カリール・ジブランの「結婚」
今日も引き続きの猛暑ちょっとでも涼しい気分を味わってもらうためにいつもお世話になっている富士五湖住人さん→ http://fujigoko.sblo.jp/ から冬の富士山の写真をお借りしました。さて、今日は私にとって、パートナーとの関係を振り返る必要がある日のようです。そこで、カリール・ジブラン「預言者」(ポケット版)至光社刊より「結婚」についての部分を引用します。 「あなたがた二人は一緒に生まれた。 それで、いつまでも一緒なのです。 共に過ごした月日を死の白い翼が散らしても、 あなたがたは一緒なのです。 まことに、神の静かな追憶のうちでさえも、 あなたがた二人は一緒なのです。 しかし、それほど一緒の二人のあいだにも、 自由な空間を置きなさい。 愛し合っていなさい。しかし、愛が足枷にならないように。 むしろ、二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く波があるよう。 おたがいの杯を満たし合いなさい。 しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。 おたがいにパンを分け合いなさい。 しかし、同じひとつの塊を食べないように。 一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。 しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。 ちょうど、リュートの弦がそれぞれでも、 同じ楽の音を奏でるように。 おたがいに心を与え合いなさい。 しかし、自分をあずけきってしまわないように。 なぜなら、心というものは、あの生命の手だけがつかむもの。 一緒に立っていなさい。 しかし、近づき過ぎないように。 なぜなら、神殿の柱はそれぞれ離れて立ち、 樫の木と杉の木は、おたがいの陰には育たないのですから。」 (佐久間 彪 訳) カリール・ジブランは「子ども」の詩でそうでしたが 「魂の独立性」「魂の尊重」ということを主題にしているように感じます。 このことと、結びつくかどうか分かりませんが 岡部明美さんはコラムで次のように述べています。 「生きることは、依存期、自立期を経て、相互依存期(相互補完関係・互恵)を 学ぶプロセスでもあるし、自我の確立から、自我を超えた世界に進んでいく プロセスでもある。 そして、それは、自然、宇宙と同期(シンク)して生きていく生き方を学ぶ プロセスでもあるのだろう」 (SQLife http://blog.sq-life.jp/okabe/ より引用) じっくり感じ、考えてみたい言葉です お知らせ 私のパートナーも、彼女のジュエリーの魅せられました。 ↓ 福岡でジュエリーセラピストをしているマキ姉さんが 9/7(金)8(土)9(日) 東京銀座にて、展示会を行います。 詳細はこちら http://homepage3.nifty.com/poh-pohlly/jewelrytherapy%20tenjikaitokyo.htm