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2018.09.20
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カテゴリ:徒然草を読もう
第二百十七段
 或(ある)大福長者(だいふくちょうじゃ)の言はく、「人は万(よろづ)をさしおきて、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、まづその心づかひを修行すべし。その心と言ふは、他のことにあらず。人間常住(じょうじゅう)の思ひに住(じゅう)して、かりにも無常を観ずる事なかれ。これ第一の用心なり。次に万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に随ひて志を遂げんと思はば、百万の銭ありといふとも、暫くも住すべからず。所願は止(や)む時なし。財(たから)は尽くる期(ご)あり。限りある財をもちて、かぎりなき願ひにしたがふ事、得(う)べからず。所願心にきざす事あらば、我をほろぼすべき悪念来(きた)れりと、かたく慎み恐れて、小要(しょうよう)をも為すべからず。次に、銭を奴(やっこ)のごとくして使ひもちゐる物と知らば、永く貧苦を免るべからず。君のごとく、神のごとく畏れ尊(とーと)みて、従へもちゐることなかれ。次に、恥に臨むといふとも、怒り恨むる事なかれ。次に、正直にして約を固くすべし。この義を守(まぼ)りて利を求めん人は、富の来(きた)る事、火のかわけるにつき、水のくだれるにしたがふがごとくなるべし。銭積りて尽きざる時は、宴飲(えんいん)・声色(せいしょく)を事とせず、居所(きょしょ)を飾らず、所願を成(じょう)ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。

 仰(そもそも)人は、所願を成(じょう)ぜんがために、財(たから)を求む。銭を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者とおなじ。何をか楽しびとせん。このおきては、ただ人間の望みを断ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲を成(じょう)じて楽しびとせんよりは、しかじ、財なからんには。癰(よう)・疽(そ)を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんにはしかじ。ここに至りては、貧富分く所なし。究竟(くっきょう)は理即(りそく)に等し。大欲(たいよく)は無欲に似たり。

現代風訳
 ある大金持ちが言った頃。「人はあらゆる事をさしおいて、ひたすらに富を身につけるべきだ。貧しくては生きているかいが無い。富んでいる者のみを人とする。富を身につけようと思えば、当然のこととして、まずその心使いを修行すべきだ。
 その心というのは、他のことでもない。この世が永久不変であるという信念を固く守って、かりそめにも無常観にとらわれたりしないことだ。これが第一心がけである。
 次に何もかもをかなえようとしてはならない。人の世にある、自分のことも他人のことも、欲望は無限である。欲に従って願いを遂げようと思えば、百万の銭があっても、ほんの短い間も手許に残ることはない。
 欲望にはきりがない。財産は尽きる時がある。限り有る財産で限り無い願いに従がう事は、不可能だ。欲望が心にわきたつことがあれば、わが身を滅ぼす悪い考えが来たと、かたく慎しみ恐れて、小さな欲望をも成し遂げてはならない。
 次に、銭を下僕のように(好き勝手に)使い用いる物と考えていると、永く貧乏から抜け出すことができない。君主のように、神のように畏れ敬って、(金銭を)思いにまかせて使ってはならない。
 次に、銭のことで恥をかいたとしても、怒り恨む事があってはならない。次に、正直にして約束を固く守るべきだ。
 この道義を守って利益を求める人は、富が来る事、火がかわいた所につき、水が低い所に流れるように自然と結果が付いてくるに違いない。
 銭が積もって尽きない時は、酒・歌・女にも構わず、住まいを飾らず、欲望を果たせないといっても、心は永遠に安らかで楽しい」と言った。

 そもそも人は、欲望を成就するために財産を求める。金銭を財産とすることは、願いをかなえるためである。欲望があってもかなえず、銭があっても使わないのは、まったく貧乏人と同じである。何を楽しみとするのだろう。この大福長者の教えは、ただ人間の欲望を断ち切って、貧しさを憂うべからずと受け取れる。欲望を成就して楽しみとするよりは、財産が無いほうがよい。悪性のできものを患う者が、水で洗って楽しみとするよりは、病気をしないほうがいいのだ。
 ここに至っては、金持ちと貧乏人も大差ない。究竟(くきょう・仏教での最高の悟りの境地)と理即(りそく・まだ仏の教えを知らない状態でも成仏できること)には差がないという話と同じである。大欲は無欲に似ているのだ。

四つ葉葉四つ葉
ある大福長者=通帳の残高の数値が増えることが至福の人。
そういう考え方もあります。





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最終更新日  2018.09.20 07:00:19
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