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2007.08.23
XML
カテゴリ:Jordan
アッサラームアレイコム



※※今回のブログを読む前に、必ず前2回分の記事を読んでください。


・その1 ◎夕日を浴びながら『死海』で浮いてきた

・その2 ◎『サーメルヒストリー』




私は、アンマンのクリフホテルに1週間ほど滞在していた。


AMM2


ある時は、この旅では珍しく読書をし、ある時は他の旅行者と話をしたり食事に行ったり、ある時はベランダから味気ないアンマンのダウンタウンをボーッと眺めていた。


あの香田証正さんと同じように。。


AMM23
クリフホテルのベランダから・1

AMM24
クリフホテルのベランダから・2


サーメルが、香田さんの本を大切に保管していることを知ったので、彼に頼んでその本を読んでみることにした。



『香田証生さんはなぜ殺されたのか』


この本は、『貧乏旅行作家』の下川裕治氏によって執筆された。

サーメルのことについても書かれていた。


私は、彼の旅行記やエッセイなどを結構読んでいて、内容はもちろん、彼の視点や彼の文章スタイル、感性なども気に入っていた。


しかし、この本を読む前に、ちょっと疑問に思ってしまった。。



香田さんのことを『ネタ』にして、また本を書いたのか。。。


こんなことを言っている私もネタにしていることには間違いないのだが、彼の本を読んで、それはネタではなくて、同じ一人のバックパッカーとして共感することが出来るもので、ぜひ、同じようなバックパッカーの方には読んで欲しいと思ったので、このように文章化してみた。



この本を読んでみて、改めて色んなことを知ることとなった。


当時、世間では、


『無知で無謀な若者』


といった風にかなりの批判を受けていた。




香田さんは、最初にニュージーランドへワーキングホリデーをしに行っていた。

といっても、仕事が目的ではなく、語学学校で英語の勉強をすることが目的だったようだ。


下川氏は彼の足跡を辿るべく、彼と同じルートを進んでいった。



彼は、そこでは仕事には恵まれず、資金も足りなくなってきて、そこからイスラエルへ渡って行った。


下川氏も感じていたように、香田さんより年下の20代前半の未熟な日本人の若者が多く、またニュージーランドの土地柄的にも、面白くもなく、何か不完全燃焼であったようだ。



その気持ちは私には理解出来た。


私は、2005年の12月から翌年の1月までオーストラリアに滞在していた。

同じように、日本人の若者がかなり多く滞在していて、彼らは日本にいる時と同じように日本人同士でツルんでいて、オーストラリアという国からもあまり刺激を受けることもなく、私はバックパッカーとして旅をしていてもイマイチ、ピンとくるものがなかったのだ。



彼はイスラエルに飛んで、何か仕事を探そうとしていたようだった。


下川氏によると、イスラエルも物価は高めで、エルサレムやテルアビブでは旅行者に対してボッタくってきたりもして、やはり、そこでも居心地は良くなく、また精神的にも何かの焦りを感じていたように思われるようだ。


消化不良・不完全燃焼が続いてしまい、しかし、そこでフランス人の若者からイラクでの体験談を聞き、彼のイラク行きを決意させてしまったようだ。


クリフホテルの
『サーメルブック』
には、香田さんの写真や、彼が他の旅行者からもらったというイラクの傷付いた幼い少年の写真が残されている。


彼は、

傷付いたイラクの子供たちを助けたい


という思いで、イラク行きを強く決断したようだ。


その時、危険なイラク情勢を知っていたサーメルは、何度となく彼を説得してイラク行きを止めさせようとしていた。


ギリギリまで、彼に頼まれていたイラク行きのバスのチケットを予約しなかったそうだ。


しかし、最後の最後まで彼を説得してイラク行きを止めることは出来なかった。


サーメルは、かなりの悔いを残しながら、日本大使館へ連絡をした。


まだ、イラクに入国する前の時間にである。


サーメルは、知り合いがやっているバクダッドの宿に電話を入れた。

しかし、彼が泊まっているという情報はなかった。



後に、アルジャジーラというカタールの国際衛星報道番組内で、彼が人質となったことを知ることになり、その後、彼の訃報を聞いてしまうことになってしまった。


そして、クリフホテルには様々な報道陣が詰め掛け、また、サーメルは色々と事情聴取をされた。


誰よりも、サーメルは傷付いていた。。。


一生悔やんでも悔やみきれない。。。。




その後、福岡のご両親に連絡を入れ、サーメルの希望を伝えた。


『KODA HOTEL』


を持ちたいと。




その念願は、なかなか叶わずじまいであった。


しかし、今回は数年来の念願が叶いそうである。




そんな状況の中で、

『KODA HOTEL』

の名刺を作ることになった。


現『MANSOUR HOTEL』のオーナーの所に、彼と一緒に行って名刺の案を考えた。

香田ホテルという日本名や、日本人だけへの特別サービスについては日本語で記すことになった。

私はネットカフェに行って、新しい『KODA HOTEL』の名刺の原稿を作りに行った。


その次の日は、サーメルの昼休みの時間を使ってネットカフェに行き、彼の200人余りの日本人の友達にメールをするのを手伝った。

彼の念願『KODA HOTEL』について知らせるためである。


その後、サーメルは私を昼ご飯に連れて行ってくれた。


AMM20
クリフより徒歩10秒の安くてウマいご飯&スープ屋


そして、彼は一銭も受け取らず、仕事があるからと言って急いでクリフへと戻っていった。



その後、Mixi内に『KODA HOTEL』というコミュニティを立ち上げた。


これを見て、サーメルがいる『KODA HOTEL』に日本人旅行者が集まってくれたら嬉しい。


AMM14
現『MANSOUR HOTEL』への路地入口

AMM13
2階がレセプション

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レセプション

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レセプション脇のロビー

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広くて綺麗なドミトリー!

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一部『KODA HOTEL』へ向け改装中

AMM19
廊下も広々としている



もちろん、他の日本人旅行者もサーメルの手伝いをしていた。


AMM31
各国の情報ノートへ貼り付けるためのチラシ



予定では、10月1日から現『MANSOUR HOTEL』が『香田ホテル』というサブネームを持ち、サーメルが現場のマネージャーとして彼の念願の

『KODA HOTEL』

が誕生します!!




※※『KODA HOTEL』というネーミングは難しく、
『MANSOUR HOTEL』と『香田ホテル』という名前を併記する予定です。





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Last updated  2007.08.23 03:23:26



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