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カテゴリ:建造物・教会・墓地・墓石・遺物
関連Back number追加しました。 次回の構想で必要になる本を数冊取り寄せ、まだ読み切ってもいません。まだ完成には遠く、そこで内容変更。序章の部分を写真増やして独立させて今回をしのぐ事しました。Break Time(一休み) 大変 m(_ _;)m 申しわけありません。 この夏はどうも所集中力に欠けて・・。作業をやる気になれなくてすぐにYouTubeに逃避。 構想はできたけど日中用事で出かけると夜はグッタリ思考が働らかず・・。 視力も落ちてきて、写真の選択をしていると眼精疲労で? 眠くなる。写真を選ぶだけで数日。 特に今回の写真は古いのでカメラの解像度も低い。加えて高度が高い為に写りも悪いし見えにくい。余計大変でした。 そんな訳で今回はBreak Time でショートネタです。 新大陸アメリカのミステリーから・・。 新大陸の謎の文化 地上絵(geoglyphs) パラカスの地上絵(Paracas geoglyphs) パジェスタ島のアシカ イカ県(Departamento de Ica) ナスカの地上絵(Nasca Geoglyphs) パンアメリカン・ハイウェイ(Pan-American Highway) 西欧の人間が新大陸であるアメリカ大陸を見付けたのは15世紀の事だが、アメリカ大陸にも実際紀元前から脈々と文化が育まれていた。でも、それは未だ全容解明できていない。 西欧の文化と交わっていないので、全く独自路線で育まれた文化を検証するのは難しいのかもしれない。特に文字と言う文化が無かった所もある。また、文字はあっても解読ができない。そうなると歴史をたどる事さえできないからだ。 何よりコロンブスがたどり付いた新大陸は広大だった。 彼が発見したのは南北大陸のつなぎ目、メゾアメリカのほんの一部。氷山の一角にもなにらない新地の発見だった。 新大陸への植民はコロンブスの後に続く一攫千金を狙う猛者(もさ)達によって開発・・と言うよりは侵略と言う形で広げられて行く。 その過程で、部族間の均衡は崩れる。既存の文明は強制的に破壊され消滅して行った。 現地の人から見れば彼らの犠牲は大きく、彼ら西欧人は非情な侵略者以外の何者でもなかったろう。 逆にコンキスタドール当事者側から見たら? 彼らも恐怖の中、命をかけて征服を敢行し、野蛮な宗教を排除してキリスト教を布教。称えられるべき活躍をした? と言う解釈になろう。が、これは当事国内でも評価が分かれたようだ。 当事国は莫大な経済の恩恵を受けたのだから、否定はしにくいからね・・。 哲学者にして経済学者でもあるイギリスのアダム・スミス(Adam Smith)(1723年~1790年)は「国富論」の中で人類の歴史を二分する画期的事象としてコロンブスのアメリカ大陸発見とヴァスコ・ダ・ガマのインド到達を上げた。が、歴史的意義としては否定しているそうだ。 果たして彼らの征服と言う蛮行は「世界史上の偉業」なのか? 黒歴史なのか? ※ コンキスタドールについて・・。が、書く予定だった所です。それは次回の欧州編に・・。 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 19 新大陸の文明とコンキスタドール(Conquistador) 今現在、破壊された文明を取り戻す事はできないが、研究は進んでいる。 そんな中で未だ新発見の出る大陸です。 今回紹介するのも、実は割と近年に発見されたもの。 なぜなら、それは上空から見ないと発見できなかったからだ。 飛行機の登場、そして近年はドローンによってもっと細やかに探索できる。 これからアンデス山中や、ジャングルの密林の中からも古代遺跡が発見できるかもしれない。 やっぱり科学は日々進歩しているのだな・・と思う。 パラカスの地上絵(Paracas geoglyphs) ペルーと言えばナスカ(Nasca)の地上絵を想像する人は多いと思うが、その巨大な地上絵こそ、「謎の文化」の賜だ。 実は、そのナスカ文化の前章とも言える地上絵がペルーのイカ地方に存在していた。 割と知られていないその絵はパラカスの地上絵(Paracas geoglyphs)と呼ばれている。 パラカス半島沿岸の地上絵 ペルーのパラカス半島(Paracas Peninsula)北部のペヘレイ岬 謎の絵が刻まれている。この絵自体の製作年は実の所定かになっていないようだが、出土する土器から紀元前と推定されている。 BC1200年~BC100年頃にこのパラカス半島に存在していたパラカス文化(Paracas culture)はナスカ文化よりもさらに1000年程古い。
彼らの陶磁器や 精巧な織物、そして何よりその図像からパラカスで生まれた文化は、実はナスカ文化の源流と考えられている。 特にパラカスで生まれた? 織物と刺繍はその芸術性が高く評価されている。 下はウィキメディアの写真です。図像がはっきり見えている。 上の地上絵、縦190m、幅70mメ。溝の深さ1m。 スペイン語で「パラカスのカンデラブロ(El Candelabro de Paracas)」 カンデラブロ(Candelabro)とは「枝付き燭台」の意。 確かに私も最初に見た時にユダヤ教で使われる燭台(キャンドルホルダー)であるメノーラー(menorah)を想像した。 枝付き燭台か? あるいはメソアメリカの世界樹か? ※ ナスカにも世界樹とされる絵がある。全然似ていないが・・。 実際の所は何なのか? 謎らしい。 謎の絵ではあるが、海からしか見え無い事から寄港の目印だったかもしれない。 因みに、2018年のドローン調査で他にもパルパ郡から多くの地上絵が見つかっているらしい。 下もウィキメディアから借りたパラカス自然保護区の海側からの写真です。 ペルーのクスコ(Cusco)と、ナスカ(Nasca)、パラカス(Paracas)の位置を示した地図です グーグルマップを利用しました。ナスカ(Nasca)の所のマークは主要な地上絵の位置です。ところで先にも触れたが、パラカス文明はナスカ文明の源流となる文化である。 実際ナスカはここから近い。 パラカスはペルー南西イカ県にある。(ナスカもイカ県です) その県都イカからはナスカの地上絵を観る為のセスナが出ている。つまりナスカの地上絵を見るなら、イカからなのである。 ※ クスコから小型機でイカに入り、イカで遊覧セスナに乗り換えて地上絵を見学するのがお勧め。 地上から行ってもパンアメリカン・ハイウェイ(Pan-American Highway)沿いにある展望台・ミラドール(Mirador)から、その前にある手と木という2つの図像しか見られません。 地上絵は広大な平原に点在してあるし、当然ハイウェイから平原内には入れないからです。 展望台・ミラドール(Mirador)は、今や中に侵入する輩の監視目的が主となっているようです。 また非常に大きな絵ですから、空から小型のセスナで旋回しながらでないと写真撮影もままなりません。 部分では何なんで南米の写真も追加 ピンクで囲ったのがペルーです。 見えにくいけどもANDESのDの上の紫の★がクスコです。 パジェスタ島のアシカ エサが豊富な海域なのでしょう。ところで、パラカス(Paracas)にはこれを見にきたわけではなく、アシカ見学の為、パジェスタ島(Ballestas Islands)に向かう為に船に乗っている。 実はこの海域は野生動物が多数生息している事からリトル・ガラパゴス(Little Galapagos)とも呼ばれるらしい。 フンボルトペンギン、オタリア(アシカ科)、ペルーペリカン、インカアジサシ、グアナイ鵜、ペルーカツオドリなど生息。現在島には立ち入りはできない。 前に「ペンギン・コロニー(Boulders Beach&Antarctica)」の中、「南極環流と海洋深層水」で紹介しましたが、南極環流(Antarctic Circumpolar Current)から南太平洋亜熱帯循環(South Pacific Subtropical Gyre)へとミネラル豊富な海洋深層水が巡っている。 ペルーの海域は南極環流の純度の高いミネラルが真っ先に集まるから栄養価満点の海なのでしょう。 プランクトン ← 小魚 ← 大きな魚、ペンギンやアシカが集まる。海洋生物の天国ですね。 リンク ペンギン・コロニー(Boulders Beach&Antarctica) 本来はイントロ部分になる予定でしたが・・。意外にも、ペルーで最も観光客が訪れた国立自然保護区ランキングで2018年に全国1位を記録していると言う。 実際、ナスカの地上絵より子供受けはするしね・・。 下はウィキメディアから仮りました。パジェスタ島(Ballestas Islands)の全景です イカ県(Departamento de Ica) 南米大陸の大西洋の海は栄養豊富なのに・・。 南米大陸の西岸部は砂漠地帯。不思議な国 アンデス山脈と海岸の間は山地によって湿った空気が遮断される為に乾燥する。 南米西岸は世界でも最も乾燥した砂漠地。 アタカマ砂漠(Atacama Desert)は現在チリ領になっているが、ペルーの沿岸部もまたアタカマ砂漠に接続する砂漠地帯なのである。 綿花、ブドウ、アスパラガス、オリーブなどが栽培された。イカの港は欧米への輸出で栄えたそうだ。イカは砂漠地でありながら1563年、スペインの植民となると農産地に変わる。 特にブドウ畑は南米で最古とされるらしい。 セスナで空港を飛び立つと眼下には砂丘と共にブドウ畑が連なっている。 太陽光が強いからイカで作られるワインは糖度が高くフルーティーになるそうだ。 近年ペルーのワインは有名であるが、食用ブドウの生産はイカだけらしい。 上空に行く程、カメラの解像度の悪さが出ますが、参考までに・・。 砂漠地帯を開拓して土地を拡大しているのが解ります。 砂埃のせいか? 街が全体に茶色い。 砂丘の中にあるイカ近郊のワカチナ(Huacachina)のオアシス 周辺は国立保護区に制定。 本当に絵に描いたようなオアシスですが・・。 このオアシス自体は池のようなものです。砂漠の中にある事に意義がありますが・・。 最も一度枯渇した過去があり、現在は定期的に水の入れ替えが行われているらしい。 つまり湧いているわけではないのかな? セスナの順番を待つ間に観光したりする。 ナスカの地上絵(Nasca Geoglyphs) 地上絵を空から見たい人はセスナに乗る必要があります。 イカ(Ica)の空港からセスナに搭乗。セスナは操縦士入れて定員6人程度。 飛行機は5~6機がほぼ同時に出発するが、当然、観光客をさばききれない。 近年はもう少し人数の乗れるセスナを入れたらしいが、大型化すると地上絵を見るのには大きく揺れて傾くので酔うのである。 下はかなり前の写真です。 写真の解像度だけでなく、現在この航空会社は無いかもしれませんが、セスナのサイズとしてはこんなものです。 タクシーサイズです。奧の飛行機はリマからの飛行機かも。 セスナは数人を乗せてのローテーションで運航されている。 この搭乗の順番待ちの為にイカの空港近郊での滞在時間が長くなる。 団体グループの場合、仲閒が全員乗り終わるまで時間をもてあます状態です。 因みに、今年(2022年2月)、地上絵観光のセスナ機墜落のニュースがありました。 「乗客の外国人観光客5人と乗員2人の7人全員が死亡」 上の機より少し大型のようですが、そんな事もあります。 そう言う事も覚悟して行く事です。安全の100%保証は無いのです。 下はクスコからイカ(Ica)に向かう機中からの撮影かも 多分下はラクラ(Lacra)の街 下の線はパンアメリカン・ハイウェイ(Pan-American Highway) ナスカは年間降水量の極めて少ない乾燥地です。 白いのはかつて水が走った跡。滑走路のように見える図形も実は謎の一つ。ナスカラインと呼ばれる幾何学模様の一つです。 ナスカは地上絵で有名ですが、図像よりもむしろ巨大な数学的幾何学模様や線の方が多いのです。 図像の位置を示した地図です。 位置的に図で見ると左上中央から入るのかな? No21 フクロウ男 or 宇宙飛行士 長さ32m No7 コンドル 長さ136m No1 ハチドリ 長さ96m 写真が古いので解像度も悪いカメラですが・・。 図像をはっきりさせる為にみなさん少なからず色調調整しているようです。 実際の肉眼では線や絵は薄くて見えにくいのです。 線を際立たせるには、全体に暗くしないといけないし・・。天気もあるけど・・。 パイロットが左右撮影しやすいように機体を傾けてくれますが、いずれにせよ飛行機の窓からです。 尚、上空では数機の飛行機が同時に遊覧しています。 No11 クモ 長さ46m No3 サル 長さ110m パラカス文化を継承したナスカ文化もまた彩色土器と織物の染色に特色があると言う。そしてそれらナスカ式土器の文様と地上絵の類似点から地上絵の図像もナスカ時代と推定された。 また地上絵の中から発見される土器片の年代からも同一時代の産物である事は解ったらしい。 それらから、地上絵が描かれた年代は、パラカス文化の終わるBC200年頃からAD800年頃のナスカ文化の時代に描かれたものだとほぼ確定されている。 ただ、動物の意匠はともかく、700本以上の線や幾何学図形が何を示しているのか? 当初は天体との関係も考えられたが、今は天体との関係はほぼ無い事が解明された。 では宗教儀式によるものなのか? 隣国、ボリビアでは雨乞いの為に線上を祈り行列して歩く風習があるらしい。 ナスカの地上絵は一筆書きとなっている事から、そうした宗教行事の為に作成された? と言う説が今は有力らしい。 No18 オウム 長さ200m Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa(ナスカとパルパの線と地上絵)世界文化遺産に登録されている。(2016年に名称変更)不等四辺形 No16 木 長さ97m (下写真右) No17 手 (下写真左) No17 手 長さ45 パンアメリカン・ハイウェイ(Pan-American Highway)と展望台・ミラドール(Mirador) 地上絵のある平原を横断しているのが不思議でしたが、地上絵の発見は1939年。ペルー内の道路はすでにあったのだろうと思われる。 何よりパンアメリカン・ハイウェイの脇に置かれた展望台・ミラドール(Mirador)がそれを示しているのかも。ミラドールは今は地上絵にむやみに入り込み荒らす者らの監視として置かれている。 車で入り荒らす者が増えているそうだ。 地上絵はそもそも地表とその下の土壌の色の違いでできているからドリフトなんかされたら最悪。人の侵入でさえも特別な履き物があるらしいのに・・。 本題には関係ありませんが加えました。 パンアメリカン・ハイウェイ(Pan-American Highway) 各国の主要幹線道路をネットワークとしてアメリカ北米から南米までを一本で(北米は2本? )繋いだ道路です。 米国内、分かれた2本。どちらがメインか決められないのかも) 北はアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)orプルドーベイ(Prudhoe Bay)を起点に 南はアルゼンチンのウシュアイア(Ushuaia)に至る全長約48,000kmコース。 道は段階的に造られ、繋がって行ったらしい。 アメリカ大陸は一つと言う感じがして何だが壮大な気がしますが、ラテンアメリカ諸国の政情不安や治安悪化によりドライブが危険なヶ所もあるらしい。 本線の他に支線も多数あるらしいので迂回ルートもある。 アメリカが中心にまとめて出資も多くしているから? 標識などはアメリカ標準になっているらしい。 イカに戻るセスナから 次回は予定どおり「アジアと欧州を結ぶ交易路 19 新大陸の文明とコンキスタドール(Conquistador)」の予定です。 m(_ _)m 関連Back number リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 20 パナマ運河(Panama Canal) リンク マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 19 新大陸の文明とコンキスタドール(Conquistador) リンク コロンブスとアメリゴベスプッチの新世界(New world) 新大陸の謎の文化 地上絵(geoglyphs) リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 18 香辛料トレード(trade)の歴史 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 17 大航海時代の帆船とジェノバの商人 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 16 イザベラ女王とコロンブス リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 15 大航海時代の道を開いたポルトガル リンク 海洋共和国番外 ガレー船(galley)と海賊と海戦 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 14 海洋共和国 3 法王庁海軍率いる共和国軍vsイスラム海賊 リンク 聖人と異端と殉教と殉教者記念堂サン・ピエトロ大聖堂 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 13 海洋共和国 2 ヴェネツィア(Venezia) リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 12 海洋共和国 1(Ragusa & Genoa) リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 11 ローマ帝国の終焉とイスラム海賊 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 10 ローマ帝国を衰退させたパンデミック リンク ローマ帝国とキリスト教の伝播 (キリスト教とは) リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 9 帝政ローマの交易 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 8 市民権とローマ帝国の制海権 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 7 都市国家ローマ の成立ち+カンパニア地方 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソス リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 5 ソグド人の交易路(Silk Road) リンク クムラン洞窟と死海文書 & マサダ要塞(要塞) リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 4 シナイ半島と聖書のパレスチナ リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 3 海のシルクロード リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 2 アレクサンドロス王とペルセポリス リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 1 砂漠のベドウィンと海のベドウィン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023年05月31日 19時11分40秒
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