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2015年05月15日
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写真追加しました

前回保留にしていた織田信長の墓所を踏み込んで、大徳寺にも行ってきました。
大徳寺は豊臣秀吉が主君、織田信長の為に葬儀を執り行い、かつ大徳寺塔頭に織田家の氏寺を創建しているのです。
たまたま今回は特別拝観もあり、話も聞けましたし、最も信長に似ているだろう木彫を拝む事もできました。
以下予定しているラインナップなのですが、今「信長公記」と「フロイスの日本史」を読んでいる所なのでもう少し待ってください。
信長の墓所 1 (本能寺跡地と本能寺)
信長の墓所 2 (阿弥陀寺)
信長の墓所 3 (大徳寺塔頭 総見院)

で、今回先に秀吉の墓所を企画する事にしました。

実は一昨日、前から気になっていた豊国神社(京都)に行って来ました。
京都国立博物館隣に神社がある事は知っていたのですが、疲れてなかなか行く事ができなかった場所なのです。
その豊国神社には秀吉が豊国大明神としてまつられていて、かつ、遺言により、豊国神社管轄のお山に秀吉は埋葬されていたのです。
遺体も灰もなき、織田信長の墓(供養塔)は全国に数十あり、どこも来訪者の多い所ですが、割と知られていないし、ガイドブックにも詳しく乗っていなかったのが豊臣秀吉の墓なのです。

なぜ天下を取って大葬儀しをたにもかかわらず、マイナーなのか? それは明治になるまで完全に人々から忘れさられていた墓だったからなのです。

秀吉の墓所(豊国廟)

阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)
豊国廟(ほうこくびょう)
秀吉の本当の墓所





豊国神社のパンフの地図
pict-豊国廟地図.jpg
もともと少しデフォルメされた地図ですが少し加筆しました。
A・・豊国廟参道入り口
B・・豊国神社飛地境内(現在その境内のほとんどは駐車場になっている)
C・・阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)中腹の門所(実ここが本当の秀吉の墓所)
D・・五輪の石塔(明治に造られた秀吉の墓)

次回豊国神社も紹介する予定ですが、実は現在の豊国神社の場所は、明治になり建てられた物です。
本来の豊国神社は阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)にあり、創建当時は30万坪(100万平方メートル)もあったそうです。

治政府により豊国神社の再興が認められたものの元の場所に同じ物を造る事はできなかったようです。
秀吉の廟は阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)に再建され、社殿は大和大路通りの旧方広寺大仏殿跡地に再建されています。
※ 阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)は豊国神社飛地境内と言う事になります

A地点・・・かつての参道は現在公道になっています。

pict-秀吉の墓 1.jpg
近年参道として整備されたものの、実質この道は京都女子学園に向かう道です。

星なるべくありのままを紹介しますスマイル

東大路通りから参道に入ると緩やかな坂道になります。
それをだらだらと10分ほど歩くと豊国神社飛地境内に入るのですが・・しょんぼり
pict-秀吉の墓 2.jpg
京都女子学園を通り過ぎると、そこは境内前の参道ではなく、バスの待機所含む有料駐車場となっていました。(仮にそこまでタクシーで行ったとしても、駐車場料金500円とられるらしいです。)

※ バスは京都女子学園が契約していると思われる「プリンセスライン京都」のバスです。
一般の方も現金でなら乗れます。そして3方面くらいに路線があり、市バスと同じ停留所に止まっています。

駐車場の間を通り抜けると、神社の入り口が見えました。
pict-秀吉の墓 3.jpg
そして、階段上がってビックリ びっくり ここも駐車場になってる。
pict-秀吉の墓 4.jpg

見えるお山が阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)です。

B地点・・・太閤坦(たいこうだいら)の社? 門? 拝殿?
pict-秀吉の墓 5.jpg
これが何なのか聞くの忘れましたが、お山の墓所を拝む拝殿なのかもしれない。
とにかくこの下を通り抜けて向かうよう言われました。
札は参拝の方に向けられたメッセージで、廟に進み参拝する人は、登拝料100円を払ってください・・と言う内容です。(少し前まで50円だったみたいです。)
案内所のような社務所? 小屋? があるので、人がたまたまいればいろいろ話は聞けます。
pict-秀吉の墓 6.jpg




階段が多いので大変ですよ・・と豊国神社で聞いてはいましたが・・。
Σ(^∇^; )))ゲッ!!  先が見えません。
pict-秀吉の墓 7.jpg

歩けど歩けど階段は続く。 へろ へろへろ~ (;@_@)ノ
pict-秀吉の墓 15.jpg

やっとゴールか?
pict-秀吉の墓 8.jpg

C地点
pict-秀吉の墓 9.jpg
あれ? 門だけ?

門の向こうにまたまた階段が・・(Ω_Ω)
pict-秀吉の墓 10.jpg
すでに麓の境内までが登りだった為にこの階段はきつい。
豊国神社のパンフでは、565段の石段と書かれています。(おそらくそれは最初の鳥居から? と思われます。)
ここから上までさらに3回ほど休みました。

尚、この参道には一切明かりがない為に、暗くなると危険なので日のある時に登りましょう。
pict-秀吉の墓 11.jpg
後ろを振り返るとかなり急勾配です。
pict-秀吉の墓 12.jpg
もし、木が無ければ京都の町がとてもよく見えた事でしょう。

豊国廟(ほうこくびょう)
やっとたどり着いた山頂(標高193.5m)pict-秀吉の墓 13.jpg
秀吉の廟は、囲いで被われて近づけませんでした。拝む所も、賽銭箱も無し。本当に何も無しです。

pict-秀吉の墓 14.jpg
高さ三丈一尺(約9.4m)こう見えて、かなり巨大な五輪の石塔です。
この写真は石格子の隙間からカメラを入れて撮影しています。上まで高くて届かないのです。


秀吉の本当の墓所
新しいこの廟は、明治31年(1898年)秀吉公300年祭で再建されたものだそうです。
だから見た目も味気ないものですが、本当にこの下には秀吉公が眠っているらしいです。
なぜなら、本当にお骨は発見されているのです。

間抜けな事ですが、遺体無き秀吉の墓ををなぜか山頂に造る計画ができたそうです。
先ほど登ってきた565段の石段は全てその時に造られたもの。
そして工事の途中、山腹で秀吉の柩らしい甕棺(かめかん)が出てきたそうです。
中には秀吉らしい人が座る形で居たらしい・・と社務所の方に聞きました。

しかし、工事は進み、もともと山頂に造る予定だった五輪の塔はそのまま再建され、本当に遺骨の出た、かつて本当に豊国の社殿があった場所をならして門を造ったそうです。
それが先ほど紹介した中継点の門の場所です。

秀吉公は遺言でこの阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の中腹に埋葬するよう言い残したそうです。
それなのになぜ山頂に計画したのか? そもそも疑問です。


では、そもそもなぜ豊国神社は無くなったのか?
秀吉のお墓はなぜ消滅していたのか?
それは次回豊国神社の所で紹介します。

社務所でうられてていたお守り

つづく

リンク ​豊国神社(とよくにじんじゃ) 1
リンク ​豊国神社(とよくにじんじゃ) 2 (強者の夢の跡を消し去った家康)
リンク ​秀吉の御土居(おどい)と本能寺の移転
リンク ​大徳寺と茶人千利休と戦国大名

前述の信長の墓所
リンク ​信長の墓所 1 (本能寺 鉄炮と火薬)
リンク ​信長の墓所 2 (大徳寺塔頭 総見院)
リンク ​信長の墓所 3 (蓮台山 阿弥陀寺-1)
リンク ​信長の墓所 ​4 (消えた信長公 阿弥陀寺-2)​
リンク ​信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓






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Last updated  2020年08月16日 02時03分54秒
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