディア社からのもののみで 
 バーチャルPCの上に乗せるものしかないです。 
 ウィンドウズマシンの上に 
 エミュレータのバーチャルPC乗せて 
 その上にインストールする。 
 現在でも販売しています。 
 何でこんなことをするかというと、 
 グラフィックボードとかの色んな周辺機器が 
 ウィンドウズでしか動かないから。 
 以前は独自のファームウェアを各々搭載していたのに、 
 ウィンモデム辺りから 
 ウィンドウズでしか動かないくなったから。

 ウィンドウズマシンの席巻は実は価格の安さで、 
 これはアップル2がとったオープンアーキテクチャ-を 
 IBMがパソコン販売開始にあたりとったからです。 
 仕様公開してしまったので 
 仕様が同じマシンが出回りすぎたから。 
 アップルはアップル2で懲りたから 
 次からは仕様公開止めた。、 
 IBMも仕様公開止めたんだけど、 
 CPUその他のメーカーが
 独自の規格を続行して売れ過ぎて 
 そちらが市場で勝利した。 
 MS-DOS時代からですね。

 実は90年代の初めは 
 日本ではビジネスパソコンは 
 PC98の独壇場でした。 
 OSはMS-DOSです。 
 香港でのパソコンの値段が日本の半分であるという 
 衝撃の記事が 
 パソコン入門雑誌に載って、 
 衝撃のOSであるDOS/Vの登場、 
 そしてウィンドウズ95によるウィンモデムへの変更で 
 BTRONその他のOSは
 載せるマシンの減少で苦しく成ったんだよね。
 一番の問題は価格です。
 そして公開された仕様のDOS/V機。

 BTRON陰謀論は面白いけど
 的を外しているので、 
 ほどほどにすべき。 
 服部さんがやってるのは
 知らないからだろう。 
 NHKのプロジェクト何とかの罪も重いな。 

 この件に関してマトモな記事を書いたのは
 雑誌PC批評だけ。
 記事の題はトロンの欺瞞。
 投稿: あのねあのね | 2020年8月13日 (木) 23時13分





















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最終更新日  2020年08月14日 15時33分18秒
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