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話題の「ポケモンGO」が配信。さっそくダウンロード。 説明も読んでいないけどとりあえずやってみよう・・と言うわけで手探りで始めました。 初日はたいして歩かず家の中だけで数匹ゲット。(家の中だけで4種~6種。人により違った。) 炎天下、外に探しに行く気力が出ないけど、たまたまホテルのロビーで大物ゲット。 近隣のステーションをさがして立ち寄ればいろいろアイテムがもらえる事がわかり積極的に外出。 夜も食後に近所を周遊。結構な運動量。これがダイエットに繋がるなら素晴らしいね 事故ばかりが報道されるけど、ひきこもりで家でゲームしていた人達も外に出始めたらしい。 何しろGPSの動きに連動しているから外に出て歩かないと進まない。 ゲームの楽しみ方はいろいろできる。 たいていはポケモンを育てる事(進化、強化)。チャンピオンを目指して一流のトレーダーになる事を目指す。 が、「ポケモンGO」の場合、ポイントの捜索や移動する事による卵のふ化など、歩く事がゲーム進行の必須条件になっていると言う観点から非常に健康的なゲームなのである。 (10km歩いた時にメダルがもらえた) 先に配信されたアメリカで、運動の嫌いな彼らさえ積極的に外を歩き周り始めたと言うからウォーキングがなかなか続けられない人達の為にお勧めのツールと言えるかも さて、シュテファン寺院は残っていた南塔をささっと終わらせます。 リング内で最も高いシュテファン寺院の南塔。そこからはウイーンの街が展望できるのです。 シュテファン寺院(Stephansdom) 4 (南塔) 南塔(Sudturm) 旧市街 リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)内の景色 北側塔よりも高くそびえる南塔。 その理由は前回も書いたが、先にできたのがこちらの塔であったからだ。 南塔が完成して北塔の建築に取りかかったものの、時代が変わり北塔は最後までの完成を見る事ができなかった。 北塔はエレベーターで上階のテラスまで上がる事ができた。 しかし、なぜか高い方の南塔の方は徒歩で階段を上らなければならない造りとなっている。 1359年。ルドルフ4世が銀製具を使用して礎石。 1416年には塔の3階部分に鐘が吊されて鐘楼として使用されていたようだ。 1433年に塔の先端に総大司教十字(二重クロス)をかかげで完成。 南塔137m。 343段の階段で一般に上れるのは67m地点までのようだ。 82mの地点に小部屋があり完成より第二次世界大戦までは防衛(オススマントルコの進軍)や消防などの物見塔として活躍したらしい。 塔の先端部分だけ遠方から撮影。高すぎて近くから撮影ができない。また遠くても建物が近接している為に塔の撮影が難しいのだ。 先端部、小尖塔・ピナクル(pinnacle)のゴシック装飾は遠方からでは解りにくいがかなり凝っているようだ。 石のレース彫りのよう。 これ以上拡大できないが、先端はかなり細密で「蟹」と呼ばれる石の造花で飾られている。 トップには双頭の鷲と大司教十字(二重のクロス)になっているようだ。 1862年~64年には修復作業が行われているらしく1860年当時は時計が据えられていたらしい。 この時の修復がどの程度だったのか解らないが、塔は安全を考慮して組み治されていると思われる。 また外壁も石の細工物が破損して落ちてきたら大変な事故になるので安全対策はできているのだろう・・。たぶん・・ 赤色ラインが北塔のテラス位置。 黄色の囲みが南塔の展望室部分 オレンジが塔に上る螺旋(らせん)階段部分 狭い螺旋の階段が続く。教会の塔はどこもこうであるが、ここは比較的すれ違いがしやすい方。 たいてい登りと下りが一つしかなくてスリムな人、一人しか通れない、すれ違い不可の塔もある。 展望室までの階段の終わり部分 螺旋の壁には魔除けのゴブリンの顔が付いている。 階段のある塔の屋根部分 北塔と違って南塔の展望室は屋内である。 しかし、それだけに外を眺める窓はとても小さい。 でも見える景色の高さを考えるとこちらの方が価値はある。 また下の地図を見てもらえばわかるがリングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)の中に位置したシュテファン寺院。もろもろ観光スポットは南塔の側に位置しているのだ 展望塔のど真ん中に売店 光が強すぎて写真が綺麗に撮れません 階段に繋がる出入り口 上に登る階段もあるが、一般はここまで。後は下に降りるだけ。 旧市街 リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)内の景色 ウイーン市内、特にリング内の地図 (上が北) 水色・・リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)(ウイーン旧市内の環状道路) 赤色・・シュテファン寺院 A・・・北塔方面 B・・・教会入り口ミナレットのある側。そちらにはグラーベン通り(Graben Straße)とペーター教会 C・・・王宮方面と王宮の向こうに自然史博物館と美術史美術館の建物。 D・・・ケルントナー通り(Kärntner Straße)の終わりにウイーン国立歌劇場。さらに左にカールス教会。 ※ 東の景色は載せませんでした。 A・・・北塔方面 正面に見えるキャップは北塔の屋根。 この屋根の右下方に双頭の鷲がデザインされた屋根瓦があるはず。 B・・・教会入り口 ミナレット。左にグラーベン通り。中ほどにペーター教会 グラーベン通り(Graben Straße)は今やウイーンの中心のショッピング街。しかしグラーベンは堀を意味する言葉で、大昔はそこがお堀の跡だったらしいのだ。 ※ 以前紹介した「ウイーンの高級食材店 ユリウス・マインル(Julius Meinl)」が突き当たりにある。 C・・・王宮方面と王宮の向こうに自然史博物館と美術史美術館の建物。 王宮が割と近い。 濃いピンク矢印右・・・王宮 ピンク矢印右・・・自然史博物館 ピンク矢印左・・・美術史美術館 D・・ケルントナー通りの終わり、リングとのコーナーにウイーン国立歌劇場。さらに左にカールス教会。 黄色のライン・・・ケルントナー通り(Kärntner Straße) 赤色のライン・・・グラーベン通り(Graben Straße) 青矢印・・・ウイーン国立歌劇場 黄矢印・・・カールス教会(Karlskirche) リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)内に高い建物は無い。 高いのや近代化されたビルはリングの外側。 昔の建物を利用して近代化されているからウイーンはほのぼの落ち着くのかもしれない。 ところでシュテファン寺院には聖書の代わりになるステンドグラスは見あたらなかった。 壊れてそれ以降修復されていないだけかもしれないが、それに代わるものが柱に多数据え付けられていた。それが聖人達の彫像である。 識字率の低かった当時、司教達はイエスや使徒、また諸聖人達の功績や教えを像を見ながら人々に語ってきたそうだ。 最もその像はほとんどが市民からの寄贈品。 崇敬する聖人の名前を自分の子に付けるなど深い信仰心を持った人達に教会は支えられてきたのだ。 プロテスタント運動が起きてカトリックは否定されたが、オーストリアはカトリック信仰が根強くこうして歴史的財産が多数残されたのだろう。 シュテファン寺院(Stephansdom) おわり Back number リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 1 (大聖堂の教会史) リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 2 (内陣祭壇とフリードリッヒ3世の墓所) リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 3 (北側塔のテラス)
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